第十八話 猿~森林地帯~ 二

「雪―――」


空から白い綿毛のようなものが降りてくる。


雪。

雪である。

それを最初に口に出して誰が言ったか、までは覚えていない。

しかし言うまでもなく、俺たちは歩く。

気づくというよりも、気づいても構わずに歩き続ける。

人間界の降水現象の一種である雪は灰色に輝き、日光をたたえて降り注ぐ。

雪は何らおかしくない気象現象であり、それは千年前からある。

存在している。

もちろん、もっと激しく降る地方もあるだろう。


魔界は魔界で、様々な固有の気象現象がある。

西の大陸の、ひどい瘴気しょうき流などは魔族にも死者が出る大いなる自然災害だ。

今現在続いている、食糧難も自然からの報いである。

それに比べれば人間界の雪など、魔界よりも随分と可愛らしい。

寂しいくらいだ、はかないくらいだ。


雪が俺のつのにそっと落ちて、ひと息の間に、溶けて水になっていく。

鼻の上のほうまで水滴が伝ってきた。


「………………」


天候に目を引かれたことは事実だが。

それよりも、今は山を下ることが先決である。

重要である。


鬼たちは歩く。

小隊の八鬼は、見知らぬ世界の山を下る。

その歩いた先は海を想定してしまう、脳裏に浮かべてしまうのは、あの任務の影響である。

あの島でも随分と坂を下ったものだ。

ここには岩の遮風壁は存在しないものの。


「方角はこちらであっているのですか、隊長」


リョクチュウが隊長に尋ねる。


「―――この方角だ。最初から間違っていてどうする」


「はぁ………」


曖昧な返答のリョクチュウ。

本当に尋ねたかったのは、道のことで合っているのか?

