おめでとう、僕はろくでなしに進化した。

和久井 透夏

第1章 

第1話 綾瀬一真

 七歳になるまで、僕は愛人業を営む実母に育てられました。

 母は常に複数の男とメールや電話でやりとりをしていて、時には夜遅くまで出かけている事もあります。

 愛人、という言葉を知ったのは後になってからですが、母は僕にそれを『仕事』なのだと言いました。


 男をたらしこんで金を巻き上げる仕事です。

 母はたまに僕を連れて男に会いに行ったり、家に男を招く事がありました。


 そんな時、僕は母に言われた通り、無邪気にその客人にすりより、頃合を見計らっていかに自分の母親がかわいそうで、自分も寂しい思いをしているかについていじらしく語ったりします。


 少しでも至らない点があると食事を抜かれたり、ベランダで寝る事になるので、それはもう必死でした。

 母は僕を殴ったり蹴ったりする事はあっても、決して跡が残る程強くはしません。


 常に最低限小綺麗に見えるよう身なりを整えさせました。

 それは母一人子一人で頼れる身内もなく二人で身を寄せ合って睦まじく暮らしているという演出のためなのですが。


 僕は物心ついた頃から父親のいない環境で育ったので、自分の父親については全く知りませんでしたが、母の連れ込んだ男には、父親が自分や母親に暴力を振るう酷い人間だったのだと話すよう言われていました。


 幼稚園や保育園には行かず、母親も基本家にいるので、小学校に上がるまで、僕はほとんど母親と二人でアパートの一室で暮らしていました。


 服が汚れるからと、公園に連れて行ってもらったり、外で遊ばせてもらった事も、ほとんどありません。

 母以外の親族に会った事もなく、僕の世界は家の中だけで完結していました。


 だからこそ、母は僕にとって絶対的な存在でした。

 ちゃんと言いつけを守れば褒めてもらえますが、粗相をするといつも叱られました。

「お母さんの言う事を聞けない悪い子は、袋に詰めてゴミと一緒に捨てちゃうわよ」

 と、常々彼女が言っていたからです。


 一度、母の連れてきた中年の男を、同時期に母と懇意にしていた別の男と間違えた事があります。

 その場は何とか取り繕いましたが、男が帰った後、僕は口をガムテープで塞がれ、同様に手足もガムテープで固定されてゴミ袋に入れられました。


 ただただ怖くて、僕は泣きながら必死に母に許しを請い、その時はどうにか許してもらう事が出来ましたが、

「次やったら、本当にもう捨てちゃうからね」

 という母の言葉は僕の胸に強く突き刺さりました。


 当時は死という概念も認識していませんでしたが、それでもその行為は、確実に今までの自分の日常を、僕の世界を終わらせるものだという事は直感しました。

 それからの僕は母に捨てられないよう、それまで以上に日々与えられた役割を必死にこなして彼女の機嫌を伺って過ごす事になります。


 僕は、母に見捨てられてしまう事が何よりも恐ろしかったのです。


 今になって思えば、僕の実の父親から結構な額の養育費を毎月受け取っていたらしい母が、本気で僕を殺そうとしていたとは思えませんが。


 しかし、小学校に上がると、僕の世界は一変します。

 学校には同じ年代の子供が沢山いて、世の中にはこんなにも人が沢山いるのだなと驚きました。

 身近な人間が母と母の連れてくる男以外いなかった僕には何もかもが新鮮でした。


 母は僕が家に友達を呼ぶのは嫌がりましたが、服を汚して帰らない限りは門限までは遊びまわっていても怒られはしませんでした。


 同年代の間で流行っていたおもちゃ等を母は買ってくれませんでしたが、その頃には母の連れてくる男にねだれば大抵の物は買ってもらえると気づいていたので、特に不自由はしませんでした。


 買ってもらった時に大げさに喜んで、その次に会った時にいかにそのプレゼントが嬉しかったかをアピールしたり、人前で彼を褒めてやると、そのうち僕から何か言わないでも向こうから何か欲しいものはないかと尋ねられるようになります。


 全て母の行動を真似ただけですが、その頃から僕はどうやったら相手に好かれるのか、自分の為に動いてくれるようになるのかを考えるようになりました。


 ちなみに先程のねだり方は、母の連れてきた男には有効でしたが、母には全て見透かされていたようで、あまり成功率は高くありませんでした。

 それでも、男の前で母を褒めるというのは良かったようで、成功すると晩御飯にデザートがついたりします。


 また、二人きりの時でも、褒められる事自体は嬉しいようで、ツボを押さえて褒めると上機嫌になりましたが、外すと逆に機嫌が悪くなるので、僕は以前にも増して母の事をよく観察するようになりました。


 外に友達ができようが、母の連れてくる男に媚びて気に入られようが、僕の世界の中心は相変わらず母だったからです。


 母の機嫌を損ねては元も子もありません。

 ですが、彼女に気に入られて愛される事が叶えば、僕の世界は安泰です。

 僕が母に気に入られるよう常に細心の注意を払ってさえいれば、彼女も僕を捨てる事はしない。


 あの日まで、僕はそう思っていたのです。


 その日は何の前触れもなく、唐突に訪れました。

 ある時、僕の本当の父親という男が現れ、僕を引き取りたいと言い出したのです。


 母は驚く程あっさりとそれを承諾し、話はどんどん勝手に進んでいきました。

 本当の父親と名乗る男が帰った後、僕は母に自分を捨てるつもりなのか、と、遠まわしに尋ねてみました。


「良いじゃない、一真も良いとこの跡取り息子になれるし、私もそろそろ結婚しようと思ってたし。娘ならまだ使い道もあったかもしれないけど、やっぱりコブは無いに越した事は無いわ」


 母が何を言っているのかよくわかりませんでしたが、それでも母はこれ以上僕を手元に置いておく気がないのだと言う事だけはわかりました。


 その時、やっと僕は自分にはこの事に関する決定権は無く、話はもう既についているのだと悟り、同時に彼女にとって僕はその程度の存在だったのだと実感したのです。


 小学二年生に上がる頃、僕の名字は綾瀬あやせから篠崎しのざきに変わりました。

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