第20話 重要な

「最近電話しても出ないし、メールも返ってこないから心配で来ちゃった」

 はにかみながら義母は言います。


「僕の方は特に心配されるような事は何も無いよ」

「学校で辛い事とかない? 嫌ならいつでも帰って来ていいのよ」

 それから義母はゴールデンウィークになぜ実家に帰ってこなかったのかだとか、夏休みには絶対に帰って来るようにだとか言いました。


 僕はそれを煩わしく思いながら、高校生活は充実しているし、そのせいで連絡もおろそかになってしまっているけれど心配されるような事は何もない事を繰り返し説明しました。

 夏休みにはちゃんと実家に帰るので明日には帰ってくれとも付け加えます。


 母親が一人暮らしの子供の所に心配してやって来て、溜まっていた洗濯物を片付けたり部屋を掃除したり、子供の頃から慣れ親しんだ手料理を振舞ってくれて少ししんみりした気分になる。

 そんな内容のドラマをいつだったか見たことがありますが、僕の義母に関してはそんな事は起こりませんでした。


 実家では家事は全て家政婦さんがやってくれていましたし、義母は結婚するまでずっと実家で暮らしていたようなのですが、家事能力はあまり高くありませんでした。


 洗濯をしてくれたのはいいのですが、洗濯機から出した洗濯物をそのまま干して全てしわくちゃになってしまいましたし、部屋はある程度綺麗になっていましたが、相手が義母である事を考えると、家捜しをされたような気分になりました。


 料理は義母の作った物を口に入れる事自体に抵抗があったので、まだ夕食の準備をしていなかったのを良い事に出前をとる事にしました。

 翌日の朝食は今日学校帰りに近所のコンビニで買ったパンで済ませればいいでしょう。


 困ったのは寝床で、僕の部屋には客用の布団なんて無く、ベッドが一つしかありませんでした。

 仕方なく母と二人でシングルベッドで身を寄せ合って寝る事になったのですが、電気を消して横になってからもしばらく義母は話しかけてきます。


「母さまはさ、僕だけじゃなくてもっと裕也の事もかまってやりなよ」

 あんまり僕の事ばかり聞いてくるので、僕は義母の話を途中で遮りました。


「もちろん私は裕也くんの事も大切に思っているけれど、一真くんは家を出て一人暮らししているから余計に心配なのよ」

 一体どの口がそんな事を言うのか、と、僕は思いました。


 それから僕はしばらく義母に聞かれるがままに近況報告をしていました。

 だんだんと返答も面倒になった僕は途中から寝たふりをしてやり過ごしました。

 けれど、寝たとわかると僕の身体を撫で回すのはやめて欲しかったです。


 翌日にはなんとか義母を追い返した僕ですが、精神はかなり消耗していました。

『今週は前倒しで土曜日に玲亜の家に行ってもいいかな』

 休み時間、僕は前の席の彼女にメールしてみました。


 彼女はすぐにメールに気づいて、こちらを振り向く素振りも見せずにメールを返してきます。

『いいわよ』

 断られるかと思った僕の希望はあっさりと通りました。


 土曜日は霧吹きを噴いたような柔らかい雨が朝から降っていました。

 今日は彼女と一緒に買い物に行ける。

 僕は上機嫌で家を出ました。


 佐藤家に着いて玄関の呼び鈴を押すと、既に出かける準備をしていたらしい彼女が傘を持って現れました。

「何かあったの」

 二人で傘を差してスーパーへ向かっていると、彼女が尋ねてきました。


「……母親がさ、昨日うちに来たんだ。最近連絡してなかったから」

「ホームシックになったとか?」

 彼女が茶化すように尋ねてきます。


「逆だよ。夏休みに実家に帰るのも憂鬱なんだ。結構過干渉な所あるから」

「…………親に気にかけられるのって、そんなに嫌な事なのかしら」

「距離が近すぎるのも考え物だと思うよ。玲亜は、もっと親に構って欲しいの?」


 何気なく出た雑談の延長のような質問でした。

 僕はそれまで、彼女の事を我が強いけれど自立心が強くて、自分のする事を人にとやかく言われるのを嫌う性格だと思っていました。

 だからその質問も、まさか。と一笑に付されて終わると思っていたのです。


 しかし、彼女は突然立ち止まり、少し歩いてそれに気づいた僕が振り返ると、少ししてから静かに口を開きました。

「ほとんど顔を合わせないし、たまに顔を合わせてもお互いに空気みたいだし、放任主義と言えば聞こえは良いけれど、本当はどうでもいいだけなんじゃないか、なんて思う事もあるわ」


