5. 魁と僕

 僕が泣かなければまた誰かが死ぬ。


 僕にはもう肉親と呼べる人はいない。

 幼い頃から雨が見える僕には友達はいなかった。


『変な奴』


 それが皆が抱く僕への印象。


 だから人と話すことが苦手で、人と関わること全てが苦手だった。

 そんな僕を理解してくれる人なんてこの世界にはいないと思っていた。

 それが祖父と出会ってから僕を受け入れてくれる人ができた。


 祖父には幼馴染が三人いる。

 歳はかなり離れているけど、僕にとっては初めての友人と呼べる人達。


 だから、彼らを守る為には僕が泣けばいいだけ。

 ただ、それだけのことだ。

 それなのに涙が出ないのはなぜだろう?


 雨が笑みを浮かべたまま踵を返した。

 その足が歩を進める。


 止めなきゃ。


 その思いで裸足のまま外に飛び出す。


 と、雨が振り返り、さらに口角を上げて笑った。

 それを見てしまった、と思ったのとほぼ同時に僕の前に何かが飛び出した。

 大きな背中を見て、それが魁だと認識するまでに少し時間がかかった。


「邪魔をするなっ」

「橋守を襲うつもりですか? それなら相応の覚悟があるのでしょうね?」

「誰であろうと私を呼び寄せたからには泣いてもらわねば困る。それは橋守ならよぉくご存じであろう?」

「橋守を襲ったらどうなるか、雨ならよぉくご存知でしょう?」

「知っているとも。お前の耳はザルか? 橋守を襲うとは言っておらぬ。誰かが死ねば泣いてくれるのであろう? お前が死ねば橋守は泣くか? それとも別な人間か?」


 魁の背中に庇われて、僕は祖父に教えられたことを思い出す。


 魁は人ではないけど、人より丈夫にできているだけでいつかは死ぬし、怪我もする。

 姿を変えることはできるが、他にこれといった魔法のようなものは使えない。

 平安時代から橋守と共に生きている魁。

 長い長い時間をかけて身につけて来た武術で僕を守ってくれる。

 料理や洗濯や掃除など日々の家事だって、人と同じように経験によって身につけたことがたくさんあるだけだ。


 だから、雨に殺されることだってある訳で。

 魁を助ける為にもこの場を乗り切るには僕が泣けばいいだけの話で。


 でも、泣こうとして泣けるものでもなくて。


 ああ、そうか。

 魁は姿を変えることができる。

 それは人だけじゃない。

 人以外で唯一なれる無機物がある。


『刀』だ。


 橋守がその名を呼んだ時だけなれる姿。

 そしてそれは雨を『浄化』することができる。

 橋を雨から守る為にできる唯一の方法。


 確か、ただ呼ぶだけじゃダメで、右手で刀の柄を掴むようにイメージしながら、そこに刀が吸い込まれるようにイメージしながら集中して。


「刀っ!」


 その瞬間、魁が何か叫んだ気がした。

 でもちゃんと聞き取れなかった。

 魁は日本刀に姿を変え、僕の右手に収まり、そのまま雨に斬りかかった。


 幼い頃から僕は剣道の道場へ通っていた。

 何度やめたいと言ってもやめさせてもらえなかった。

 その理由がこれだと知ったのは祖父が橋守だと知ってからだ。

 でも、実際に魁を刀に変えたのはこれが初めてだった。


 激しく動いた訳じゃない。

 それでも肩で大きく息をした。

 上手く魁を刀に変えることができたということと、雨を一刀両断したことに興奮していた。


 刀で斬られた雨は一瞬にして水になり、弾けるように蒸発して霧散した。

 雨は『殺す』とは言わない。

『浄化する』と言う。

 死体が遺らず、霧散するからだろうか。


 息を整え、少し落ち着きを取り戻し、我に返った僕は手の中の刀を見つめ、どうやって人の姿に戻すのだったか記憶を探る。


 が、その方法を聞いたような聞いていないような。

 何しろ魁を刀にしたのはこれが初めてだ。

 無我夢中だったし、浄化した後のことなど何も考えていなかった。


「……どうしよう? 魁、どうやったら元に戻るんだ?」


 そう呟いた瞬間、僕の手にあった刀が水の塊になり、地面に落ちてそこで人の姿になって立ち上がった。

 その姿は祖父に似た着流し姿の老人で、その表情は怒りに満ちていた。


「……無闇矢鱈に雨を浄化してはいけないと言いませんでしたっけ?」

 仁王立ちの魁を上目遣いに恐る恐る見上げ、だって、と反論しかけるがその先を遮られる。

「だってもくそもありません! あなたはおじい様から何を教わったんですか? 雨は人を傷つけるなんて芸当できません。人には雨は見えないのですから。見える人にだけ声が届き、触れることができるんです。それに私はこの程度の雨に傷つけられるほど弱くはありませんよ」


 確かにそんなことを聞いた気もする。

 でも、誰かが死ぬのをまた見るのは嫌だった。

 もう誰も死んでほしくないし、傷つくのだって見たくない。


「……なんで浄化しちゃダメなんだよ? 雨なんて人に害を為すだけだろ? この雨だって人を傷つけようとしたじゃないかっ」


「それでも『浄化』は最終手段です。私は橋守に呼ばれれば『刀』になることに抗えませんし、『魁』と呼ばれるまで人の姿に戻れません。こんな使われ方は二度として欲しくありませんね」

「だから、何でダメなんだよ?」

「反対にお聞きしますが、なぜ人を殺してはいけないんでしょうか? 犯罪を犯した者は全員死刑にならないのはなぜなんでしょうかね? 敵討ちが禁止されたのはなぜなんでしょうね? 雨も同じですよ」

「……雨は人じゃない」

「人じゃなければ殺してもいいんですか? なら、私も殺しますか?」

「魁は……」

 雨じゃない、と言おうとして止めた。


「……今の問いに答えられるようになるまでは、二度と『刀』と呼ばないでください。私は橋守に仕えるモノで人ではありませんが、これでも感情は持ち合わせていますので」


 いつになく冷たく言われ、僕は雨の上がった空を見上げ、それから裏庭を眺めた。


 雨なんて全て浄化してしまえばいい。

 雨に良い思い出がない。


 両親も祖父も雨の日に死んでしまったし、雨が見えることで周囲から奇異な目で見られる。

 例え見えることを隠して生活していても、彼らは僕に声をかけて来るし、僕の邪魔ばかりする。

 雨のせいで恩恵を受けたことなんて一度もない。


 なんで、雨を浄化してはいけないのか。


 僕にはまだその答えは見つけられそうもない。

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