第9話 練習しましょう?

 教室に戻ると、既に授業は始まっていて、早く席に着くよう先生に言われました。

 当然ですが、授業の内容は全く頭に入ってきません。


 授業が終ると僕は、クラスメートに柏田寧々の家庭事情の事を一体誰から聞いたのか尋ねました。

 できるだけ相手が話しやすいように、さっきの事で怒ってはいないという風を装って。


 内心でははらわたが煮えくり返るような気分でしたが、それを表に出した所で、皆が口をつぐんでしまうだけだという事はわかりきっています。


 そして周りに調子を合わせながら話を聞いていくと、話の出所は何人かの生徒が親からその話を聞いた、というものでした。


 そして親から話を聞いた、という生徒の中で、特に仲の良かった葛谷隼人に、僕は狙いを定めます。

 以前彼が熱く語っていたバンドについて興味があるので、初めに聞くなら何が良いかと尋ね、放課後にお勧めCDを貸してもらう約束を取り付け、僕は彼の家に上がりこむ算段をつけました。


 彼の家は母親が専業主婦らしいので、恐らくは家にいるだろうし、なんとか取り入って話の出所を確認したかったのです。


 放課後、僕は隼人の家へ初めて遊びに行きました。

 出迎えてくれた彼の母親は背が高く、程よく肉感的な女性ひとでした。


 玄関先で彼女に聞こえるように

「お母さんものすごい美人じゃないか」

 と少しワザとらしい位に言えば、彼女は気を良くしたようで、後で少し高そうなお菓子をおやつと言って持ってきてくれました。


 お礼を言いつつ、こんな美人で優しい母親がいるなんてと大げさに隼人を羨ましがってみると、

「あら、でも一真くんのお母さんも美人じゃない。すごく一真くんの事大切に思っていると思うのだけど」

 少し照れながら彼女は義母の話題を出してきました。


「母の事を知っているんですか?」

「ええ、保護者の役員会で一緒なの」

 意外そうな顔をして僕は尋ねれば、あっさりとその言葉は肯定されました。


 義母は家でたまに役員会の話をするうえ、『葛谷くんのお母さん』の話はたまに出ていたので、その事は知っていましたが、あえて知らないフリをして僕は更に尋ねます。


「そうなんですか……母は役員会で浮いたりしてませんか? 母は少し融通が効かない所があるので人付き合いとか、ちゃんとできてるのかなって心配で」

 少し恥ずかしそうな風を装いながら僕は言います。


「そんな事ないわよ。良いお母さんじゃない。昨日も役員会のメンバーでランチしたのだけど、とても一真くんを心配してて、そういう所は親子なのね」

 隼人の母親は、顔の前で手を振りながら否定した後、クスリと笑いました。


「そうかもしれません……もしかして、その役員会のメンバーって、母の他は内村さんと加賀山さんと三浦さんじゃないですか?」

「そうだけど……もしかして役員の名前、全部覚えているの?」


 驚いたような顔をされますが、僕は笑って首を横に振ります。

 その三人と隼人が、クラスで親に聞いた、と言っていたメンバーです。

 きっと昨日、義母がその食事会の時に寧々の家庭の事を話題に出したのでしょう。


 僕が義母に寧々の事で詰め寄ったのは昨日の夕方ですが、義母はそれ以前に寧々の家庭の事情を知っていた事になります。


「いえ、前に母がその人達の事を褒めていたので」

「あら、そうなの?」


「はい。葛谷さんは細やかな気遣いがとても素敵で憧れるって言ってました……あ、今の母には内緒でお願いします」

「あらー、うふふ」


「ほら、母さんももういいだろ、一真は俺の客なんだから」

「つれないわねぇ。それじゃあ一真くん、何かあったらいつでも声かけてね」

「いえ、お構いなく」


 欲しい情報も手に入れたので後は適当にごまかしていると、ずっと蚊帳の外だった隼人が不服そうに彼の母親を部屋から追い出しました。


 その後は隼人のお勧めのCDを貸してもらったり、彼のお気に入りのアルバムをBGMに、彼の熱いバンド語りを聞きました。


 僕は隼人の家から帰る途中、寧々の父親の不倫を暴露したのが義母だったとして、どうやってその情報を知り得たのかについて考えました。


 もしかしたら寧々やその家族全員の身辺調査を業者に依頼していたのかもしれません。

 仮に既に父親の不倫の噂を聞いて狙いを定めていたとして、現場を押さえるのにどれ位の期間がかかるでしょう。


 一週間か二週間か、もしかしたらもっとかかるものなのかはわかりませんが、義母はその間ずっと、そ知らぬ顔で寧々と僕を別れさせようとずっと手ぐすねを引いて待っていた事になります。


 義母が噂を流すのと、寧々が僕に相談したタイミングがかちあったのは流石に偶然でしょうが、それさえも義母の執念のような物を感じます。


 家に帰ると、義母は何食わぬ顔で僕を出迎えました。

 僕は義母が恐ろしくて、結局何も言えませんでした。


 その日の晩、義母が僕の部屋に訪ねてきました。

 ベッドの中で寝付けずにいると背を向けた部屋のドアが静かに開く音がして、少ししてスプリングが軋む音がします。


 僕が恐る恐る振り向いて目を開ければ、義母がベッドに腰掛けてこちらを見下ろしていました。

「ねえ一真くん、考えたのだけれどやっぱりよそ様の娘さんに迷惑はかけられないわ。女の人に興味があるのなら、お母さんで練習しましょう?」


 前回とは逆に、今度は義母が僕に覆いかぶさって囁いてきました。

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