第三十九話 ルミリオ 三
人間界の地下に戻る鬼たちの部隊。
いよいよ見納めに近いらしい、人間界。
その地下区画を十階層ほど降りた。
最初に、少年を追いかけて入った場所だ。
お爺さんとお婆さん。
二人の老人はまだそこにいた。
脇にあるテーブルに、いくつかものがのっている―――箱もあり、食べ物のような匂いがした。
魔界のものとずいぶん違うが―――食事中だったらしい。
少年は見当たらなかった。
マスクをつけて出歩いていた、少年は。
『また来てくださったのですね』
歓迎されたというほどの声色ではなかった、感情はあるのだろうか。
邪慳にされず人間の本拠地に入ることが出来ただけ、マシだろう。
大いなる英知と、まだ何か話す内容を考えていた。
考えてから、やってきた。
まだ残っていた些事、もはや雑談に近い内容のことを大いなる英知と話した。
人間界の現状。
島で見たことの話。
ひと息ついて、老人たちが俺たちを見ていることに気付く。
『よろしければ通訳をしましょうか』
当の本人がそんなことを言い出すものだから、意せずして、この老人たちとの会話が成立した。
そもそも、人間たちとの接触が目的だったとはいえ、ここまでうまくいくことには異常性を感じざるを得なかった。
「本当に鬼ですか―――あなたたちは」
「―――そうだ………」
「ははは」
笑っている。
何を。
幸せそうに見える―――そんなはずがないのに、腹が立った。
この時、通訳にはやはり通訳なりの癖というか、ぎこちない言語であったため、それも感情の昂ぶりに一役買っていた。
「何故―――笑う」
「いや―――失礼したね、そうかもっと怖いものだと思っていた、が」
実際、俺たちは魔導砲――――武器も持ってきているし、その気になればこの老人二人など、容易いだろう。
そんなことは必要ない。
するまでもないのが現状である、が。
警戒しきっているのも軍鬼らしくない。
魔導砲の柄に、指を触れて確かめておく。
「俺たちは人間と戦うつもりだった―――人間が恐ろしかったからだ」
そういうと、さらに笑う。
敵の笑顔から、悪意のようなものが見えれば―――と考える。
敵のあざけりを決して見逃すまいと警戒している自分がいた。
「本当に角があるかい、爺さん」
婆さんが言った。
「ああ、あるよ―――見える」
違和感を感じ、人間の老婆の目を見る。その焦点は、誰とも合っていない。
符合していない。
俺は魔導砲の柄に、触れていた手を離した。
「………そちらの
その
「ええ、そうじゃそうじゃ―――まったくじゃあないが、ここに降りる前に、やった」
「昔は地上で暮らしていたんじゃ、戦争が起きるときに何かしら、失った人間は多い」
地上で起きた、最後で最大の戦争。
人間同士の争い。
使ってはならない規模の兵器。
爺さんは続ける。
「恐ろしい人食い鬼でなくて助かった」」
そういう風には、みえなかった。
この爺さん婆さんは、もはや死ぬことなど怖くないという風にも見える。
「若くて、思ったよりも優しい目をしている。その―――そちらなんて」
指で示されたのは、白い鬼、日本本土探索のみ参戦のウレックだった。
「そちらの鬼、あなたはまるで人間のように見える」
指で示されたことにより、ウレックは少し困ったような表情になった。
目をぱちくりとさせた。
「―――鬼を、見かけで判断してはいけない」
「はは、人もそうじゃ、見かけだけで判断してはいけない―――ま、ああ、あの子がな―――あの子、小さい子供を見たじゃろう、いまはもう行ったが」
「………ああ」
思えば最初に見た人間は、あの子だった。
マスクをつけて、地上にいた、あのちいさな子供。
俺たちの腹くらいの背たけだった、だろうか。
「あの子が街で見かけたらしい。地上で―――駄目だというのに、やはり行きたがるんじゃろう、故郷だから」
「………」
あの少年の故郷というよりは、人間の故郷。
人間という
「ガラクタをあさっとったら、人がいるように見えた―――と」
