第39話 修羅場
父が帰ってきたのは、ちょうどひとしきり事が終って一息ついていた頃でした。
仕込が無駄にならず、僕は安心しましたが、父は目の前の光景が信じられないようでしばらく呆然と立ち尽くしていました。
義母は慌ててこれは違うのなんのと喚いていましたが、この状況を見られて、なぜ言い訳できると思っているのでしょう。
「なんだ、今日はもう帰ってこないのかと思ったよ」
あんまりにも父が固まったまま動かないので、僕が笑いながらそう話した直後、父は目の前までやってきて、思いっきり僕の左頬を拳で殴りました。
すぐ隣で義母の悲鳴が聞こえます。
それからしばらく父は僕に覆いかぶさってもう何度か僕を殴りつけましたが、僕は隙を見て父の腕を掴んで押しのけ、父はそのままベッドの下に転がり落ちました。
すかさず僕が父の腹に馬乗りになれば、父の拳は僕に届かなくなり、彼の顔に明らかに焦りが見えました。
「なんなんだ! お前は自分が何をしているのかわかっているのか!」
父は怒りに震えた様子で怒鳴ります。
父のそんな余裕のない顔を見たのは初めてでした。
その時、そういえば僕は父に怒られた事は一度も無かったな、と妙に感慨深い気分になりました。
「やだなあ、わかってないと、こんな事する訳ないじゃないか」
言いながら、自然と口元が釣り上がっていくのがわかりました。
父はそれに少し怯んだ様子でしたが、僕にしてみれば、父のその反応自体が面白くて仕方がありません。
「大丈夫だよ、僕と母さまは血は繋がってないんだし」
「そういう事を言ってるんじゃない! 倫理的な事を言ってるんだ!」
ものすごい剣幕で父が言うものですから、思わず僕はふきだしてしまいました。
呆然とした顔で僕をみる両親の顔がただただおかしくて、笑いが中々止まらず、少し困ってしまいました。
「倫理? いままで散々あちこちに愛人囲って子供作ってきた人がそれを言うの? 認知して養育費を払ってたから許されるって、そんな考えの人に言われても」
言いながら、僕はまた少し笑いがこぼれてしまいました。
「まあ、高校の時からそんな関係ではあったし、母さまから話を持ちかけられたのは中学の頃からだから、今更ではあるよね」
更に僕が暴露すれば、義母は違うの違うのと、何が違うのかはわかりませんがベッドの上で泣きだしましたし、父は目を見開いて、魚のように口をパクパクとさせていました。
きっと何か文句を言おうとして、上手い言葉が見つからなかったのでしょう。
父のその酷くうろたえた姿を見ると、僕は胸のすく思いでした。
「僕は、ずっとその顔が見たかったのかもしれない」
そう呟けば、
「ふざけるなよお前!」
と、また火が点いたように僕を指差して怒鳴りました。
普段、熱心に自分の外面を取り繕っていた父が、僕の言動にここまで取り乱していると思うと、もう愉快でしかたありません。
「ふざけてなんかないよ。あなたが今まで好き勝手やってきたように、僕も好き勝手やってるだけさ。自分が思ってる程、自分は周りに愛されている訳でもないし、不興を買ってない訳じゃないって知れて良かったね」
僕がそう語りかければ、父は再び大人しくなりました。
「一つだけアドバイスがあるとしたら、愛人の子供なんて、それだけで自分の出自に不満を持つものだからさ、跡取りにしようとするのはやめた方がいいと思うよ」
言いながら僕は父の左脚を持ち上げ、腰を捻るような形にさせます。
「おい、何してる!?」
父が暴れ出したので、僕はさっさと父の左臀部横に膝で体重をかけ、そのまま彼の左膝を軸に左脚を捻りました。
直後僕の膝の下で鈍い音がして、父が呻きました。
昔、溝口さんにベッドの上で戯れに教わった、簡単な大腿骨の骨折のさせ方ですが、溝口さんもまさかこんな場面で僕がそれを実践するなんて、思いもしなかったでしょう。
父がすぐには動けなくなった事を確認した僕は、その隙に服を着て身支度を整え始めます。
明るいうちに荷物もまとめておきましたし、もうここに帰る事は無いでしょう。
「多分大腿骨を骨折させたから、できるだけ早く病院に行った方がいいよ」
着替えながら僕が父に言えば、父は震える拳でカーペットを殴りつけました。
「一真! お前、こんな事してただで済むと思ってるのか!」
彼は心底怒りに震えている様子でしたが、立ち上がって再び殴りかかってこない所を見ると、本当に動けないようです。
「思ってないけど、それ以上に今のその顔が見たくて」
「二度とうちの敷居は跨がせないからな! お前……まともな所に就職できると思うなよ! 行く先全部潰してやるからな!」
着替え終わって部屋を出ようとすれば、すぐ後ろから父の怒鳴り声が聞こえてきました。
父の社会的な影響力がどれ程なのかは正直わかりませんが、少なくとも、僕が身を落ち着けた頃に勤め先を探し出し、行く先々で嫌がらせをする程度には金と時間を余らせている事は知っています。
そうなると、確かに、もうまともな職には就けないかもしれませんが、その時の僕は、あの父に一泡ふかせてやったというだけで、とても気分が高揚していました。
クローゼットの中の弟は、最後まで出てきませんでしたが、先程の出来事の一部始終を見ていたはずです。
なんだかんだで自分の家族を大切に思っている弟の事だから、アレを見たらもう僕のようになりたいなんて馬鹿な事は考えないでしょう。
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