第二十一話 猿~森林地帯~ 五

その日俺たちの部隊、魔界を救う使命を帯びた、人間界斥候調査部隊は、人間界の岩場地帯で過ごした。

しかし隊長は、陽が落ちた際に言った。


「状況報告はしよう、時間はそう長くかからない」


隊長は言う。

条件はいくつかある。

少人数であること。

界門の操作に慣れていること。


「隊長―――」

バスタムが口を開く。開きかけた。


「隊長、で、いいのでは」


片言だった。

なぜか。

皆、しかし意見に対しては賛成だった。

界門を通して報告を繰り返していたのは、隊長である。


「そうしたいのだが―――隊の指揮がある。私だけ離れるわけにもいかない―――ここに報告書がある」


小さなケースに入っていた。

報告内容―――今回は風土調査ではないから、環境のことではなく人間のこと。

いや、黒い絡繰りとの遭遇についてだろう。


キンセイは内心、思う。

思考する。

報告などはケイカンが適任だと思うが、ケガをしたばかりだ。

一人で敵地に向かわせてもいけないな。

それに。

彼女は優秀な軍鬼、我慢強い奴だが、実は結構な深手を隠しているのかもしれん。

心配をかけないために。

と、そこまでいくと考えすぎ―――か?


リョクチュウは―――、任務に関しては真面目だがあれで不安定な奴だ。

バスタムはうるさい―――隠密行動に関しては論外。

シトリン―――、うるさい。

コハクかシャコツコウか、ウレックは新しく入ったばかりで元々、この隊ではない。

上級軍鬼の采配によるものだが。

ううむ、私はあまり知らぬ。


「コハク、いけるか」


呼ばれて顔を上げる、燈色の鬼。

暖かな火の色の表情。


「―――了解です、俺一人で?」



++++++++++++++++++++++++++++++



ざく、ざくと落ち葉を踏みしめる。

広葉樹の落ち葉であるが、灰の匂いがする。

足音はもう少し小さくしたほうがいいのだが、そういう訓練はなかったな。


結局、俺が一鬼で森の中を歩いている。

まあいやではないが。

さしあたっての危険は、例の黒い絡繰だが。

あれから半日は歩いている。

場所はかなり移動したはずだ。

そう言えば第一界門、最初の山中の時点で、すでに日は登っていた。

明るかった。


森に少し入って、戻る程度の使いだ。

餓鬼でも出来るぜ。

呼吸でわずかに香る瘴気の程度から言って、もう目と鼻の先だ。


「………人間と会えるのだろうか、もうすぐ」


魔界の軍鬼訓練学校を思い出す。




++++++++++++++++++++++++++++++




岩石製の机は、天井の光を薄く反射していた。

赤燈の光。

教卓に立つスイアエンド緊急教官。

青緑色の肌に、妙につぶらな瞳が目を引く彼。


伏魔殿ふくまでんであぁる!」


スイアインド教官は響く声で言った。


「人間界は伏魔殿ふくまでんなんだ…………」


声のトーンを落とし、呟く。


人間界学。

この講義は第二十三隊の面々のみを対象として、行われた。

魔界での任務ではない、未知の人間界の作業で求められる知識を叩きこむ場所である。

ということで強制参加だ、断る理由もない。

俺も何も知らずに戦地に飛び込むほど能天気な鬼ではないつもりだ。

それで教官、彼はその人間界学の権威らしい―――俺はこの時はじめて、そんな学問があることを知った。


「リョクチュウくん!」


指で示された緑色の鬼。


「はい」


「予習はしてきたかな?教本で」


「はい―――人間は千年前に我らと決別した種族であります。コミュニケーション手段として言語を話します。また、その身体的特徴は猿に似ており、しかし哺乳類です。外見は体毛が極端に少ない猿、と言ったふうで、前足よりも後ろ足が発達していて、成体は完全な二足歩行が可能です」



