第8話 嘘つき

 僕が義母を押し倒してから一ヶ月が経った頃、暗い顔をした寧々に、

「もしかしたら引っ越す事になるかもしれない」

 と打ち明けられました。


 話を聞いてみると、寧々の父親が社内で不倫をしていたらしく、その現場を押さえた写真が柏田家と父親の勤める会社に送られてきたそうです。

 仕事はクビにはならなかったものの左遷され、両親は今離婚調停中なのだそうです。


「私はお母さんと今の家に一緒に住むけど、学費の問題で転校するかも……私、一真と離れたくないよ……」

 不安そうに言う寧々を前に、僕はただ彼女の話を聞くことしかできませんでした。

 この事は誰にも言わないで欲しいとも言われて、僕は頷きます。

 同時に僕は柏田家や寧々の父親が勤める会社に不倫の証拠写真を送ってきた人物について、嫌な予感がしました。


 早速家に帰った僕は義母を問い詰めました。

 しかし、今度は知らぬ存ぜぬの一点張りです。


「でも、そんな事になってるなんて、柏田さんの所も大変ねえ」

 なんて、他人事のように言うのです。


「柏田さんも家庭の事情で大変のようだし、あまりちょっかい出して邪魔しちゃダメよ」

 義母は興味無さ気に言いました。

 むしろこんな時だからこそ、相手を気遣うべきなのではないかと僕は言いかけてやめました。

 証拠も無い状態でこれ以上義母に何を言っても無駄なうえに、現状で変に神経を逆なでするのも得策ではないと考えたからです。


 義母が必ずしも犯人とは限らないし、仮に義母が犯人だとして、今は家の問題で精神的に参っているであろう寧々の方が心配です。


 気になって、様子を伺うような内容のメールも何度か送ってみましたが、結局その日は何の反応もありませんでした。

 普段はすぐに返信が返ってきていたのですが、明日また会って話せばいいだろう、と、僕は深く考えませんでした。


 翌日、学校に行くと、何かクラスの雰囲気が違いました。

 教室全体がざわめいています。


 何かあったのかと前の席の葛谷つづらや隼人はやとに尋ねてみると、

「柏田の親父、不倫して会社クビになって離婚調停中らしいな、一真は彼氏だからもっと詳しく聞いてるんじゃないか?」

「えっ……」


 僕が寧々から聞いた話とは少し違いましたが、それは全て間違いとも言えない話でした。

「クビじゃなくて左遷されたらしいよ」

 そう僕が口にした瞬間、教室の中が静まり返りました。


 不思議に思って目の前の友人を見れば、教室の入り口に黙って目を向けています。

 入り口の方を振り返れば、そこには寧々が立っていました。

 寧々が自分の席に座れば、クラスでも騒がしいタイプの女子が寧々の席へと歩いていきました。


「ねえねえ柏田さん、転校するって話、マジ?」

 まるでからかうような、揶揄するような調子で彼女が言います。

「…………誰がそんな事言ったの?」


「皆言ってるよ。柏田さんのお父さんが不倫でクビになっちゃって、学費払えなくてうちの学校に通えなくなるんでしょ?」

 悪意と好奇が混じった様子でその女子生徒は寧々に尋ねます。


「………………」

 寧々は黙って机の横にかけたばかりの鞄を持って席から立ち上がりました。

 そのまま寧々が教室を出て行こうとすると、先ほど声をかけたのとは別の女子生徒がからかうように声をあげます。

「あれー? 柏田さんどうしたのー? 今来たばっかじゃん」

 寧々は黙って教室の出口へ向かう足を速めました。


「やめなって~きっと柏田さんも家の事で参ってるんだって~」

 別の誰かが擁護するように言いましたが、まるで笑い話でもするかのような調子で、本気で言ってる訳ではなさそうです。


 そしてそれに合わせて近くにいた何人かがくすくすと笑います。

「何がそんなにおかしいんだよ……」

 気づいたら僕は思った事をそのまま口に出していました。


 しかし、目の前に座る隼人は、

「おい、怒るなよ。皆、悪気がある訳じゃないんだからさ」

 と、へらへら笑います。


「そうだよ。私達、柏田さんの事心配してるんだよ~」

 さっき寧々に話しかけていた女子生徒が悪びれる様子も無く言えば、そうだそうだと何人かのクラスメートが賛同しました。


 僕は居ても立ってもいられず、教室を飛び出して寧々の後を追いました。

 走っている間に予鈴が鳴って、何人か小走りに教室に向かう生徒とすれ違います。

 人気のない下駄箱の前で、僕は寧々を見つけました。


 名前を呼んで呼び止めれば、寧々は振り返りざまに僕を睨み付けました。

「言ったよね、私誰にも言わないでって。どうしてこんな事するの……?」

「僕は言ってない!」

 静まり返った昇降口に僕らの声が響きます。


「ならなんで一真にしか話してないのに昨日の今日でクラス中に広まってるの!? どうして昨日の夕方の時点でさっき教室で言われたのと同じような内容のメールが三浦さんから送られてくるの!?」

 僕に詰め寄る寧々の瞳には涙が浮かんでいました。

 三浦さんは僕らと同じクラスの、おしゃべりな女子生徒です。


「……なんでクラスの皆が知っていたのかはわからない。でも本当に……」

「さっきだって教室で話してたじゃない! そうやって、昨日もあの後、皆に触れ回ったんでしょう? 私は、一真はそんな事しないって信じてたのに……!」

 寧々は教室に入る直前に僕が話していたのをしっかりと聞いていたようです。


「嘘つきっ……!」

 寧々は顔を歪めて僕にそう言うと、そのまま走って昇降口から出て行ってしまいました。


「寧々!」

 すぐにでも走って追いかけたい衝動に駆られましたが、結局僕の足は動きませんでした。


 こんな状況で、信じろという方が無理な話ですし、仮に誤解が解けたとして、これから彼女の家庭事情がクラス中の好奇の的になる事は変わりありません。


 ただ、噂を流した犯人は特定しなければならないでしょう。

 僕は静かな怒りを胸に、教室へと向かいました。

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