 物憂げな顔で話す彼女を見たその時、僕は初めて彼女から寂しさのような物を感じました。

 もしかしたら今までもそういった場面はあったのかも知れませんが、僕が彼女の中の『それ』に気づいたのはその時が初めてでした。


「でも、前に言ってたじゃないか、親が自分にお金を出すのは、自分にそれだけの価値を認めてるからだって」

 どこか悲しそうな顔をする彼女に僕はどうしたらいいのかわからなくなって、以前の彼女の言葉を借りて元気付けようとしました。


「そうね、少なくとも両親は私の学費や生活費位の出費は惜しくないみたい。だけどね、世帯収入が五百万円の家と、二千万円超える家の百万円が同じ価値だと思う?」

「…………」


 彼女の言葉に、僕はなんと言っていいのか困りました。

 きっと彼女は、その自己欺瞞ぎまんに気づきつつ、ずっと見ないフリをしていたのだと思います。

 両親が自分にお金を出すのはそれだけ自分を大切に思っているからなのだと、そう思い込もうとしていたのでしょう。


「まあでも、対外的には同じ百万円よね……ねえ、一真は将来自分の子供が欲しいと思う?」

「えっ、それはまだ、わからないけど……」

 僕が答えに困っていると、彼女は小さく笑って、僕の方まで歩いてきます。


「私もわからない。どうして私の両親は私を作ったのか、それとも作るつもりもなかったけど、うっかりできちゃって、気が付いた時には堕ろせる時期を過ぎてたのか……」

 言いながら、彼女は立ち止まった僕を追い越して先を歩き、僕もその後を追います。


「……何かで読んだんだけどさ、子供を作ると死ぬ事への恐怖が緩和されるらしいよ。子孫を残す事で自分が死んでも自分の血を引く子供が生きてくれるからとか……」

 話の方向を逸らしたくて、僕は以前どこかで読んだ話を記憶の隅から引っ張り出しました。


「つまり、自分の複製品を作って代理的に自分の生きたいという欲求を叶えるのね」

「まあ、そうなのかも……」


 彼女の言葉を聞いて、僕は自分の父親を思い浮かべました。

 義母はあまり当てはまりそうにありませんでしたが、父に関してはそう説明されるとに落ちる部分が多々あったからです。


「自分の生きた証というか、爪跡みたいなものをどこかに残したいのかも」

「……だから、仕事が充実してて、大きな成果を残したりすると、あまり子供の存在は重要じゃなくなるのかもしれないわね」


 それは人によるのでは、と言いかけて僕はやめました。

 だって彼女が言っているのは自分の両親の事で、その二人がそうであるという事実があるのなら、他の人がどうであろうと彼女には関係のない事です。


 だけど、どうしても彼女の言葉には抵抗したくて、僕は先を歩く彼女の左手を引いて立ち止まらせました。

 直後、彼女の驚いた顔が桃色の傘の下から覗きました。


「でも、僕にとって玲亜はとても重要な存在だよ」

 僕が意を決してそう言えば、彼女はきょとんとした顔で僕を見た後、へにゃりと間の抜けた笑顔をみせました。

 いつものすました笑顔とは違うそれに、僕の胸は高鳴ります。


「一真は、人を見る目が無いわね」

 そう言って握り返された彼女の手は氷のように冷たくて、もう七月だというのに雨のせいかその日は肌寒い位だったはずなのに、僕はどうしようもなく暑くて仕方がありませんでした。

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