第37話 わがまま

 大学三年の冬休み、僕は実家に戻ってきていました。

 弟は中等部に上がってからは部活に入り、家以外での自分の居場所をより確立しているようでした。


 書道部なのですが、弟の通う学校は競書大会にも積極的に出品していてかなり活発な部活のようです。

 行書の難しさや面白さ、部活に入って新しくできた友達や尊敬している先輩の話、最近中学に入って初めて大会で入賞できた話等、楽しそうに話す弟を見ると、安心するとともに、やはり寂しさを感じます。


「あいつはあんまり俺には似ていないからなぁ」

 父に弟の事を尋ねると、そうこぼしていました。

 弟の趣味嗜好は父とかけ離れているので、父は弟とどう接していいのかわからないようです。


 どこに連れて行って、何を買ってやれば喜ぶのかもわからない、と、父は言っていました。

「どこでも好きな所に連れてってやったらいいよ。何が欲しいのかも裕也に直接聞いたら良い。たぶん、それだけで裕也は喜ぶと思うよ」


 僕がそう答えれば、父はそうだろうかと首を傾げていました。

 父は四人兄弟の末っ子で上三人は姉で、幼い頃から母と祖母、三人の姉に甘やかされて育ったと聞いています。


 父の父、つまり僕から見た祖父は、仕事詰めで基本家におらず、たまに帰ってきた時は寝ているか色々お土産をくれたり、何かしら買い与えてくれる存在だったようです。


 義母も怒った時はヒステリックに父に怒鳴り散らしますが、普段は基本的に父に従順です。

 僕は貰われてきた時から、いかに父の機嫌を取って気に入られるかを考えて行動してきました。


 要するに、家族というカテゴリの中において、弟だけが父に対して積極的に媚を売って機嫌を取ろうとしてこない初めての存在なので、どう接していいのかわからないようなのです。


 また、父は基本的に面倒事は嫌いなので、煩わしいと思うと、それから逃げようとする傾向があります。

 僕もその事は弟に前もって話していたのですが、そのせいで余計に弟は父から嫌われまいと自分からはあまり話しかけないようになってしまったようです。


 そのせいで父は自分は裕也から嫌われているのではないか、と思ってしまっているので、完全に全てが裏目に出てしまいました。


 義母は、この頃になると、大分落ち着いてきて、僕に対しても妙に余裕のある態度をとるようになりました。

 服や宝飾品が増えたり、以前よりも美容に気を使っているらしい所を見ると、どうやら僕や父以外にも新たに男ができたようです。


 それならそれで、新しい男の方に行ってもらって僕は一向に構わなかったのですが、その事をやんわりと伝えて見ると、ヤキモチを妬いていると思われたのか、僕が本命なのだと言われてしまいました。


 家に帰って三日目の朝、弟は僕に朝食の後、相談があるとこっそり耳打ちしてきました。

 何かと思い、食後に弟の部屋に行ってみると、弟はもじもじした様子で、

「どうやったら俺も兄ちゃんみたいに人から特別に好かれるようになるかな……」

 と相談してきました。


 弟の学校での話を聞くに、人間関係は良好であるように思えます。

「つまり、どうやったら女の子からモテるようになるかとか、そういう話かな?」

 尋ねてみれば、弟は大体そんな感じだと気恥ずかしそうに頷きました。


「最近気になる子でもいるの?」

「気になるというか、好かれたい人がいて……」

 弟の口ぶりからするに、相手は上級生でしょうか。

 僕は微笑ましく思いながら話を聞いていきます。


「多分、俺が兄ちゃんみたいにもっとなんでもできたら良いんだろうけど、俺、何をやっても一番にはなれなくて……」

 弟は肩を落として俯きます。

「人と仲良くなるのには、必ずしも何かで一番にならないといけない訳じゃないよ。相手に裕也と一緒にいると楽しいって思ってもらう事が大切だと僕は思うな」

 僕は弟の頭をポンポンと撫でながら話しかけます。


「でも、母さんにそう思ってもらうにはどうしたらいいんだろう……父さんだって俺にはあんまり興味が無いみたいだし……」

 しかし、その後弟の口から出た言葉に、僕は固まりました。

 硬直した僕を他所に、弟は更に続けます。

「俺は兄ちゃんと違って出来が悪いから、いつも母さんをがっかりさせてしまうし、父さんも俺を見てくれない」


 学校で新たな居場所ができたとして、それで弟の家族に対する悩みが消える訳ではありません。

 それは、至極当たり前の事です。

 僕はその話を弟から聞かされた時、どうしようもなく胸が締め付けられるような思いでした。


「兄ちゃんはさ、父さんが帰って来ない時とか、たまに母さんと……してるよね。初めは二人が何をやってるのかわからなかった。兄ちゃんが母さんをいじめてるのかと思った。でも、母さんはそれを望んでいるようだし喜んでた」

 しかし、直後の弟の言葉に、僕は一気に血の気が引きました。


「最近になって二人が何をしてたのかわかった。多分、それが普通じゃないって事も。だけど、それってつまり、それだけ母さんにとって兄ちゃんが特別だって事だよね……ねえ、どうしたら俺は兄ちゃんみたいに特別になれるの……?」

 弟は僕の服を掴んで、今にも泣きそうな顔で見上げてきます。


 僕は心底ゾッとしました。

 弟は僕と義母の関係を前から知っていたらしく、その行為の意味も理解したうえで、僕のようになりたいと、本気で思っているようでした。


 義母が他のどんな男に手を出していたとしても、それだけは絶対に阻止しなければなりません。

 きっと弟は、子供の頃から家族の中で自分に特別かまってくれる存在が僕しかいなかったから、ある種の刷り込みのように、僕のすることが全て良く見えるのかもしれません。


 しかし、それでは僕だけではなく、弟まで道を踏み外してしまいます。

 非常に身勝手な話ですが、僕や両親がいかにろくでなしのダメ人間だったとしても、弟だけはまっとうな道を歩いて、正しい人間になって欲しいのです。


 将来は健全で善良な人達に囲まれて、幸せな人生を歩んで欲しいのです。

 もしそうなったなら、それだけで僕は救われるような気がしました。

 これは僕のエゴであり、ただのわがままだとはわかっています。


 その日、僕は自分のわがままのために自分の家族を捨てる決意をしました。

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