ガラクタを漁りに行ったら、大人の人間がいて、どきりとした。
その大人は、マスクをつけていないで、人間の写真立てを眺めていて。
反射的に、心配になり、声をかけた。
早く呼びかけないと命の危機だ、そう思った。
「―――マスクをつけずに、どうしてあるいているの」
そう声をかけた。
「………人間に、見えたのか、僕が」
ウレックが言う。
ウレックが自分のことを僕と言った。
「………僕?」
俺がつい口に出してしまったのを受けて、ウレックは振り向く。
そしてばつの悪そうにそっぽを向く。
会話は続いた。
やや強引に話を戻したところもあった。
「マスク、か」
「ああ、それがないと地上では危ない―――もっとも汚染が流れてくる時期は今ではない、過ぎたが―――以前は地獄絵図じゃった」
「………」
「おお、言い方が悪かった、地獄絵図、なんて、あんたら鬼は地獄の出身だった」
「そうではなく、魔界」
「どう違うのか―――」
少し、魔界のことを話してみるのもいいかと、考え込んでいると、爺さんがリョクチュウに気付いた。
リョクチュウは、テーブルの台の上に空いている、食料を見ていた。
ええい、恥ずかしい奴め。
食い意地を張ってわけではないのはわかる。
「ああ―――気にしないでくれ、非常に興味深いと思っただけだ。俺は人間界の食料に関して非常に気になると感じている。観察だけをする―――それだけだ、食べるつもりはない―――そんなもったいないことはしない」
「うるさいぞ、自重しろリョクチュウ―――非常に気になるわ、お前のことが」
「むう」
「この環境下でも、十分な栄養は取れるようになっています。人工的に作られたものです。科学の力のおかげですね」
これは、この発言は爺さんではなく『大いなる英知』によるものだろうということは感じられた。
大いなる英知はあらゆるデータがインプットされているということで、辞書に近い役割だ。
「これは―――新型の食料なのか」
「新型の食料。もちろんそういう品種も多くあります。まだ保存食の開発は進んでいます。食料は新しい品種に変わっていますが、それはむしろ旧式です。缶詰と言います」
硬質な箱だった。
円形であるが、造り自体はシンプルだ。
掌に乗る大きさであり、上部のふたが剝がれている。
ねじ切れた金属。
「それだったら―――ああ、先程、あの子が食べていった」
リョクチュウの手に取った金属製の缶。
その表面には精巧に、黄色い種のような形の絵柄が描いてある。
「甘い匂いがするが―――」
表面の絵柄に気付く。
「黄色い、これは植物か―――?なんなのか、判然としないが」
「それは果物。人間の食事であり、デザートにするためのものですね。甘い汁に漬けこんであります」
「甘味か」
「
大いなる英知が言った。
リョクチュウはそうか―――といって、呟いて、テーブル台の、他の食料に目を移す。
他にも謎の物体が山ほどあり、知りたいことは山ほどある様子だった。
そちらに向いた目が、ふと止まる。
「………桃?」
もう一度、口にした。
振り返る。
もっとも、大いなる英知がどこから話しているか、というと正確にはわからない。
彼には口がない―――彼女かもしれないが。
部屋と話している気分だった。
「そう、桃です」
「………桃、太郎の―――桃?」
「そうですね。その
「………」
しばらく黙ったリョクチュウ。
俺も奴と同じように、絶句した。
こんなところで目にすると、誰が思っただろう。
「いかがされましたか」
大いなる英知が、リョクチュウの呆然とした、停止に―――心配をする。
まるで生きているかような心遣いだ。
「いや、想像していたのとは、ずいぶん違うなと―――それだけだ」
缶詰をもとの場所に戻し、他のものに興味を移すことはなかった。
俺も、想像とは違った。
桃についてもそうだったし。
千年ぶりに目にした人間という種族も、想像とは、ずいぶん違っていた。
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