第22話 夏休み

 夏休みに入って僕が実家に帰ると、家族は歓迎してくれましたが、僕の気は晴れないままでした。

 僕が実家に帰った日、父と義母と僕と弟で外食に行きました。


 夜景が綺麗なレストランの個室で、運ばれてくる料理はどれも高そうな物ばかりでしたが、僕はあまり食欲が湧きません。


「なんだ、帰って来てからずっと元気がないみたいだけど、どうかしたのか」

 父が不思議そうに尋ねてきました。


「……なんでもないよ」

「失恋でもしたか」

「……」


 僕は返答に詰まりました。

 失恋というのも、間違いではなかったからです。


「なんだ、そうなのか」

「…………まあ」

 すると、父が驚いた顔をしましたが、僕はめんど臭くなって、控えめに父の言葉を肯定しました。


「一真、失恋の痛手を癒すのは新たな恋が一番だぞ」

「へえ……」

 父はしたり顔で言いましたが、僕は気のきいた言葉を返す気にもなれません。


 それで一度話は流れたのですが、母がお手洗いに立っている時、父は再びその話をしてきました。

「好きな子にふられて落ち込む気持ちはわかる。もう人を好きになるなんてできないとさえ思う事もあるだろう。そういう時はな、できるだけ簡単に落とせる相手を狙って付き合うんだ。そうすれば自信も戻ってくるさ」


 父はその手の話を僕にする事は今までも多々あったのですが、弟の前では教育に悪いのでやめてほしいと自分の事を棚に上げて思いました。


 弟はいまいち父のアドバイスを理解できてないようで、

「なんで好きな子にふられたら他とつきあうんだ?」

 と首を傾げています。


「今はわからなくても、大人になったらわかるさ」

 と、父は言いましたが、僕は弟にはそんな大人にはなって欲しくないと思いました。

 僕は、この時既に自分が相当なろくでなしであるという自覚があったからです。


 翌日、僕が何もやる気が起きなくてぼんやりしていると、弟が声をかけてきました。

「兄ちゃん、散歩に行こう」

 弟は僕を近所の公園まで連れて行きました。


「見てて」

 弟は鉄棒の前で僕にそう言うと、逆上がりをして見せました。

 僕が家を出る前まではできなかったはずです。

 きっと繰り返し練習をしたのでしょう。


「すごいじゃないか」

 僕がそう言って褒めれば、弟は照れたように笑いますが、すぐにその笑顔は曇りました。


「でも、お母さんは、僕が逆上がりできるようになっても、ピーマンを残さず食べられるようになっても、テストで百点とっても全然褒めてくれないんだ。習字で金賞とっても、兄ちゃんは特選だったって……」

 話すうちに、弟の声はどんどんか細く、震えていきました。


「僕、どうやっても兄ちゃんみたいに上手くできなくって、どうしたら兄ちゃんみたいになれるのかなぁ……」

 涙ながらにしゃくりあげながら言う弟に、僕は何も言えませんでした。


 僕のようになんかならなくていい。

 そう言ってしまうのは簡単ですが、それで弟の評価が下がって何らかの不利益を被ったとして、僕がその責任をとれる訳ではありません。


 弟はきっと自分のできる限りの努力をしてきたのでしょう。

 努力の末に出した成果も僕と比べられて正当に評価もされず、心をすり減らしているのでしょう。

 そんな弟に努力が足りないだとか、もっと頑張れなんて、言える訳がありません。


 そもそも、僕と違って弟は正真正銘生まれた時から篠崎家の子供なのですから、こんなに蔑ろにされるべきではないのです。

 責任は半分位は僕にもあるでしょうが、それにしたって、義母はもっと弟の事をかまってやるべきなのだと、その時僕は静かに憤りました。


 弟が落ち着くのを待って家に帰ると、義母がケーキを取り寄せたので三人で食べようと僕らに言ってきました。

「兄ちゃん、こっちにはいつまでいるの?」

 ケーキを食べていると、弟がそわそわした様子で聞いてきました。


「今週末まではいるよ」

「えっ……そんなにすぐ帰っちゃうの……?」

 僕が答えると、弟は急に悲しそうな顔をします。


 一体どうしたのかと思っていると、義母がテーブルの上に置かれていたチラシを僕に渡しました。

 来週末に近所であるお祭りの告知です。


「一真くんが夏休みに帰ってくるって言ったら、裕也くん、一緒に来週のお祭りに行くんだって楽しみにしてたのよ。来週までいられない?」

 義母が僕の機嫌を伺うように尋ねてきました。


 このお祭りには去年弟と二人で行っていて、弟は随分とはしゃいでいたのを思い出します。

 再来週には学校の友達と出かける約束があるので必ず帰らなければなりませんが、来週は特に予定もないので、それ位ならいいでしょう。


「…………まあ、来週までなら」

「やった!」

 僕が返事をすると、弟は嬉しそうに手を叩きました。


 あんまりにも喜ぶので、僕は実家にいる間はできるだけ弟にかまってやろうと思いました。

「裕也、僕がこっちにいる間にやりたい事とか、他にない?」

「じゃあ、花火やりたい! あとプールに行って、遊園地にも行きたい! 映画も!」

 僕が尋ねると、弟が目を輝かせながら言います。


「なら、全部行こうか。これを食べ終わったらやりたい事を書き出して、予定を立てよう」

「うん!」

 相変わらず僕の気分は沈んだままでしたが、いっそ予定が埋まっていた方が気もまぎれるでしょう。


「待って、子供だけで遠くに行くのも心配だから、お母さんもついていくわ」

 弟とこれから二週間何をしようかと話していると、義母が遮るように僕達の話に入ってきました。

 

 僕も高校生だし、ちゃんと弟の事は見ているから大丈夫だと言って断ろうとした時、

「ほんと? お母さんも来るの?」

 と、弟は声を弾ませました。


 きっと今まであまりかまってもらえなかった母親と出かけられるというのが嬉しいのでしょう。

 僕は言いかけた言葉を飲み込みます。


 結局、食後に母も入れた三人で出かける予定を立てました。

 楽しそうに予定を立てる弟を見ると、僕が煩わしく思っている義母は、未だ弟の世界の大半を占めているのだと感じました。

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