「うむ、リョクチュウ君はよく勉強しているね、皆見習うように」


はぁい。

………いや、素直にすごいと思うけどね、俺。

暗記苦手。


「えっへへ」


「で―――だ。私は『教本で予習はしてきたかな?』と言ったのだ、説明をしろとは一言も言っていないのだなぁこれが」


んぐっ。

と、リョクチュウは言葉に詰まり机に視線を落とすが―――負けじと、眼晶装を光らせる。


「………その予習を、予習の成果をここで見せた―――みたいな、感じで、あります」


「はい、ではさらにいってみよう」


「―――人間の食に関しての生態は雑食性、肉、草に限らず海中の魚まで食する、雑食性です。その際、加工した道具を使って狩猟の効率を高める場合があります。目標を集団で追い込む場合もあります」


「ルミリオよりひでぇや」


リンカイがぼやいた。



「うむ。結構だ―――で、つまりバスタムくん―――」


振り向く教官。


「え、俺?寝てないっすよ今日は、ほら目が開いているじゃあないですか」


「バスタムくん。人間は、私たち鬼と………?」


目を見開いて机の近くに顔をよせ、教官は見つめる。

少しの間、黙って考え込むバスタム。


「………俺たちとあんまり変わらない―――んですかね、つの


「そぉう!そうなのだよ!」


角があるかないか、と言い切らないうちに胸を逸らして叫ぶ教官。

楽しい人だ。

大丈夫か、この人。


「人間の図が載っている」


教本の造りはしっかりしていて、真新しかったが、挿絵に出てくるのは古文書の図ばかりであった。


ぐにゃぐにゃとした姿勢の、肌色の怪物。

目を見開いた、奇妙な表情。

そんな印象を受けた。


「あのう―――質問です」


「はい」


「失礼ながら、これでは任務に十分ではありません。もっと正確な図柄はないのでしょうか」


ケイカンだ。

流石にこれから乗り込むのにこれだけしかわからないのは、心細い。


「まあ、残念だが、これが『正確』とされている―――資料がない―――関わることを禁じられたからには当然だが」


視線を落とす緊急教官だが、口調はそのままだった。


「千年前に『魔界』と断絶しておる―――これが一番恐ろしいところじゃ―――彼らは文明を築いている、知能が高いが、『魔力』を使っていない」


それではあまり知能が高いと言えない。

ただの馬鹿ではないのか―――と、心の中で思った。

我々の生活に、魔力は欠かせない。


「それは『科学』という、力」


独自に発達した、全く別の力。


「緊急教官―――重ねて失礼ですが、あまり真面目でないように見えるのです、貴方あなたは」


ケイカンが言う―――結構、そこまで言うか、というところまで言ってしまうのが彼女だ。

確かに、緊急教官は教える立場にあるものの様子としては、やや浮足立っている。


「ん―――そうかね」


緊急教官は少し戸惑った様子だったが―――口元は吊り上がっている。


「私としたことが―――いやはや、これが私なのか、あるいは。くくく………」


やはり、真面目には見えなかった。

一人でにやけている教官。

その教官が、少し落ち着き、言った。


「リョクチュウくんと言ったね、勉強熱心な若い鬼よ」


「え………ああ、はい」


「私の感情を伝えてもいいかね、キミに」


変わり者ではあるが、笑顔は絶やさない教官。 


「はい?は、はあ………」


「私はキミが嫌いだよ」


「へッ………?へぇっ………!」


変な声を上げるリョクチュウ。


「嫌いというか、嫉妬するね………千年の時を超えた人間界………ああ、何故、何故………キミなのだろう、私でない」


喋りながら歩く。

誰のことも見ていない、両手をふらつかせ、自らの頭に、布を引っかけるように手の指をかぶせる教官。


「私だって行きたいのに、きっとキミよりも行きたいのに。『人間界学』………などという、魔界で誰も聞いたことのないような分野に注いだ半生………学会の異端児だった私、どころか………人間という伝説の生き物にのめりこんだ阿呆あほう………ただの変態とまで言われた私がだ………人間界に行けなくて、何故若い者たちが………いや、若さがあるからこそなのか………」


