第十七話 猿~森林地帯~ 一

界門を抜けたその先には、森林があった。

木々は、島にあったような松の木ではない。

広葉樹が立ち並ぶ疎林だった。


今回は、最初の時のように洞窟の闇はない。

天井は緑色の葉と、枝のみ。

奥には辛気臭い曇天が見える。


「すこし、滑るな―――」


「そうね」


またもや、やや傾斜したような地形だった。

開門が正確に機能したなら、島ではないはずだが。

広原が見えるまで、まずは歩くことにした。

歩くというよりも、落ち葉で滑りそうな坂道を下るといった風だった。

濡れた流れ石のようだ。

黒く湿っている。


それからは。

枝、枝、枝。

黒い影、深い緑、白い土。


今回の任務は、決まったねぐらを持たない行軍。

鬼たちは進む―――ひたすら前進、あるのみの行軍である。


山を下っていく八人の鬼たち。

訓練は一通り受けたので坂しかないような険しい道のりにもを上げないのが、彼ら彼女らだった。

女鬼であるケイカンやシトリンもまっすぐな目をしており、―――いや、よくわからないな。

とにかく、疲れてはいないように見える。

ケイカンは何を考えているのから駆らないし、シトリンはダルそうだ。

木々の合間の獣道。

しかし魔界の獣道と人間の獣道ではまた勝手が違う。


コハクは耳を澄ました―――物音はないだろうか、と。

視界は、森林地帯なのであまり遠くまでない。

人間の気配は、聴覚で知りたい。




「人間は―――?」


「すぐに会えるわけないだろ」


「………なんだよ、遭遇するのが目的なんだろ」


「コハク、焦るな。界門の多くは、人里離れたところに開かれる。これは普通、慣例だそうだ。おかしいことではない」


「そうですけれど………」


あるいは人間の跋扈ばっこする町のど真ん中で―――という可能性もあったのだろうか。

古来より、魔界と人間界の行き来をするものは、あった。

多くは時代の陰で、歴史の陰で、確かにあった。

人間の力を得た魔人は莫大な富を得たと聞く。

先導者、戦争の指揮官、錬金術、巨大な組織の誕生。

時代を切り開くとき、そこには人間界の存在があった。


俺たちは、時折遠くから響く、音を聞いていた。

何か、岩が崩れるような音だったが、山の向こうか、はるか遠くだろう。

何の音だろう―――と気にするほどのものではなかった。


それよりも今、目の前で人間が現れて襲い掛かってくるかの心配をした方が得策だと判断しつつ、一行は歩く。

伽話とぎばなしで山中を歩く登場人物のように。

同じ服装で一列に並び、さながら巡礼者のようであった。


「食事にするか」


キンセイ隊長は言った。

これも任務上重要なことではある――――が、一同は、ふう、と息をつく。


「火を焚いてくれ」


まわりは森林なのでいくらでも調達できたが、細い木が意外と見つからなくて歩き回った。

腕いっぱいにまきを抱えてきたときには、発火性魔石で、ばちばちと火花を散らしているところだった。


そういえば肌寒い気もする。

水筒の湯を沸かしている。


鞄に入れてある、携帯食。

魔界産の携帯食。


掌に収まるサイズのものだが、魔界の成分があるのとないのとでは、俺たち鬼族にとって大違いである。

芳しい草の匂い。

魔界の植物をすりつぶして固めたものであり、栄養価としてはかなり高いらしい。

飢えて死ぬものもいるご時世では、十分な御馳走といえる。

魔界のために戦う、従事する軍鬼に対しては、十分な食料が支給されても、魔族は文句を言えない。

遠い敵地、人間界という場所まで旅立つとなってはなおさらである。

しかし、故郷の民に対して罪悪感がないわけではない。

こんなことなら―――。


「こんなことなら、あの時人間に会えたら良かったのにね」


シトリンが言う。

シトリンが言った―――俺を先回りして。


「それはつまり―――あの時、島にいる間にっていうことかよ」


「そうよ、そうすればよかったじゃない、人間も」


