第43話 彼女と間男
「一真くんは、普段あのお店によく来るの?」
「ううん、今日が初めて。たまたま近所に来る用があって、ふらっと寄ったんだ」
広いベッドの上でくつろぎながら、僕と紗希さんはそんな事を話します。
まさか、予期せず遭遇したターゲットの女性と出会ったその日に肉体関係を持つ事になるとは思いませんでした。
……後々の事を考えると、一ヶ月で婚約者と別れさせるのなら、これが一番てっとり早くはありますが。
報酬も手付金とは別に、連絡先を交換したらいくら、メール一通いくら、ホテルまで行ったらいくらなどと関係を進めるごとにそれなりの額が上乗せされるので、僕としては願ったり叶ったりです。
あの後、バーで自己紹介もそこそこに僕は、紗希さんから婚約者に対する相談という名の愚痴を聞かされ続けました。
とりあえず、彼女の人格や考えを全て肯定した上で僕ならそんな思いをさせないのに……というような事を僕は言い回しを替えつつ繰り返します。
「ふふっ、一真くんは優しいねえ……ねえ、この後二人きりでもっとお話ししたいな」
そう耳打ちされて、そのまま近くのラブホテルへと案内されて、据え膳を頂いた結果が今の状態です。
あんまりにも順調すぎてどちらが狩られたのかわかりません。
「それにしても、本当に良かったの? 婚約者いるのに、今日会ったばかりの男とこんな事しちゃって」
「うーん、自分で色々話してるうちに段々本当に自分はあの人と結婚したいのかわからなくなっちゃったんだよねえ……まあ、もしこれが原因で婚約破棄になってもしょうがないかなーって」
「えっ」
僕が尋ねれば、紗希さんはなんでもない事のように言い放ちます。
流石にいくらなんでもあっさりしすぎじゃないかと思わず僕が声をあげれば、紗希さんはイタズラが成功した子供のように急にふきだして笑い出しました。
「大丈夫だよ~、心配しなくても一真くんに迷惑はかけないようにするから」
「…………」
どうやら僕は彼女にからかわれたようです。
それとも、わざとこんな話をして僕の反応をみていたのでしょうか。
これでいきなり婚約者と別れるから付き合ってくれと言われてもびっくりですが、このまま引き下がると、彼女との関係はこの場限りで終わってしまうでしょう。
彼女はもしかしたら今日、最初から適当な男を引っ掛ける事で、婚約者への憂さ晴らしをしたかっただけなのかもしれません。
「そう、でも何かあったらやっぱり申し訳ないから、連絡先交換しない?」
「……うん、いいよ」
そうして僕は紗希さんと電話番号とメールアドレスを交換しました。
放っておくとそのまま没交渉になりそうだったので、それから僕はうっとおしがられない程度に紗希さんと連絡を取り合い、一緒に食事に行った流れでホテルに行ったりするようになりました。
しばらく間男として関係を続けつつ、探偵社の人達にデートの度に後をつけてもらって浮気の証拠をしばらく集めていけば、それを元に破局させる事も可能でしょう。
もっとも、この様子だと、僕がいなくても他に男を見つけて、ちょっとしたつまみ食いが原因で遅かれ早かれ今の婚約者と別れそうな気もしますが。
僕が紗希さんと知り合った頃、僕は千秋に連れて行ってもらった新年会で知り合った橋村琴美さんとも度々遊びに行くようになりました。
「ねえ、一真くんって彼女いるの?」
橋村さんに誘われて一緒にラーメンを食べに行った帰り、駅に向かって二人で歩いていると、橋村さんが雑談の延長のような感じで尋ねてきました。
「特定の人はいないかなあ」
「ふうん、じゃあ、もし私が今好きです付き合ってくださいって言ったら、彼女にしてくれる?」
「いいよ。付き合う?」
特に断る理由も無いので、僕は彼女の言葉に頷きました。
僕は基本的に相手が経済的に困窮していなければ来る者は拒みません。
彼女が既に社会人として自立した生活を送っている事はそれまでの交流で知っていたので、とりあえず付き合って後々パトロンに仕立てる事も可能だろうなと考えたのです。
「……うん、付き合う」
「そっか、じゃあ、これからよろしくね琴美さん」
「呼び捨てでいいよ。私も一真って呼ぶし」
少し気恥ずかしそうに彼女はそう言うと、僕の服の袖をそっと引っ張ってきました。
引っ張られた方の腕で彼女の手を握れば、氷のように冷え切っていました。
「わっ、冷たい」
「ゴメン……」
思わず僕が声を上げれば、彼女が手を引っ込めようとしたので、僕はその手を握ったまま自分のコートのポケットへと入れました。
「まだ二月だし、寒いよね。どこか温かい物飲めるとこ行こうか」
「……うん」
この時の僕に寄りかかるようにくっついてきた後、はにかんで笑いながら僕を見上げてくる琴美は、年上のはずなのにどこか幼く、可愛らしく見えました。
少し庇護欲のようなものをくすぐられましたが、この時はまさか、あんなに彼女にはまってしまう事になるとは、僕は思いもしなかったのです。
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