停止しながら、ぶつぶつと口だけを動かす。

………まあ、話を戻さねば、と教官。

スイアエンド緊急教官の、性質と呼ぶべきものが通常の鬼とは違うと、この頃には皆、勘づきつつあった。

この教官はかなりそう―――アレだな、と。


「人間は我々が日ごろお世話になっている『魔力』や四元素を元とした『魔術』と縁を切ってまで『科学』を追求している―――ケイカンくん、君の指摘は間違っていない。真面目ではないぞ、私は楽しい。これほど楽しい時などあるものか。―――千年だぞ、千年ぶりだ!」


人間の生態を知ることができる。

真面目でいられるわけがないじゃあないか―――。


「そして、今の魔界を救う可能性がある―――というのが任務だね」


「………はい」


ケイカンは、少し戸惑いながらもうなずく。

違った。

かなり戸惑っているのが俺にもわかった。

彼女が狼狽えている様子はなかなかお目にかかれるものではない。


魔界の民である俺たちは、魔力に頼らない生活は想像がつかなかった。

だが教官曰く、科学は魔導法則とは全く関係ない力で働く、摩訶不思議なエネルギーらしい。


「いいかい、君たち。千年の時を経ているといっても、千年間という時間の単位は、歴史の中では決して長いスパンではない。山があり、海があり、様々な生物がいる。今も昔も、変わらない。無論、生物は多い―――人間の他の生物も。しかしながら、予想できないものというのは本当にわずかだ―――それが人間である」


人間。

人間の、科学。


「では、科学カガクとはどんな―――」


俺は口を開きかけた。

講義終礼の鐘が、きんこん、と鳴った。


「というわけで、伏魔殿ふくまでんである―――人間界は何が出てくるかわからない場所だ、ゆめゆめ忘れるでないぞ」


ただ。


「予想ができない者こそが人間と―――科学。ひっくり返せば、予想ができない事態が起こったならば、そこには人間の意志が加わっているとみて、間違いないだろう。


教官は去っていった。



++++++++++++++++++++++++++++++




「―――思い出す意味、あったのかな」


なんのことはない、知っていようが知っていまいが。

科学、ねえ―――?

呟いて歩く。


界門は森の奥の、木の陰にひっそりと開いていた。

物資輸送目的の第三級か第四級の界門だ。

遠目から見ると光る机のようだ。

形状は鳥居だが。




俺は耳を澄まして、あの虫の羽音のような、一度耳にしたら忘れられない音を思いだす。

森は今、静かで、奴が追ってくる気配はなかった。

だが油断は禁物である。

あの敵は序章。

本当に『人間』がやってきたら、それどころじゃあ済まないのだろう。


界門の前にしゃがみ込み、簡単な操作をして、報告書を腕ごと入れる。

サイズは小さいが、あの液体のような感触だけは同じだった。

間違いなく界門だ。

境界性通路だ。

届け物を終えたし、これで、代わりに物資を受け取れば任務は完了だ。

ああ、正確には帰るまでか。


画面が切り替わる。

映像画面になった。

隊長がよくやっていた、魔界との通信である。

ザザザザ、とノイズが走る。


『―――ああ、到着したのキンセイちゃん」


サングラスをかけた風な女性が映った。

一度魔界に帰った際に、見た魔族だ。

隊長と話していた記憶がある。

正確な種族は知らない。

いちいち気にしていては、魔界ではやっていられない。

種族が多すぎるのだ。


『あら―――ううん?あなた、キンセイちゃんじゃあないわね、どなた?』


「ああ―――人間界斥候調査部隊、所属のコハクです。報告書を届けるために参りました」


『あらご苦労様。………そう―――あなたも、そうねえ、あなたにも言っておこうかしら』


「え?」


『調子が悪いのよ、界門。不安定だけれど―――法族が原因調査にあたっているわ、今』


「………」


『物資を受け取って。そして、移動してちょうだい。界門からは離れて。いいわね?』


「………了解です」


魔界との連絡任務はそれで終わった。

物資を受け取って、俺は任務はすべてこなして森の出口に向かう。

だが幸先は悪いかもしれなかった。

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