第18話 自分の価値
日曜日の昼過ぎ、僕が家を訪ねると、彼女は髪を下して眼鏡をとった姿で出迎えてくれました。
「同年代の男の子を家に呼ぶのなんて初めてだわ」
と、彼女は言っていましたが、では同年代ではない男は呼んだ事があるのだろうか、と妙に勘ぐってしまいます。
通されたリビングは掃除も行き届いていて整頓されていましたが、綺麗過ぎてどこか生活感が無いように感じました。
「随分片付いてるね」
「ああ、ハウスキーパーさんが来たばっかりだから」
2リットルのペットボトルに入った緑茶をグラスに注ぎながら、彼女が言います。
彼女からお茶を受け取り話を聞いてみると、彼女の家は週に一度、業者に頼んで家の清掃をしてもらっているようでした。
「両親ともお金はあるけど暇は無いのよ」
彼女の話によると、両親ともあまり家には帰ってこず、食事も帰ってくる時間も全員バラバラで、たまに顔を合わせてもほとんど話さないそうです。
「でも、毎月食費も渡してくれるし、大学にも進学させてもらえるみたいだし、自由にさせてもらってるから、特に不満は無いわ。お金さえ出してくれるのならそれで良いの」
そこまで聞いて、僕は不思議に思いました。
彼女は随分とお金に執着していて、援助交際にまで手を出している始末なのですが、そこまでして自分で稼がなくても特に生活に困っているようには見えません。
「佐藤さんってさ、そんなにお金に困っている訳では無さそうだけど、どうしてそんなにお金を稼ごうとするの? 将来起業するための資金でも貯めてるとか?」
「……それもいいわね」
一番考えられそうな例をあげて僕が尋ねてみましたが、どうやら違うようです。
彼女は頬杖をつきながらニヤリと笑いました。
「自分が今まで稼いだり使ったお金で帳簿を付けてるの。そうして溜まっていくお金の額を見ているとね、
つまり、今まで稼いだお金はほとんど貯金に回されているらしく、しかも特に目的は無く、むしろお金を貯める事自体が目的になっているようでした。
「僕にはわからない感覚だなあ」
「じゃあ聞くけど、篠崎くんの中の自分の価値を決める基準って何?」
彼女は僕の呟きにムッとした様子で尋ねてきました。
「……自分が仲良くなりたいって思った相手と、どれだけ仲良くなれるか、かな」
思ったよりも答えはすんなりと出てきました。
自分を取り巻く人々に、いかに気に入られて身の安全を確保し、快適な環境を築くか、それが物心ついた時から僕が常に心がけている事だったからです。
「美人な人妻と仲良くなれるか、とか?」
「大人しそうに見えて実は破天荒なクラスメートと仲良くなれるか、とかね」
「あら、そう」
からかうように笑う彼女に言えば、興味なさげな返事が返ってきました。
「ところで、私お昼まだなんだけど、篠崎くんはもう食べた?」
「うん、僕はもう食べてきたから、気にしないでいいよ」
「そう、じゃあ勝手に食べるわね」
話が一段落すると、彼女は昼食の準備をするため席を立ちました。
普段どんなものを食べているのだろうと彼女を目で追っていると、彼女はすぐ目の前の戸棚を開けて何かを持って帰ってきました。
パンか何かだろうと思えば、テーブルに広げられたのはクッキーにするめ、茎わかめといった菓子・つまみ類でインスタント食品ですらありませんでした。
「食べたかったら好きにつまんでもいいわよ」
呆気にとられて見ていると、彼女はクッキーの袋を開けながら僕に言います。
「……いつもこういうのを食べてるの?」
「いつもという訳ではないけれど、カップ麺もコンビニのご飯も飽きちゃったのよね。一人の時は外食する気にもなれないわ」
「自炊とかはしないの?」
僕は思わず自分の事を棚にあげて尋ねてしまいました。
「スーパーってここからだと少し離れてて、そのために自転車出すのも億劫だし、料理するのもめんどうだわ。学校とは別方向だから帰りに買っていく事もできないし」
話を聞いてみると、どうもジャンクフードには飽きているものの、それ以上に自炊する手間が惜しいようでした。
「じゃあ、僕が買い物も行って料理も作ってあげるって言ったら食べる?」
「……もし本当に買い物から料理まで全部やってくれるなら、材料費と手間賃を出してもいいわ」
もしかしてこれは彼女に取り入るチャンスなのではと思い質問してみると、期待以上の反応が返ってきました。
思った以上に彼女はジャンクフードに飽いているようです。
「なら決まりだね! ……ところで、一番近いスーパーって自転車で行くような距離なの?」
「歩いていける距離ではあるけど、うち野菜はおろか米すら無いから自炊するなら結構な荷物になるし、自転車で行く事をおすすめするわ。必要なら自転車くらいかすわよ?」
「うーん、でも僕、自転車乗れないんだよね」
決まり悪く思いながらも、隠してもしょうがない事なので僕は素直に白状しました。
義母が僕の行動範囲が広がるのを嫌がったのか、怪我でもしたら危ないからと
「篠崎くんって、運動できる方だと思ってたわ」
「運動は得意な方なんだけど、今まで自転車に乗る機会が無くて。大体遠出する時は車で送ってもらってたし」
「ふうん、そういう家もあるのね」
彼女は意外そうにしていましたが、特にその事に関して深く聞いてくる事はありませんでした。
「だから、僕が自転車に乗れるように手伝ってよ」
「………………」
開き直って言ってみれば、彼女は明らかに面倒そうな顔をしました。
「自転車に乗れるようになったら近所のスーパーで材料買ってきて、毎週美味しい料理を作ってあげられるのになぁ」
「……まあいいわ。どうせ今日は暇だし」
しかし、ワザとらしく自転車に乗れるようになった時のメリットを繰り返し強調すると、彼女はため息混じりに了承してくれました。
それから彼女の家のすぐ側にある公園で、僕は彼女に自転車の乗り方を教わりました。
僕はそれまで密かに自分が自転車に乗れない事をコンプレックスに思っていたのですが、コツさえ掴めば案外簡単に乗れるようになり、なんだ、こんなものだったのか。と拍子抜けしたのを憶えています。
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