第15話 既視感

 翌日、いつもより三十分程早く目が覚めた僕は、普段よりも少しだけ緊張しながらいつも通りの時間に登校しました。


 教室に入れば普段通りクラスメートに朝の挨拶をして、席に着いてから前の席の彼女にも挨拶をします。

 昨日学校では話しかけてくるなとは言われましたが、朝の挨拶は以前からしていたので、それ位は許されるでしょう。


 それでも内心ドキドキしていましたが、彼女はいつものように事務的に挨拶を返してきました。

 嫌そうに顔をしかめるかと思っていたけれど、思いの外、平常通りでちょっとがっかりしました。

 その日は一日気づかれない程度に彼女を観察してみましたが、特にいつもと変わったところはありません。


 まるで昨日の会話が嘘のようだとぼんやり考えていると、朝のホームルームで回されてきたプリントと一緒に小さく折りたたまれたメモ帳を渡されました。


 『篠崎くんへ』と書いてあるので僕宛なのでしょう。

 メモ帳を開いて中を見てみると、『明日、五時半に昨日の公園で待ってる』とだけ書かれていました。

 明日の待ち合わせについての指定のようですが、僕は彼女の予想外に丸くて可愛らしい文字に妙に和んでしまいました。


 その日、僕は一日上機嫌でした。

 なんだか心が浮わついて、意味も無く隣町まで足を伸ばして、以前見かけた惣菜屋まで夕食のおかずを買いに行く位に。


 総菜屋からの帰り道、何気なく目に付いた喫茶店で一昨日とは違う男と話している佐藤玲亜を見つけました。

 彼女は僕に気づく様子もなく、目の前に座る男とニコニコと楽しげに談笑しています。

 今日もまた彼女は昼間とはまるで別人のように着飾って、美しく笑っています。


 僕はその姿になぜか胸の奥が苦しくなると同時に既視感を覚えました。

 その既視感の正体がなんなのか、僕はすぐにはわからず、そのまま家路に着きました。


 そして家で夕食の準備をしている時、僕はやっと既視感の正体に気づきました。

 僕の実母です。

 僕はあの時、喫茶店で昨日とは違う男と談笑している彼女に愛人をしていた母に近いものを感じたのです。


 謎が解けると共に、僕は自分の胸の奥が酷くざわつくのを感じました。


 約束の日、僕は前の席に座る彼女の事が気になって一日中落ち着きませんでした。

 放課後までの時間が随分と長く感じられたものです。


 放課後、約束の時間までは結構あったので、僕は一旦家に戻って着替えてから待ち合わせ場所へと向かいました。

 待ち合わせの十分前には着いていたのですが、結局彼女が現れたのはそれから三十分後の事でした。


 約束の時間に遅れて現れた彼女は、昨日二人で話したベンチに僕の姿を見つけると、小走りになる事もなく、悠然と歩いてきて笑顔で手を振ってきました。

 さらさらの長い髪を微かに揺らし、柔らかく微笑む姿に、それだけで惹き付けられてしまいます。


 けれど、遅れてきた事を全く悪びれる様子も無い彼女に僕は少しムッとしたので、約束をすっぽかされたかと思ったと文句を言いました。

 あくまで冗談っぽく笑顔で。


 すると彼女は慌てるでもなく、

「でも、そう思っても今まで待っててくれたのね。ありがとう」

 と、上目遣いで笑いかけてきました。


 その時の感覚を、僕はなんと表現していいのかわかりません。


 彼女の中では、こうすれば男は皆笑って許すであろうと知っている、これは媚びているようで完全に相手を舐めきっている態度なのだと、かつての母の言動が重なってそれが手に取るようにわかるのです。

 だというのに、僕が彼女にとってのそういう対象になっている事が妙に嬉しくてたまらなかったのです。


「それで、篠崎くんの髪を下して眼鏡を取った私を見せるというお願いはこれで叶った訳だけど、篠崎くんはこれからどうしたい? もう解散でいい?」


 悪戯っぽい笑みを浮かべた彼女が尋ねてきます。

 僕はすぐに首を横に振りました。


「学校じゃ話しかけちゃいけないみたいだし、僕、佐藤さんともっと話してみたいな」

「いいわよ? 今日は特に予定がある訳でもないし」


 ニッコリと彼女が笑います。

 つまり、昨日の放課後に会えなかったのは、一昨日の時点で既に例の男との予定が入っていたからなのでしょう。


「それじゃあ、一番気になってる事から聞こうかな。佐藤さんってさ、彼氏いるの?」

 人のまばらになった公園で、僕は尋ねました。

 なんて事のないありふれた質問です。


「ええ、いるわよ。四人程」

 彼女はなんでもないように答えました。

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