第十九話 猿~森林地帯~ 三
「―――
バスタムが歯を食いしばりながらそれだけを言った。
太陽の光は逆光というほどではないが、前が見えない。
正確には上が見えない―――舞い散る木の葉が邪魔でわからない。
舞い散り続ける木の葉が敵を隠す。
敵の正体が。
一面の緑、パラパラと、木の葉が舞い落ちる視界。
くそったれ、見えやしねえ。
ぱっし、ぱっし。
葉を指ではじくような音が頭上から聞こえる。
森というものは、なかなかどうして、小さな音を響かせる。
「―――射撃許可、だ、全員………」
キンセイ隊長が、敵の音に耳を澄ましながら呟く。
射撃許可。
無論、そのつもりである―――枝の合間を注視するのも一苦労だが。
頭上から時折落ちて来る木の粉のせいだろうか、目が痒い。
だが目を離すわけにもいかない。
ざぁ―――、としずかな風が吹いた。
樹上のどこからか、聞こえてくる音。
何かが。
何かが―――高速回転する音が聞こえてくる。
おそらくは硬度が高く。
金属質な。
何かが。
しかしそれが何なのか、魔導砲を構えている俺たち全員、答えることはできない。
俺は足音を立てず―――音がしないように体勢を変えて、目標が見える角度を探そうとする。
ゆっくり。
結局、あれから雪は吹雪にはならなかったが、木の葉か。
木の葉の雨が来るとは。
この場の誰が想像できよう。
落ちるその枚数が徐々に少なくなり、一応の落ち着きが見られた。
そして、別のものが落ちてくる。
「うっ―――」
ぽろり、と落ちてきたのは、単なるごみのように見えた。
木の枝だった。
単なる、木の枝だった。
俺は、その木の枝が落ちた場所の、すぐ近くにいた。
だから、視界に入ったのだ。
その木の枝が落ちてくる時。
その枝の切断面が、直線的、かつ滑らかで。
力任せに折られたものではないことを。
綺麗に切られて。
それこそ、美しささえ感じるものだったことを。
魔導砲が火を噴いた。
内部魔石の反応光が漏れ煌く。
最初に撃ったのはキンセイ隊長だった。
「いた!見えた!黒い―――黒いものが!」
辺りに射撃音が響きわたる。
二、三歩足を動かしたキンセイ隊長を見ている間に、俺は一瞬、目標から目を離していた。
バスタムも視界に入る―――奴もキンセイを見ていた。
目標は、葉の陰から飛び降りたようだ。
敵の正体―――いや、性質は直ぐに一つ、理解した。
敵は赤い光を湛えている。
正確に加工された円形の瞳。
直ぐに絡繰を連想したのは、俺だけではなかっただろう。
赤い光が落ちてきて、主張強い残像を印象づけた。
敵は高速で、斜めに落ちた―――いや、そこからさらに曲がる。
異様な方向転換。
「―――えっ」
目標から伸びた
「な―――っ!」
「シトリン、シトリン、今のは」
「ちぃッ―――!」
撃つ。
しかしそれは周囲の森、木に当たるのみ。
黒い目標は再び、しなる紐のようなものを別の木に伸ばす。
赤く光る眼を残像としながら、その身体を振り回すように移動した。
木の幹に吸い付いた紐が―――何故吸い付いたのかはまるでわからないが、それを起点として移動する。
振り子のようだ。
振りかざされる斧のようだ。
伸びたものは紐か?
触手―――のようなものか。
魔導砲を連射するリョクチュウと、ケイカンの近くを
鈍い衝突音がした。
「えっ」
「あぁっ―――!」
再び俺たちから離れていく―――『敵』は勢いが付きすぎている。
「通り過ぎた?」
がさり、と樹上の葉の陰に飛び込み―――隠れた、見えなくなる目標。
魔導砲はそちらに向ける。
「走るぞ!」
キンセイに言われて、それまで自分が立ちどまっていたことに、立ちすくんでいたことに気付く。
息をつく。
呼吸が荒くなった。
「ケイカン!」
リョクチュウが叫んでいる。
「大丈夫!」
言っている彼女が背中を丸めて、片方の腕を抑えている。
その場に
俺は目を見開く。
「大丈夫―――だから!」
ケイカンは叫ぶ。
胃の中の息をすべて出したあとのように声を出す。
「
腕を押さえたまま、
状況を伝える。
俺は頭上を見上げ、目標を探す―――。
刃………刃だって?