実は天候のことではなかろうか。

雪の方が気になるがね。俺は。

視界に影響が出てくる。

気温の低下に関しても、任務への支障を考えないわけにはいかない。

しかし、この魔軍服は防御性能とともに断熱性も兼ねている。

そもそも、俺たち鬼族は気温変化に対してはそう弱くない。

行軍に影響は少ないだろう。


とは言いつつも、少し様子を見る限り、ちらほらと降るだけの雪だ。

天候が強力になり、雪が吹雪になる、などということはなかった。

小隊が気にせず進める程度の雪だ。





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鬼たちは歩く。

鬼たちは気づかなかった。

鬼たちが歩いているその山の木々。

その枯木の一本。

木の幹に隠れるかたちで、精密な、精巧な、立方体の箱が置かれていることに。

黒く、茶色く、木々の、土から出た根に隠れる色であった。


鬼たちは通り過ぎる。

何も起きなかった。

『箱』は鬼たちに対して、何も危害を加えない。

攻撃しない。

まったく―――動きさえしなかった。

ただ、箱の表面に光っていた緑色の点が。

静かに、赤色の点に変わり。

ピ、と微生物の呻きのように、か細い音を出しただけであった。






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隊長キンセイは思う。

この任務に不安がないといえば、嘘になる。


魔界から再び訪れた戦士、鬼たちは、枯れ葉をさく、さくと鳴らして進んでいく。

雪の落ちる音さえ聞こえそうな静けさだった。

身に着けているのが軍服でさえなければ、行楽日和に自然の中を散策しているだけのようにも見えた。

ほほえましい光景に見える。

あの無人の島の時ではないが、坂を下る機会が多かった。


「いつになったら、出てくるのでしょう」


ケイカンが呟く。

人間のことだろう―――。


「下っていけば、人里ひとざとですか」


リョクチュウがまたもや方角についての質問だ。

無理もない。

視界は木と枯れ葉と柔らかい土しかないのだから方向感覚が不安になる。

支給された方位磁石はあるのだが、これを頼りに進んでいる。

だがあくまで、魔界での訓練で使用したものである、人間界での、確固たる動作保証はされていない。


「ああ、すぐに潜入はしないが―――現時点での人間の文化水準レベルを記録する」


人里が村であろうがなんだろうが―――今度こそは規模の大きい場所だと思われる。

島と同じだとどうしようもない。

乗り込んでいって戦闘をするわけではないことは、知っていた。

自分たちが大隊ではないこと、斥候せっこう、戦地調査であること。

それが、不安だ。

この日本本土上陸行軍が、まさか本当にこの隊で行われるとは。


「あくまで、調査―――」


「敵の戦力の大体のデータを集めて、それからだ、問題は」


隊長キンセイは思う。

出来れば戦いたくないものだ―――と。

人間とは、戦わずに済ませたい。

戦力を鑑みて、魔界は今そのような状況ではない。


住処と食料を手に入れる一定の地区を確保できればよい。

魔族にとって必要なものは、人間界ですべてはまかなえない。

例えば瘴気は、しかし最重要ではないし、小型界門など、送るすべはいくらでも考え付く。

まずは平穏に。

理想は人間に気付かれずに人間界に住み着き始めることであろう。


しかしそれを、そこまでこの隊の中で言えば、戦意を削がれるものもいるだろう。

これは魔界の、本国の『上の者』が決めることである―――。


さきほどからの雪は軽く地面を覆った程度で、降りんだ。

鬼たちの足跡が薄く残る程度である。



「―――小隊長になった、今日」


あの日、伝え方に迷った末に、二人きりで、ぼやくような言い方で昇格を伝えた。

間抜けな台詞になったと、我ながら思う。


故郷にいる父親。

あの鬼は息子の昇進に、着任に、喜びもでもしない。

そうか、といって口元を引き結ぶ。

まだあの鬼は遠い。

しっかりせねば。





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………千年前の『伝説』には、雪など出てこなかった。


ここは寒冷地帯なのだろうか。

だとするなら、ずいぶん違う場所を歩いているのだな。

そんなことを、俺は思う。

ご先祖サマとは違う地方を歩く。

もちろん、小さな違いだが、界門を開いた魔界の者たちは、担当者は、わざわざ違う地方にしたのか。

法族と言ったか。

なんの意図があって?


いや………こうも考えられる。

前回と同じ場所に出現して、人間どもにバレやすい、警戒網にかかりやすい場所であっても困る。

わざわざ向こうの、敵の罠に飛び込んでいくこともない。

意図的に、場所を変えた―――そういうことだろうか。

そうだ、完全に魔界の上層部が決定した、界門の出現場所を、奴らが―――人間どもが、把握できるとは思えない。

地理的な不利は解消、リセットされた。

前のように、『雉』を送り込むことは―――あの白い絡繰を送り込むことは難しくなった。


「隊長―――報告はするのですか」


「うん?」


「ですから、雪のことを―――」


「ああ、天候についても報告はするが、ひどいものではない」


「ええ………確かにそうです。しかし予定には含まれていなかったことでしょう、警戒をしてもいいのでは」


「コハクよ―――雪は、にっくき人間の攻撃か?」


「………いえ、気にし過ぎていました」


俺は周りを見回す。

シャコツコウは相も変わらず陰鬱に押し黙っている。

いつかの、島の民家で話した時以来、隊がそろった時にはほとんど話さない。

ふむ。

もしや、夜になると口数が増える性格なのだろうか。

そうかもしれないが知る由もない。

虫の羽音がした。


森の奥が、明るく光っている。

出口はあるようだが、まだ近づかない。

それでも、森を出れば視界は開け、人里は見つかるだろう。

下手をすれば、いや上手くいけば、それで今回の行軍任務は簡単に達成できる。

確かに可能性がある。


一列の状態で進んでいて、俺は前から五番目にいる形だった。

ふと気になって、後ろを振り向く。

シトリン、バスタムがいた。

ふたりとも振り返った俺のことを、特に気に留めない。

最後尾の白い鬼―――ウレックが、後ろを振り向いていた。

綺麗な、漆黒の後ろ髪が見える。

男鬼にしては艶がある。


ウレック。

新しく入った、白い肌の鬼。

あいつのことはよくわからないが、軍鬼に新しく入隊する者など、珍しくもない。

気にすることはないか。

任務に支障が出なければいい。

構わない。

真面目な奴だといいのだが、な。

バスタムみたいな―――アレみたいなのはもう一鬼増えると面倒だな。

言うことを聞いてくれる素直な性格だと、先輩として助かり―――うん?

ウレック、なんで後ろを見てるんだ、ずっと………。



虫の羽音がした。

ぶぅーん、ぶぅーん。

ウレックの視線の先で、葉っぱが三つ、四つ落ちていく。

ぱらぱらと。

虫の羽音がする方だ。

森の奥に虫がいるのだろうか。


虫の羽音は葉をかさかさと鳴らす。


虫の羽音は近づいてくる。


虫の羽音は木々の枝を小さく揺らす。


虫の羽音は近づいてくる。


虫の羽音は木々の間を飛び交う。


虫の羽音は近づいてくる。


虫の羽音が千はあろうかという葉をがさりと一挙に揺らす。


虫の羽音は近づいてくる。


虫の羽音は木から木へ飛び移ると、枝がいくつかへし折れた。


虫の羽音は近づいてくる。


虫の羽音は木から木へと、飛び移る。風切り声というには、低すぎる音声に変容する―――太鼓の残響のような、重低音。


虫の羽音は近づいてくる。


虫の羽音は高速で大槌ハンマーを振り回すかのような勢いで、枝をぶっ飛ばしながらこちらに向かってくる。

木の幹にあたった枝が小さく弾ける。

くるくる回転する。


虫の羽音は陽の光を遮り、地面に大きな黒い影を落とす。


虫の羽音は近づいてくるが、ぎしぎしと揺さぶられる木の幹の音がやかましいので―――もはや聞こえない。


俺たちの周囲に枝が、葉っぱが、雨のように落ちてくる。

全員が魔導砲を構えて、樹上の葉の奥に狙いを定めていた。

葉の奥に何があるのかは、まだわからなかった。

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