第46話 二番目
琴美への別れ話は電話でしました。
直接会って話すと、情が湧いて流されてしまいそうな気がしたのです。
また、最近すっかり僕にべったりになってしまった琴美には、自然消滅を狙うのではなく、はっきりと別れ話をして別れた方がいいように思えました。
下手すると琴美は音信不通になってもずっと僕を待っていそうで、それは僕の本意ではないからです。
「えっ……?」
「別れよう」
電話越しに琴美が聞き返してくるので、僕はもう一度同じ事を言います。
「………………なんで? 私にダメな所があるなら直すよ……?」
しばらくの沈黙の後、泣きそうな、か細い声で琴美が言ってきました。
「他に好きな人ができたんだ」
「……好きな人って、北原さん?」
「ううん、北原さんとは別。今、好きな人とは将来の事を真剣に考えてるんだ」
北原さんとの事を、やはり琴美は知っていたようでした。
別れさせ屋の仕事が終って、連絡用の携帯を返却した後も、北原さんと僕の連絡先を教えてしばらくやり取りをしていましたが、琴美と勤め先が同じと聞いてからは連絡の回数を減らしてあまり会わないようにしています。
ここで相手が北原さんなんて言うと、絶対に関係が拗れて大変な事になるのは目に見えているので、そこはしっかりと否定しておきます。
「…………私、二番目でもいいよ? その彼女にもバレないように気をつける」
「そういう問題じゃないんだ」
僕が他の女の人と会っているのを知っていてもずっと黙認していた時点で、そう言われる事もなんとなく予想はついていました。
けれど、それでは意味がないのです。
「私、一真のこと好き……別れるなんて嫌」
「……ごめん。部屋の合鍵は今度郵便受けに入れておくから」
涙声で話す琴美に、僕は謝って電話を切りました。
「やっぱり、直接会わなくて良かったな……」
一人の部屋で、僕の呟きが妙に大きく感じられました。
琴美に別れ話を切り出した二日後、愛人契約を結んでいる男性に呼び出されて朝帰りすると、なぜか玄関に女物の靴がありました。
この低いヒールのアイボリーの靴は、琴美がよく履いていたものです。
恐る恐るリビングの方へと進めば、ニコニコと琴美が笑顔を浮かべて僕の元へやってきました。
「おかえり一真、御飯できてるよ。今、温めるね。あ、洗濯物溜まってたから全部干してしまっといたよ。部屋の掃除もしようと思ったんだけど、部屋綺麗じゃない」
今まで、琴美を僕の家に呼んだ事はありません。
どの辺りに住んでいるのかは教えても、いつも、部屋が散らかっている、恥ずかしいからと理由を付けて断っていました。
琴美があんまり僕の事をあれやこれやと知りたがるので、あまり彼女を家に上げたくはなかったのです。
「……なんでいるの?」
家を出る前にはちゃんと戸締りをしましたし、この部屋は五階です。
当然、合鍵も渡していません。
「ここの大家さん、運用とか管理は不動産屋に丸投げしてるけど、秋ちゃんのお父さんだし、秋ちゃんの家とは親の仕事の関係で子供の頃からの付き合いなの」
「なる程……」
僕は定職に就いている訳ではないので、家を借りようと思うと、実家が土地持ちで不動産会社とも繋がりのある千秋を頼らざるを得ません。
そして、千秋は昔から霧華をずっとストーカーしてきており、結婚した現在もわざわざ理由を付けて霧華が一人の時間を作ってはその間彼女が何をしているのかを観察しているような人間です。
千秋の両親がどうなのかは知りませんが、あまりその倫理感には期待してはいけない気がします。
更に、子供の頃から知っている女性の恋人の家、となると、簡単に住所を教えて合鍵を渡しても問題ないと判断されてしまうかもしれません。
「お風呂は一応掃除してお湯も張ったんだけど、もう冷めてると思う。追い炊きする?」
琴美のその言葉に、僕はゾッとしました。
一体いつから彼女は僕の部屋にいたのでしょう。
「……いいや、朝ごはんも食べてきたし、もったいないから琴美が食べて行きなよ。午後から彼女が来るからそれまでには帰ってね」
「……わかった」
仕方がないので僕は琴美とすぐに別れる事は諦めて、しばらくは『二番目』として付き合うことにしました。
目に見えて『二番目』扱いをされる事で、琴美が僕から離れていく事を期待したのです。
「この部屋、元は本当に汚かったんだ。だけど、彼女が綺麗好きで、あっという間にテキパキ片付けちゃったんだ」
「そう……」
感慨深そうな顔と声を作って僕は言いますが、そんな事実はありません。
人によっては家に連れ込む事もあるので、いつ人が来てもいいように片付けているだけです。
もっとも、琴美のように最初から僕にかなり好意を抱いているであろう人間は、勝手に家捜しをされたり、すぐには気づかないような所に自分の痕跡を残していきたがるので、できれば家に入れたくないのですが。
「今日はオール明けで眠いから、僕はしばらく寝るよ。あ、合鍵持ってるなら帰る時に一応鍵かけて行ってくれると助かるな」
「わかった……」
僕は言うだけ言ってリビングの隣の寝室へと移動して、部屋着に着替えてからベッドに潜り込みます。
1LDKの部屋をそのまま仕切りもなく使っているのでリビングからベッドが丸見えの形になっているので、僕はベッドに入って聞き耳を立てているだけで、なんとなく彼女の動向は探れます。
「一真ったら、脱いだ服出しっぱなし……」
「ああ、いいんだ。後で彼女にやってもらう為にそうしてるんだから……あ、ご飯も食べたらそのままにしてていいよ」
「…………そう」
わざと脱いだ服をそのまま床に放っておいたら、案の定琴美がどこか嬉しそうに服を片付けようとやって来たので、僕はそれを遮って琴美を制止しました。
これは僕の主観ですが、男女関係なく自分で二番目でいいから、等と言って相手に取り入ろうとする人間は、大抵付き合っていくうちに自分が相手の一番になる事を期待しています。
琴美が今日僕の家に押しかけてきたのだって、別に僕への嫌がらせをしようとしてやって来た訳ではないでしょう。
きっと、僕の世話をアレコレと焼いて、僕に自分の価値をアピールしたいのでしょう。
僕もこの手はよく使うので、その際の注意点もよく知っています。
どんなに尽くしたりおべっかを並べた所で、それは相手が本当に望んでなければ、意味がありません。
誰かのために何かをして、その事で相手から感謝されたり認められるというのは快感ですが、だからこそ、自分の行動に対して、期待した反応が得られないと、人は酷く落胆してしまうのです。
それどころか、特に望まれてもいないのに恩着せがましく必要以上に尽くしすぎれば、逆に相手から安く見られてしまう。
自分で自分の価値を下げてしまうのです。
僕は子供の頃から、嫌という程それを肌で感じてきました。
琴美が僕の世話を焼く事で自分の価値を僕に認めさせたいのなら、僕は彼女の期待するものとは全て違う反応を返して、彼女は僕にとって必要ではないと遠まわしに伝えて、彼女の思いをかわすだけです。
「……一真、じゃあ私帰るね」
「……」
その後、無言で自分の作った料理を食べた琴美は、僕の側までやって来て耳元で囁きましたが、僕は寝たふりをしてやり過ごしました。
しばらくこうしていれば、琴美もそのうち嫌になって別れてくれる。
この時の僕はそう思っていたのです。
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