第5章

第29話 僕の親友

 二月、僕は第一希望だった父と同じ大学の商学部へ合格しました。

 父は大層喜び、入学祝いに車を買ってやると言ってくれたので、夏休みに入って免許を取った後、新車のBMWを買ってもらいました。


 まだ免許を取ったばっかりなのにあまり高い車を買っても、もったいないのではないかと父に尋ねると、

「一見して高そうな車が初心者マークつけてると、ぶつけた時厄介そうだと思って周りの車が車間距離を取ってくれるから、これでいいんだ」

 と言われ、僕は妙に納得しました。


 義母は僕に地元の大学に行って欲しかったようですが、義母の言う地元の大学は僕が受かった大学から偏差値が二十近く下がります。

 せっかく地元を離れて勉強を頑張ったのにどうしてそんな事を言うのかと悲しそうに言うと、義母は大人しくなりました。


 高校を卒業して、大学に通う準備を始めるまでの間、僕は例によってずっと実家にいましたが、今回は珍しく父が家にいる事が多く、お祝いにとあちこち僕を連れまわしたせいで、義母は機嫌が悪そうでした。


 弟は友達と外で遊ぶ事が増え、以前より一緒に過ごす事が減っていきました。

 それは弟が家以外にも自分の居場所を見つけたという事で、喜ぶべき事なのですが、少し寂しい気もします。


 高校を卒業してからは、大学の近くのアパートに引っ越した事もあり、溝口さんとは徐々に疎遠になっていくかと思いましたが、そんな事もありませんでした。

 商学部は一・二年の間、都内にある本校舎とは別の校舎で学ぶのですが、その別校舎が通っていた高校と同じ県にあったため、会う頻度が減るどころか、受験が終わった事により、前よりも溝口さんと会うようになったのです。


 サークルは勧誘の女の子が可愛かったのと、賑わってそうという理由で、テニスサークルに入りました。

 真面目に試合に臨むというよりは、サークル内で親睦を深める事がメインのゆるいサークルというのも居心地が良かったです。


 そこで僕は藤沢ふじさわ霧華きりかという女性に出会いました。

 僕と同期生の彼女は、いつもニコニコ笑っていて、常に周りには誰かしら人がいました。


 彼女に想いを寄せる男も多く、彼等が水面下で冷戦の如くけん制し合っていたのも知っています。

 しかし同時に、僕は影で彼女が男女問わず多くの人間をとっかえひっかえしている事も知っていました。

 なぜなら僕もそのとっかえひっかえされた中の一人だったからです。


 二年生になって大学生活が少し落ち着いてくると、僕は以前から気になっていた出会い系サイトなどにも手を出し始めました。

 そして思った事は、ノーマルの女の人よりも、男が好きな男の人の方が簡単に出会えて、経済力のある人も多いので貢いでくれる人も多いという事でした。


 ある日、霧華は言いました。

「私ね、実は昔から人の心の機微にちょっと疎い所があるの。だけど、わからないと気になるでしょう? 心理学の勉強をしてみても、それが全ての人間に当てはまるという訳でもなくて、実際に人と接してみないとわからない事もあるわ」

 それだけ聞くと、研究者気質の真面目な女性のように聞こえますが、更に彼女はこう続けます。


「この人はどんな理屈でものを考えて、どんな行動しているのか、こんな時どう思うのかって、やっぱり知りたくなっちゃうの。仲良くなったらより相手を深く知れるし、手っ取り早く仲良くなるには肉体関係持った方が簡単でしょ?」

 ニコニコと、普段周囲に向けるのと同じ笑顔で彼女は言いました。

 事が終わったベッドの上で。


「……どうして、僕に今そんな話を?」

「んー、中学生の時に何度か揉めたことがあるから、肉体関係を持った人達同士が情報を交換しないように気をつけてはいるんだけど、それとは別にそういうの全部知ってる人は、どんな反応をするんだろうと思って」

 雑談でもするかのように彼女は言います。


「そんな事言って、僕が他の君と肉体関係を持ってる人達にこの事を話したらどうするの?」

「ああ、それならそれで試したい事があるから、別にいいかな。どうするかは任せるわ」

 特に口止めをされる事もありませんでした。


 結局、僕は誰にもその事を話しませんでした。

 そもそも話の真偽も不明ですし、彼女の口ぶりはどこか僕に言いふらして欲しそうなように感じられて、怪しかったのです。


 第一、彼女はテニスサークルに入って半年もしない内に先輩方や同級生からの絶大な人気を獲得し、サークル内で中心的な存在になっていて、しかも清楚なイメージで通っているのです。


 最中に写真を撮った訳ではありませんし、僕と彼女が肉体関係を持ったという客観的な証拠はどこにもありません。

 もし僕が誰かにこの事を話して、彼女がそんな事実はないと否定すれば、完全に僕が変な言いがかりを彼女につけているだけにしか見えません。


 そうなれば、最悪揉め事を起こした張本人としてサークルを出入り禁止にされる事にもなるでしょうし、悪評を立てられ、学内で孤立してしまう可能性もあります。

 僕にはそんなリスクを犯してまで噂を広めるメリットはありません。


 結局僕はそれからしばらく、彼女とは機嫌を損ねない程度に距離を取りながら何事も無かったかのように過ごしました。

 一ヶ月程経った頃でしょうか、その日の授業が終った帰り、僕はある男子生徒に呼び止められました。


「口止めされた訳でもないのに、一真は誰にも話さないんだな。秘密をネタに強請る訳でもなさそうだし」

 始めは何の事かと思いました。


「……何のこと?」

「ほら、霧華ちゃんの事だよ」

 そこまで言われて僕はやっと彼が何のことを話しているのか理解します。


 彼と霧華が所属する文学部は、一年生の時は商学部と同じくこの校舎に通いますが、二年生からは一年早く別の校舎に移動になるので、そもそも、彼がこの場にいる事自体不思議なのです。


 待ち伏せされていた。

 直感的に僕は思いました。


 彼の名前は百舌谷もずや千秋ちあき、後に藤沢霧華と結婚をする事になる、僕の親友です。

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