畜生―――、人間め!
砲声が鳴り響く。
木の枝を、幹を削っていく。
再び、がさがさと、木の葉が落ちだした。
落ち始めた。
落ち葉の量が増える。
目標は移動している―――赤い光が、一度、二度、ちらついた。
樹上、その緑の海を泳ぐ魚のように。
波にも
魔導砲を上に向けて、反撃の機会を待つ。
砲身を動かして、追う。
大丈夫、位置を完全には追えないが、樹上からなら、距離がある。
ある程度距離があれば、出てきたときに狙えばいい―――。
と、自分に言い聞かせているとき、それは遮られ、中断させられた。
「走れ―――!コハク、お前もだ早く!」
うっ。
と迷いはしたものの、言われて弾けるように足を動かす。
全員が、雪崩を打って駆けだした。
ここで突っ立っているのは危険である。
奴の動きは早く、しかもこの葉で視界が悪い―――動かなければ。
確かに動かなければやられるだけだ―――。
森を出なければならない。
俺も引き金を引くか、攻撃するかと迷っていたが、やむを得ない。
ばたばたと、斜面を下る。
汚れた焼け野原のような斜面を駆け降りる。
途中、幾度か転びそうになる。
森を突っ切る。
森を横切る。
―――ぱっし、ぱっし。
―――ざざざざざざざざ。
―――がさがさがさ。
後方から音が聞こえてくる。
音が迫ってくる。
俺は訓練の頃よりもさらに
前方にはキンセイ隊長やケイカンやウレックがいる。
「おい!おいリョクチュウ!」
背後では砲声に混じった怒鳴り声がする―――攻撃がすんなり当たるとは思えないが、攻撃している。
「おいリョクチュウッ、『これ』がッ、くそ、これが!人間か!」
「想定とは違うが―――、伏せろ!」
背後で風切り音が聞こえるが、バスタムとリョクチュウの安否を、見る余裕がない。
それでも皆走っている、森の奥の光を目指す。
あの光が天国のように輝いて見える。
安らかな光だ。
土がやけにぬめっているように感じられる。
どうせなら芝生を用意しろ、人間界よ。
くそう、もっと早く走れなかったのか、俺は―――心臓が痛いが、まだ遅い、遅いんだよ。
訓練の比ではないほどに疲労する。
視界の端から赤い光が迫る。
黒いものを見た。
体表面には
正確には、黒と、緑―――木の葉の色の縞々に近い模様だった。
迷彩が目的であろう。
触手で木の幹に支えを作り、勢いよく俺に降ってきた。
目は赤い色。
赤い色ではなく、発光していた。
足には銀色の、小刀ともいえる程度の刃が見えた。
足なのか、腕なのかはわからないが。
刃の磨かれたような表面が、木々の色を映して茶色く見えた。
黒い
俺は魔導砲を盾にして、衝突を防御する。
剣と剣が衝突したような音が、辺りに響く。
「………!」
ぶつかった衝撃で、足が少し浮いてしまう。
―――着地。
腕がしびれた。
やつの胴体部に、虫の羽音の元凶があった。
心臓部。
それが振動―――いや、駆動し。
ぶぅ―――ん、と。
乱雑にガタガタと震えて、振動音のようなものを漏らしていた。
「コハク!」
「いい、走って!」
赤い光の残像をたなびかせ、樹上に飛び込むのが見えた。
触手を持っているので、魚というよりも
頭上を、樹上を蠢く蛸。
また木々の中に見えなくなった。
弾けるような音は、木の葉を吹き飛ばす音だ。
―――ざざざざざざざざ。
―――がさがさがさ。
背後から音がする。
『泳いで』いやがる、ヤツが。
死神の鎌を持って。
樹上を近付いて来る。
「くわばら、くわばら―――だぜ!もう!」
俺はとうとう、地獄のような森を出て、淡い光の中に飛び込んだ。
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