4.矢を射るモノ

「それで良いのだな?」


 魁の言葉を受け、鬼雨は僕にそう訊いた。

 氷雨からアメを貰った時からずっとその選択が正しかったのか考えていた。


 雨のことが知りたいから。


 それは本心だ。

 でも、知りたい理由は違う。


 全て僕の為だった祖父の望みを無下にしてまで橋守を継ぐ選択をしたのは、ただ雨を知り、ただ真実を知った上で雨に復讐したかったからだ。


 鬼雨も魁さえも僕のそんな下心を知らない。

 知られてはいけない。


「はい」

 僕は真っ直ぐに鬼雨を見つめ、力強く頷いた。


「では儀式の際には刀を信頼せねばならぬができるか? 疑っておるようだが?」

「さっきまではそうでしたが、疑いは晴れましたので大丈夫です」

 魁は雨じゃない。

 白雨とも手を組んでいない。

 そう鬼雨との会話で分かった。

 だからもう疑う理由はない。


「ならばアメを出せ。掌に載せて刀に差しだせ」


 アメはいつも着物の袖の袂に入れていた。

 鬼雨に言われた通りにし、魁に右手を差し出した。


「刀を呼べ。見事刀に変えることができれば儀式は終わりだ」


 意外とあっさりしたものだな、と思った。

 魁を刀に変えるのは既にやったことがある。

 そう難しいことではない。


 深呼吸して叫ぶ。


「刀ッ」


 右手に刀が吸い込まれるのをイメージした。

 右手が熱くなる。

 掌に載せたアメが掌に吸い込まれていく。

 僅かに痛みが掌から腕を駆け抜けた。

 痛みに顔を顰める。


 アメが完全に掌の中に入って行った。

 が。

 魁は人の姿を保ったままだった。


「刀ッ」


 再度叫ぶ。

 だが魁は刀に変わる様子はなく、魁の表情が曇った。


 さらに悪いことに雨が降り始めた。


 鬼雨が空を仰いだ。

 雨はすぐに強さを増し、鬼雨のような激しいものとなった。

 一瞬でプールにでも飛び込んだようにびしょ濡れになった。


「ぐずぐずしておるからだ、馬鹿者共め」

 鬼雨が僕達を睨みつけた。

「どうする、橋守。刀を信頼せん限りそいつはもう刀にはならんぞ?」

 え? と魁を振り返ると困惑した表情で溜息を吐いていた。

「儀式をするとこういうリスクもあったのです。私の自業自得で申し訳ありませんが、私抜きでそちらを対処して頂けませんか?」

 魁はそう言って橋を指差した。


 橋守が呼ばずとも自ら橋を渡ってこちらに来る雨はいる。

 それだけ力が強いということだ。


 濃く霧が立ち込める中、橋の上に姿を現したのは。


「銀箭……」


 鬼雨がその名を呼ぶ。

 白雨を霧散させた雨。

 白雨と手を組んでいた本当の黒幕。


 銀糸のような髪は高い位置で一つに束ね、銀鼠ぎんねず色の着物に漆黒の帯という出で立ち。

 漆黒の瞳で僕達を橋の上から見渡すとゆっくりと笑んだ。

 僕よりも背が高く、筋肉質で勇ましい戦国武将のような印象を受ける。


「鬼雨に刀に……橋守か。ここで一体何をしておる?」

 銀箭の第一声はそれだった。


 最悪のタイミングで仇が目の前に。


「丁度良い。お前、掟を破ったな」

 鬼雨が銀箭を睨みつけた。

「何の話だ?」

「白雨を浄化したそうじゃないか」

「そのようなこと、私にできる訳が……」

「お前は銀箭。射るモノがあれば矢を放つことは可能であろう?」

「そう橋守にでも聞いたか。橋守は刀を振るうのが好きだと聞いたが、お前は橋守の話を信じるか? ああ、そうか。お前は橋守のお気に入りであったな。雨より人の側につく訳か」