「なんなら桃太郎でもいいんだぜ」


人間の将軍ボスを倒してしまえば話は早い―――とリョクチュウも言う。


「日本一の旗を掲げてやってきた桃太郎か」


「日本一………?」


そんな旗を引っ提げてくるのか、豪傑なことだ。


「あれ?俺んとこの地方では、そういう話だったけどな、桃太郎って―――?」


俺は言う。

言いながら、疑問形になる。

魔界は広く、それこそ人間界には及ばないが―――いや、人間界の正確な全容を把握していないが。

それ故に地方によって、伝承、知識は異なることは多い。

この小隊に配属されてから二年半ほどになるが、その中で隊員の入れ替えはあったし、皆のことをよく知らない。

幼馴染といえそうなのは今は手厚い看護を受けているリンカイくらいなものであり。

皆、出身地はバラバラなはずである。


「日本一の切れ味を誇る妖刀―――ではなかったか?」


「私は、ちゃんと旗をもっていると聞いたけれど」


「背たけが、鬼の三倍はあるという大男よ」


「強いことは間違いないんだろう。ご先祖サマとやり合ったんだから」


「………その当時の惹句じゃっくだ、キャッチフレーズだったらしい」


リョクチュウが言った。

例の語り口だ。

あれが始まるぞ―――俺は意外と楽しみなのだが。


「ん………」


「それは桃太郎に限ってはいない―――何事にも、使ったようだ」


鬼や、鬼ヶ島とは関係なく。


「例えば商人がモノを売りさばこうというときに、『これは日本一のもの、日本一の品質で効果は覿面てきめんですよ』というような売り文句だった」


「あれ、じゃあ桃太郎が、言い出したわけではないのか」


「そうなのだろう」


商人。

そんなものが、この世界にもいるのだろうか―――この木々の間の獣道だけを見ていては、何も想像がつかないのだが。

ううむ。

不思議なものだ。

魔界にも、繁華街に行けばそれこそ大勢いるはずなのに、そういう想像はつながらない。

湿潤な気候の森林では、やむを得ないが。

町に降りればあるいは―――いるのだろうか。


食事を終えた。

携帯食だが、やはり原料が魔界のものであるうちは、食える味だ。

食べ終わった俺は、立ち上がり、森林の周囲を見回し―――敵地だがやはり何もいないことを確かめる。

そして、ふと気になったものがある。

木の幹の下。麓と言える―――根本の辺りに白い土がある。

ウレックの顔色よりも白い、純粋な白いものだった。


少し歩いて、近づこうとする。

首筋に、冷たい針のような感触が、刺した。


「うっ!」


俺は振り向いて、取り乱す。

誰かに触れられたわけではない。

首を触ると、そこに傷などはなかった。

だが、濡れている―――水で、濡れている。

水がうっすらと、ついているだけだった。


数秒、突っ立ったままになる。

攻撃ではないと実感するまでに時間を要した。


「どうした?」


「いや、冷たいものが―――」


天を見上げる。

木々の上である。

曇天の合間に、わずかな曙光が見える。


少し考え込む。

今のは木の上から、水滴が降ってきただけで、それ以外なかった。

しかし冷たいな。

だから焚き火をしたのだが。


気を取り直して、木の根元、ふもとの辺りの白い土を見る。

近付いて、しゃがむ。

手袋越しの指で、その土を押すと、さくり、という音とともに、指の形にへこんだ。

さくり、さくり。

小気味良い良い音が鳴る。


「どうした、コハク」


「いえ―――危険なものでは、ない―――です」


俺は戸惑い、迷いながら言って、立ち上がる。

皆の背に向かって、歩いて戻る。

空から、きらきらとしたものが降ってきた。


ちいさな、儚い白い結晶。

肌に触れて、静かに水に融け変わった。

結晶から水滴になった。


それは、千年前からこの国に降っているものであるということはわかった。

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