第十一話 人里に降りた鬼たちは 六

翌朝まで、この異郷、人間界で何事も起こらなかったことが私にとって印象的でした。

人間界の、何もない―――何もない村で。

それは、しかし静かな村の静かな静寂、ではなく。

嵐の前の静けさ。

そう言ってもよいのかもしれません。

島国ならではの風の音や波の音は、常に感じました。

標高が高い位置からだと、海に浮かぶ島々が、見えます。


魔界とは違う音。

隣にいるシトリンは深く、深く寝入っているようでしたが、私は早く目覚めてしまいました。

仮にも敵地なのに、いい神経をしています。


遠く、雲の中でうっすらと光る陽が昇るころ。

私は洞窟へ、隊長のもとへ向かうために丘に上がります。

あの大洞窟は、こうやって毎日生活してから見ると、かなり山頂に近い場所にあるようでした。


陽を受けた村はきれいでした。

昨日までの霧が消え去っていて、屋根が光を放っています。

朝陽を受けて輝いています。

まどろみの中にある村―――いえ、今は港町、のように見えます。



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砂浜へ向かった俺と、キンセイ隊長とケイカンの三人。


「この辺りだ」


足を止めたのは、例の『雉』と交戦した場所だった。

―――ぱき、ぱき。

独特の音が鳴る砂浜を、かかとで磨り潰す―――何か、硬い菓子が砕けるような音が響く。

その合間に『雉』の破片が―――そう、拾い残した破片がまだ残っている


「隊長、リンカイは襲撃の前に、黒い箱を拾っていたはずです………奴からは、何も報告を受けなかったのですか」


「ん―――あんなことがあってはな。撃たれたのだから」


『雉』に正体不明の攻撃で、撃たれたリンカイ。

―――あの黄色の鬼は重傷を負った。

もっとも、どういう弾で撃たれたのかは、わからないそうだが。

敵の攻撃方法は不可解だが、我々よりも高度な技術である、それが関係していると考えて間違いないだろう。


「あの時リンカイは何か喋ろうとしていたのは、確かだが、さっさと界門に押し込んだよ。荷物みたいに運ばれろ、黙れ―――と。向こうの連中、医療班の世話にならないといけなかったからな」


「………」


ざり、ざり。

ぱき、ぱき。

砂浜を歩いて犯行現場を捜索する。


「ともかく、アレは―――例の雉は魔界に送った。俺たちを襲った敵が発見されたという証拠として。サンプルとして。時間さえあれば何かわかるだろう、調べることも解析も、俺たちの任務でない」


「………その中に、黒い箱は」


隊長はため息をつく。


「なかった。………が、黒い箱が何だというんだ、コハク、そんなに気になるものなのか」


「………いえ」


本心を言うと、かなり気になっていた。

リンカイと、白い『雉』と―――あの戦闘の時

雉と出会う直前に、リンカイは舟から黒い箱を回収していた。

何か関係があるのでは、と思わなくもなかった。

夜中、眠れないときに考え出してみると、それは気になって仕方がなかった。


憶測であるので隊長に行ってもまともに取り合ってもらえないだろうという気はしていたが。


「これですか?」


拾ったのはケイカンだった。

俺は近づいて、受け取る。

確かにあの日、リンカイが手に入れたものだった。


「やはり、リンカイのふところから落ちたんだな」


戦闘の最中か―――倒れた時か。


「これが―――」


「これを拾った後に、雉と遭遇したのです」


陽に当ててみる。

黒い、しかし厳密にいえば透明度があり、内部透けている素材だった。

表面は、どういう加工精度なのか知らないが、すべすべとしていた。

内部に何か、人工物が見える。


「何かあるな」


「大切なものかもしれません」


「雉にとってか」


「―――そうかもしれませんが―――白い雉にとってか、あるいは人間にとっても」


とまでは言わなかったほうがよかったかも知れない。


黒い箱。

どことなく、素材の精巧さは雉に似ているものを感じた。

単なる感覚フィーリングの域は出ないものの。

また雉を呼べるかもしれない―――何か情報を掴めるかもしれないという、かすかな期待を込め、俺の懐に入れた。





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岩場で腰を下ろしているシトリンに、近付く。

後ろから岩場を下っていくリョクチュウ。

長い棒を背負っているので降りにくかったが、それを岩肌に立て、杖のようにした。


れますか」


シトリンの、暇そうな気だるそうな背に問いかける。

髪は隊に入る時に短くしたらしい。


「いーえ、ぜんぜん」


「適任じゃなさそうだな」


「ううん、いいよ、じっとしてるの結構好きだし」


もっとアクティブな性格に見えたがな。

隊の入隊試験はそつなくこなしていた気がするがな。

俺は少し間をあけた場所で、釣り竿を振る。


「………釣り竿」


「なんだかふざけているようにも思えるがな」


「馬鹿、何言ってんの―――死活問題でしょ、ウチらにとって」


「そりゃそうだ………そして、釣果ちょうかがなくては困る―――みんなが困る」


そもそもの、この島へやってきた目的。

―――人間界へ、千年ぶりに侵攻し、現地の風土を調査、我々の住み着くにふさわしい土地を見つけ、報告する―――。


「魔界のみんなが困るんだよ………食料がないとさ」


魔界とのつながり、界門によって、瘴気、食料は確保されている―――が、それは最低限のものだ。

人間界の生物についても調査が必要なのでね。


「静かな海」


シトリンはそう言う。

髪がなびく。

その表情は窺えない。


「ケイカンと一緒じゃないのか」


「あの子は―――隊長と、コハクと。砂浜でしょう」


「そうか。俺は―――、俺は本当は村が見たかったな」


「大好きな人間がいないんでしょう、何がいいの」


「何がいいの―――だって?何もかもだ。人間の文明はだな、知恵の結晶だ。この浪漫ろまんの深さが君には理解できないようだな」



魔界の教本で初めて人間についての記述を呼んだのは八つの頃だっただろうか。

人間界という異文化に対して心が躍ったものだ。

この女の、こういう態度は好かん。

人間に興味がないという、この態度に関して、理由もなく苛立つ。

理由………理由はなんだ、何故自分は怒れるのだろう―――自分は鬼であるのに。


ふいに、風が吹いた。

吹いたというよりも、勢いを増した。


シトリンが、ゆっくりと竿を立てる。

釣り糸の先には、魚はかかっていない。

人間界の魚類も見たかったが。


釣り針と、餌だけだった。


細い、湾曲した針の先。

目が四つついている、赤い色の甲虫がうごめいていた。


「―――えさ、やっぱり魔界のむしじゃあ、駄目なのかな―――?」


「そうかもしれないな………」

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