 わらう銀箭を鬼雨は睨みつけた。

「そのような虚言を信じると思うか。お前こそ何をしに来た?」


「何って……晴一と契約を交わしに、だ」


 銀箭は僕の名を口にして嗤った。


「驚いた顔をしておるな? 私の名を知ったようだが私もお前の名を知っているぞ?」

「なんで……?」

「狐雨から……いや、花時雨から聞いた。私は弱っておる雨を助けるのが好きでね。白雨に狐雨を喰わせ、花時雨にした」

「白雨はお前が浄化したのを目の前で見た。花時雨と会ったのはその後だ」

「だから雨が雨を浄化などできない。そう言っているではないか」

「お前には可能だ」

 割って入った鬼雨を銀箭は楽しそうに見やった。

「仮にそうだとしてもあの時はこちらへ連れ帰っただけの話だ。無理矢理な」

 銀箭の説明に鬼雨と魁は納得した様子で渋い顔をした。

 ただ一人、僕は理解できずに魁を見た。


「……こちらに来るには橋を必ず渡らねばなりませんが、帰る分には橋を渡らずとも帰れます。緊急脱出ルートみたいなもので、強い雨に引き上げて貰うんですよ。弱い雨は霧散したように見えます」

「でも、橋守が強制的に橋を渡らせたら浄化されるのと同じだって……」

「渡るのに力を使い果たす故、他の雨の餌になるのだ」

 僕の問いに鬼雨が答える。

「それならこっちで喰われても同じことなのになぜ狐雨は渡る方を選んだんだ?」

「こちらでは自我があるまま喰らわれる。橋を渡った後は自我はない。生きたまま喰われるのと死んだ後に喰らわれるのとその程度の違いだ。刀で浄化されるのが一番痛みと苦しみを伴うと聞く。それ故、狐雨は一番楽な方法を選んだのだろう」

「なら、花時雨から僕の名を聞き出すことはできないはずだ。それに狐雨を喰った割に白雨はその特徴を引き継いでいなかった」

「確かに」と頷いた鬼雨を見て魁が「その説明は私が」と僕を見た。

「白雨はあなたから見ても相当弱っていたでしょう? 完全に回復するまでは喰った雨の影響は出ません。狐雨を喰った後も他の雨を喰ったはずです。花時雨の顔は狐雨に少し似ていました。狐雨の前にも銀箭が運んだ雨を喰らい、たくさんの雨を取り込んで強い雨になった訳です。見た目は花時雨でもその身の内にはたくさんの雨がいた。だから、渡った後も力を使い果たすまでには至らず、自力でここに戻っても来られる訳です」


「理解できたか、晴一?」


 楽しそうに銀箭は僕の名を口にする。

 雨に名を知られるとどうなるか。

 花時雨の時に知った。


「晴一、私と契約を結べ」


 雨に名を呼ばれると抗えない。

 承諾したくないのに承諾したくなる。


「最悪だな」

 鬼雨が心底呆れ果てた顔で僕を見据えた。


 儀式もこなせず、雨に名を知られ……これでは橋守とは到底呼べない。

 僕はいつだってそうだ。

 嫌なことからずっと逃げて来た。

 逃げてやり過ごして、結果何も成長せずにきた。

 自分が傷つかないように必死だった。

 その結果、僕の周りには誰もいない。

 いるのは祖父が遺してくれた人達だけだ。


 対する祖父は自分が人と違うことを嘆いたりせず、幼馴染に打ち明け受け入れてもらってきた。

 雨とさえ鬼雨のように信頼関係を結んでいる。


 魁だって契約によって生まれたモノであってもいつも楽しそうに暮らしている。

 家事だけでなくいろんな知識も経験によって得てきた。

 人として扱われなくとも長い長い間、卑屈にならずに生きている。


 僕は?


 身内の仇を目の前にして何もできないどころか、自ら窮地に陥っている。

 両親を亡くした時も祖父を亡くした時もいつだって傍にいてくれた魁を僕はどうして信じられないのだろう?


 両手を握り締め、グッと両足に力を入れる。


 何の為に橋守を継ぐと決心したのか。

 逃げてばかりじゃ解決しない。

 逃げずに立ち向かわなければならない時がある。


 それはきっと『今』だ。


「刀ッ」


 僕は思い切り腹の底から叫んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る