第26話 大人の友達

「どうしたんだい、こんな所で」

 僕に声をかけてきたのは、僕が通っていた歯科医院の担当歯科医の男性でした。

 顔はわかったものの、名前は覚えていなかったのですが、相手は僕の事をしっかり覚えていたようです。


「いえ、少し、思い出してしまって……」

「何があったのかは知らないけれど、今日は一人かい? 友達は?」

 一人だと僕が答えると、その人は僕の隣に腰を下ろしました。


「冷たいね。もう随分夜は冷えるようになったし、どこかで温かい物でも飲もうか。夕食はもう食べたかい?」

 僕の手をいきなり握ってきてそんな事を言うので驚くと、その手はすぐに引っ込められました。


「まだ、食べてないです」

「じゃあ僕と同じだ。何か食べたいものはあるかい? ついでだからご馳走するよ」

「いえ、そういう訳には……」

 流石に悪いと思い僕は首を横に振って断ります。


「親御さんが心配する?」

「一人暮らしなので、それはないですけど……」

「なら、特に予定がなければ付き合ってくれたら嬉しいな。今日は一人で食べる予定だったけど、誰かいた方が気がまぎれるし」


 その人がどこか寂しそうに言うものですから、なんだか悪いような気がして、僕は彼に夕食をご馳走になる事にしました。

 連れて行かれたのは落ち着いた雰囲気の食堂で、僕らはカウンター席に並んで座りました。


「あ、ところで僕の事誰かわかってる?」

「はい、歯医者さんですよね、この前僕が行った所の……」

「ああ良かった。それなら良いんだ」


 席に着くと、思い出したようにその人は僕に尋ねてきました。

 僕が頷いて答えると、その人は安心したように胸をなで下ろします。

 そして改めて自己紹介をしてくれました。


 溝口みぞぐち大和やまとと名乗るその人は、僕がその頃通っていた溝口クリニックの院長で、見た目は三十代半ば位のように見えましたが、実際は四十過ぎだそうです。

 最近、自分の歯科医院に通っていた未成年が暗くなった繁華街近くのベンチで一人泣いていたので、何事かと思って僕に声をかけたそうです。


 僕はそこでやっと自分が客観的に見てどんな状態だったかに気づいて恥ずかしくなりました。

 溝口さんには、高校で好きだった女の子が最近不慮の事故で死んでしまった、彼女と出かける約束をしていた場所に足が向いてしまったけれど、途中で悲しくなってしまったと、玲亜の事を所々ぼかしながら話しました。


 彼は親身になって話を聞いてくれて、僕の肩を抱くと、辛かったね、悲しかったね、と優しく声をかけてくれます。

 すると、乾いていた涙がまた溢れ出してきました。


 少しすると頼んだ料理も届き、食事をしながらお互いの事を話しました。


 溝口さんの話は当時高校生だった僕には知らない世界の話ばかりでとても興味深かったのを憶えています。

 意気投合した僕達は、帰り際には携帯の連絡先を交換していました。

 家もどうせ近所だからと、アパートの前までタクシーで送ってくれました。


 それから僕は何とはなしに溝口さんとメールのやりとりをするようになります。

 話題は取り留めのない事ばかりでしたが、だいたい数日に一度位のペースでだらだらと続けていました。

 その関係はしばらく続き、やがて僕達は休日に一緒に出かけるようになりました。


 ちょうどその頃です。

 恭子さんに子供ができたという報告を受けたのは。

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