第弐話 翠雨:suiu
1.三人の幼馴染
雨は古来より作物を育てるためにはなくてはならないものである。
故に『恵みの雨』という言葉もある。
中でも、若葉の成長を促す雨を『
若葉の
『太古の雨』と呼ばれる雨の一種で、年に一度必ず橋守に会いに来る。
『太古の雨』は橋がなくともこちらに来ることができ、こちらにもなくてはならない雨だ。
だから『太古の雨』は余程のことがない限り『浄化』してはいけない決まりがある。
それ故、この雨が何か問題を起こしても『刀』を使わず対処せねばならないのが悩みの種ではあるのだが。
***
祖父が亡くなって五年が過ぎた。
僕は大学を無事卒業し、学生時代から祖父の紹介で始めたアルバイトを今も続けている。
ただ、今はアルバイトではなく正社員として働いている。
祖父の幼馴染の一人、
学生時代からなので、勤めて九年になる。
が、骨董の世界は奥が深く、まだまだ半人前だ。
僕は主に水を入れて使う花器や茶器を担当している。
骨董は買う人と物との相性が大切で、真贋は分からないがそれを見極めるのは得意だ。
僕には『雨』が見える。
それだけではなく、水に関するものなら大抵分かる。
涙もそれに含まれるようで、人の悲しみが籠った物も分かってしまう。
だから、花器や茶器は店主の近藤さんより僕の方が得意という訳だ。
「おはようございます」
「ああ、おはよ。雨が降ると大変だねぇ」
店に入ると近藤さんが青磁の花瓶のような壷のようなものを手に、そわそわしていた。
近藤さんは動物に例えるなら狐に似ている。
正確な歳は忘れたが、七十代後半のはずだ。が、どう見ても六十代後半にしか見えない。
いつも和装で身だしなみにはかなり気を遣っており、トレードマークの丸眼鏡もオシャレだ。
彼の影響で、僕も店と家では和装でいる。
休日に出歩く時だけ歳相応の格好をするのだが、どうも和装に馴染んでしまうと洋服の方がコスプレのような、なんとも言えない感覚がある。
面倒そうなイメージのある和装だが、慣れるとこちらの方が楽だったりもする。
彼を見て格好いいと思った和装だったが、彼が和装なのは骨董屋だからとかそんな理由などではなく、ある人が和装の男性って素敵、と言ったからだ。
そのある人というのが。
「おはようございます。今日もまた天気が悪くて大変ねぇ」
上品な和装の女性が傘を畳んで入って来た。
近所の和菓子屋の店主で、名を
近藤さんとは幼馴染だ。
「ああ、リョウさん、いらっしゃい。今ちょうどいいのを見つけたところだよ」
彼女が来た途端、彼の顔は綻び、声も弾んでいる。
それでそわそわしていたのか、と納得する。
が。
「やぁ、アヤさん。奇遇だねぇ」
もう一人の幼馴染で、近所の呉服屋の主人、
ほっそりしている近藤さんとは対照的に、小太りでどことなく狸に似ている酒井さんが、彼女のことを「リョウ」さんではなく「アヤ」さんと呼ぶのが気に入らないのだ。
実はこの二人、昔からの大親友ではあるのだが、同時にライバルでもある。
昔リョウさんを巡って喧嘩をしたこともしょっちゅうだったらしいが、当のリョウさんは和菓子屋の旦那と恋仲になり、そのまま結婚してしまった。
それ以来、二人の関係は落ち着いていたのだが、その旦那が五二歳という若さで事故で亡くなると、再びリョウさんを巡ってのライバル関係は復活したのだった。
が、当のリョウさんは亡くなった旦那一筋なので、二人のことは単なる幼馴染としか思っていないようだ。
ちなみに、二人とも結婚歴はある。
酒井さんが二度、近藤さんが一度。
どちらもうまくいかずに離婚していて、近藤さんは子供は恵まれなかったが、酒井さんにはとても綺麗な孫娘がいる。
「何が奇遇だ。どうせ後を追いかけて来たんだろう。このストーカーめ」
「頼まれていた帯留めが手に入ったから持って行こうとしていたところだ。この妄想癖め」
「あらあら。用事が一度に済んでちょうど良かったわ。
リョウさんは二人の様子にいつものこと、という風に笑って、近藤さんが手にしている花瓶を手の平で示した。
「どうかな? シンプルだがこの色具合がなかなか味があると思ってね。これなら和でも洋でもどちらでも合うんじゃないかと……」
「そうねぇ。とても素敵だけど、私と相性良いかしら?」
そう言ってリョウさんは僕を振り返った。
青磁の細い壷に見えたそれは花瓶だったらしい。
そう古いものでもなさそうだった。
「水を少し入れてみてもいいでしょうか?」
僕がそう訊くと、近藤さんが雨を入れようか、と店先に出て濡れた花瓶を手に戻って来た。
雨粒のついた花瓶は一層青く見えた。
水を得て嬉しそうにしているようだ。
そのまま見つめていると、花瓶から水の花が咲いた。
花瓶に入った水が浮き上がって花を象ったのだ。
と、その時。
「おはようございまぁす」
店の戸がガラリと開いて酒井さんの孫娘、
近藤さんは慌てて花瓶を背中に隠し、それをガードするように酒井さんと僕が前に出、リョウさんは気を逸らすように柚菜さんに声を掛けた。
「あら、柚菜ちゃん。またショウさんを連れ戻しに?」
リョウさんが『ショウさん』と呼ぶのに近藤さんは一瞬眉間に皺を寄せた。
近藤さんは苗字から『近さん』と呼ばれるのに、酒井さんは下の名前から『ショウさん』と親し気に呼ばれているのが気に喰わないのだ。
近藤さんも『セイさん』と呼んであげればいいのに、と思うのだが。
「いえ、今日はこれを届けに。おじいちゃん、間違って持ってっちゃうんだもの」
苦笑する柚菜さんの様子を見る限り、先程の花瓶の様子は見られていなかったようで、一同胸を撫で下ろす。
が、柚菜さんの視線が背後に向くと、僕は血の気が引いた。
彼女の後ろに着物姿の女の子がいたからだ。
店の入り口から真っ直ぐに僕を見ている。
「あとね、ここの場所を尋ねられたから一緒に来たんですけど……」
「入ってもいいか?」
柚菜さんの言葉を遮って女の子がそう僕に訊いた。
翠色の着物に黒い帯、おかっぱ頭のどことなく座敷童かこけしを思わせる風貌には見覚えがある。
人じゃない。雨だ。
名を『
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