第7話 大切な人

 義母が言うには、彼女と僕とでは家柄が違うし、彼女なんて作っては勉強の妨げになるというのです。

 といっても、寧々の家は普通の一般家庭でしたが、両親も共働きで別段お金に困っている様子もなく、僕の成績も中学に入ってから今までずっと変わらず学年トップだったので特に影響があるとは思えません。


 そもそも、今すぐ結婚する訳でもないのに、なぜ家柄をそんなに重視するのかも僕にはよくわかりませんでした。


 それを義母に伝えた所、今度は自分に黙ってそんなに前から影でこそこそ彼女を作っていたのかと、かなり機嫌を損ねてしまいました。

 父は義母からその話を聞いても、それ位いいじゃないかと返して、また義母を怒らせていました。


 翌日から父はまた出張だと言って家を空け、ほとぼりが冷めるまで家には帰らないので後はよろしく。という内容の連絡をその後、僕によこして来ました。


 父はこういう時、大抵僕の味方をしてくれますが、義母の説得にはあまり役に立ちません。

 結果、義母との対話は僕が自分一人でどうにかしなくてはならなくなるのです。


 この頃になると、あまりなんでも義母の要求を聞き過ぎるのも良くないと感じ始めていました。

 ただ、完全に要求を突っぱねてしまうと、それが原因で義母から嫌われてしまうのではないか、という考えもよぎります。

 僕はどうしたらいいのか、わからなくなりました。


 義母は父と揉めてから、部屋に閉じこもって食事にも出てこなくなりました。

 家政婦さんの話によると、僕と弟が学校に行っている間は普通に部屋から出てくるし、食事もしているようです。

 単純に僕と顔を合わせたくないのでしょう。


 僕が義母の部屋を訪ねて、自分が悪かった彼女とは別れると言えば、機嫌を直して出てきそうな気もしましたが、どうしても言いたくありません。


 寧々と別れたくないというのもありましたが、それをしてしまうと、義母との関係が取り返しのつかない形で確定してしまって、今後何をするにも全て義母に伺いを立てなければならなくなるような気がしたのです。


 当時の僕は、何かと干渉してくる義母に煩わしさを感じつつも、正面からぶつかって、切り捨てられる事が恐かったのだと思います。


 そんな時、複雑な事情を何も知らない弟だけが僕の癒しでした。

 弟のこの前ケンカした友達と仲直りしただとか、今日はこんな事があったという、他愛の無い話を聞いていると、なぜだかとても安心しました。


 部屋に篭ったまま出てこない義母を心配する弟には、

「母さまは今、風邪で寝込んでいるので、部屋の周りでは騒がしくしないで、なるべく近づいてはいけないよ」

と言い聞かせます。

 気が立った義母が何かの拍子に弟に手をあげないか心配だったからです。


 しかし、慣れというのは恐ろしいもので、義母と顔を合わさない日々が続くと、逆にずっとこのまま部屋に篭ってくれていた方が、僕の気も休まるのにと思い始めていました。


 そんなある日、寧々から相談を受けました。

 話そうかどうか迷ったのだけれど、と言い辛そうに話す彼女から聞いた話によると、一昨日の放課後、僕の母親だと名乗る女性から大事な話があると呼び出されたそうです。

 指定された喫茶店に着いて何の用なのかと尋ねたところ、義母は寧々に僕と別れろと言ってきたそうです。


 寧々が断ると、その場で泣かれたそうなのですが、寧々がいかに僕と釣り合わないかと話す時、なぜか寧々の両親の勤め先まで知っていた事が不気味だったそうです。

 流石に僕は嫌な予感がして、その日家に帰ると義母にどういうつもりなのかと問い詰めました。


 義母は僕が部屋を訪ねるなり、やっと来たと嬉しそうな顔をして僕を迎え入れました。

 僕が問いただすと、あっさり義母は何をやったのか白状しました。


 まず、学校の保護者会の役員をやっていた義母は、同じ役員をやっていた僕の友人の保護者から僕に彼女がいるらしいと聞いたそうです。


 話を聞いて僕の彼女の名前を知った義母は、そこから寧々や寧々の家族に関する情報を人づてに集め始めました。


 主婦の繋がりというのは恐ろしいもので、寧々の両親は二人共フルタイムで働いている事や、その勤め先や役職、家や車からの大よその世帯年収までわかったそうです。


 同じ会社に旦那さんが勤めているという奥さんに聞いたと義母は言いました。

 そして、寧々の家と近所付き合いのあるその奥さんから寧々の母親の勤め先も教えてもらったようです。


 一体、そんな事して何がしたいのかと僕が尋ねれば、

「だって、一真くんの彼女でしょう? やっぱりちゃんと知っておきたいじゃない」

 と、まるでそれが当たり前の事であるかのように義母は言います。


 僕は心底その言葉に嫌気が差しましたが、顔には出さず、こう尋ねました。

「それで、僕が納得できるだけの別れる理由は見つかった?」

 直後、義母の顔が引きつります。


「それじゃあまるで、私が意地悪であなた達を別れさせようとしてるみたいじゃない」

「違うの?」

「違うわよ、私はただ、相手の女の子が本当に一真くんにふさわしいかどうか確かめたかっただけよ」


 僕が静かに義母の元へ歩みよれば、義母は少し焦ったように後ずさりました。

 そのまま義母がベッドのすぐ近くまで後ずさって行ったので、義母の膝裏がベッドのヘリに触れるタイミングを見計らって僕は義母を押し倒しました。


「か、一真くん……?」

 押し倒した義母の腹の上に跨ってマウントを取ったところで義母を見下ろせば、そわそわしながらもどこか期待したような顔をしていました。


 それを見て僕は、ああ、この人はもうダメだな。と、何とはなしに思いました。

「ねえ母さま、もし僕が、あの子とはただの遊びで、女の人の身体に興味があるだけだって言ったらどうする?」

 指で義母の腹から鳩尾の辺りまでをゆっくりとなぞり、笑顔を作りながらながら僕は精一杯の虚勢を張ります。


「本当は誰でもいいんだ……それが母さまでも」

 全く抵抗する気が無いらしく、さっきから動かない義母の耳元に僕は顔を寄せてこう囁きました。

 義母が息を飲むのが見て取れました。


「一真くんが、望むなら、私はいつでも……」

 顔を赤らめた義母が言いかけた瞬間、僕は身体を起こしてその言葉を遮りました。

「でも、母さまとはしない」


 直後、義母が目を見開き、困惑したような顔を浮かべるのを見下ろしながら続けます。

「だって母さまは、とても大事で特別だから、母さまとはしたくない。僕にとって母さまは他の女の人とは違う、大切な人だから」


 僕が言い終わると、義母は動揺しているような、感動したような様子で両手で鼻と口元を覆って目に涙を溜めていました。

「ね、だから母さまが心配するような事なんて何も無いんだ。ちゃんと勉強もするし、人間関係も気をつける。ただ、ちょっと息抜きがしたいだけなんだ」


 上に乗っていた自分の身体をどかし、義母の身体を抱き起こしながら僕が囁くように言えば、顔を真っ赤にしながら何度か小刻みに頷いてくれました。


「ありがとう、わかってくれて嬉しいよ」

 微笑みながら義母にそれだけ言うと、僕は両親の部屋を後にしました。


 その日から義母は僕が彼女を作る事に関しては何も言わなくなり、僕は上手く義母を丸め込んでやったと、あの日まではそう思っていました。

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