2.無邪気な悪戯

 翠雨は見た目は子供だが、魁よりも年上で力のある『太古の雨』の一種だ。

 橋を渡らずともこちらに来ることができるこの雨は、自分の意思で普通の人にもその姿を見せることができるのだ。


「……いいですよ。どうぞ、いらっしゃいませ」


 僕は渋々そう答えた。

 柚菜さんを除くこの場の全員がこの雨を見知っている。

 祖父の代から毎年この時期に現れる雨だからだ。


「いいのかい?」

 近藤さんが声を潜めて心配そうに僕に問う。

「招き入れないと後が面倒なので……」

 雨は招かれないと人の家には入れない。

 力のある『太古の雨』もその点については例外ではない。


「魁に連絡するかい?」

 近藤さんはそう言ってチラ、と柚菜さんを見た。

 柚菜さんは橋守や雨について何も知らないし、僕はできることなら知られたくないと思っている。

 知られてしまったら彼女に嫌われてしまう気がして、言えずにいるのだ。


 バレないようにする為にはここは魁に頼るのがいいかもしれない。

 そう思って店の奥へ移動しようとした時、


「ところでここには何の御用で来たの?」


 ふいに柚菜さんが当然の質問を雨にした。


「わ、わしに会いに」

「僕の親戚で……」

「私に……」


 雨が答える前に酒井さんを除く全員が同時にそう言って、お互い顔を見合わせて「しまった」という顔をした。

 当然、柚菜さんはどういうこと? と僕達を怪しむように見やった。


「そんなことより忘れ物を届けに来たんじゃないか? その箱は?」

 困る僕達に酒井さんが話を逸らすように助け舟を出してくれた。

「あ、そうそう。帯留め、別の持って行っちゃうんだもの」

「や、こりゃしまった。助かったよ、ありがとう」

 彼女から小さな箱を受け取り、代わりに持っていた風呂敷包みを預けた。

 箱の中身を確認して、これだこれだ、と頷いてからリョウさんに見せる。


「アヤさん、アヤさん。ほら、帯留め。アヤさんにぴったりだと思ったんだが、どうだね?」

 箱の中から赤い丸い帯留めをつまんで見せた。

 何の花かは分からなかったが、花の模様が描かれている。


「九谷焼なんだが色が綺麗だろう?」

 酒井さんが自慢気に言ったが、リョウさんはそうねぇ、と片手を頬に当てて首を傾げた。

「とても素敵だけれど、赤は赤でももう少し濃い色でデザインも……」

 自信満々だった酒井さんは急に萎れて、分かりやすく肩を落として落ち込んだ。


「ごめんなさいね。私がもうちょっと詳しく説明してれば良かったわね。薄い色の帯に合わせようと濃い色のものが欲しかったのよ。それに私はもうこんなお婆ちゃんだから、明るい色よりも少し落ち着いた色の方が……」

「いやいや。アヤさんはまだまだ若いから!」

「ふふ。やぁね。そんなこと言ってももう一度選び直して頂くわよ」

 さすがリョウさん。

 なかなかに手厳しい。


 でも、酒井さんの言うように、リョウさんはとても上品で若く見える。

 お婆ちゃんというより、お婆様という感じだ。

 見た目だけでなく、優しくて控えめでありながら、言うべきことはきちんと言える人だ。

 二人が想い続けるのも分かる気がするし、また二人が彼女に頭が上がらないのも分かる。


 そんな和やかな会話を僕と近藤さんは黙って立っている女の子と柚菜さんを見、内心ドキドキしていた。

 女の子がいつ人じゃないと柚菜さんにバレやしないか、僕が橋守で普通じゃないとバラされやしないかと気が気じゃない。


「おい!」


 ふいに雨が口を開き、全員の視線が女の子に向けられる。


「久し振りに会ったというのに随分な態度だな」


 無視をされているように感じたのか、雨は少々不機嫌そうに僕を見た。

 明らかに僕に話しかけている。

 当然といえば当然なのだが、それを柚菜さんに悟られたくなかった。


「あらあら。ごめんなさいね。この子は初めましてだったもので……」

 咄嗟にリョウさんがそう対応すると、

「タイミングが悪かったみたいで申し訳ありません」

 近藤さんも続けてそう対応してくれた。


 それで雨はふぅん、と僕達の顔を順に眺め、何も知らんのかぁ、とにやりと笑った。

 嫌な予感がする。


「骨董に和菓子に呉服。で、そいつは?」

 雨は近藤さん、リョウさん、酒井さんを順に指さし、最後に柚菜さんを指さした。

 本当の名前を雨には言っていない。

 名前を知られることは絶対に避けるべきこと、と祖父から教わった。

 それをこの三人も知っているから雨には自分達が営む店を名前として伝えている。


 だから、柚菜さんが名前を言おうとするよりも早く酒井さんが口を開いた。


「コレは孫です」

「マゴ? 珍妙な名だなぁ」

「いえ、それは……」

 柚菜さんが否定しようとするのを酒井さんが彼女の袖を引いて止める。

 反射的に柚菜さんはなんで? という表情で酒井さんを振り返ったが、酒井さんの珍しく険しい表情に彼女は不服そうに口をつぐんだ。


「マゴは何でここにいるんだ?」

「おじいちゃんが忘れ物したからそれを届けに来たのよ」

「ふぅん。で、こいつとはどういう関係だ?」

「お友達よ。はる……」

 柚菜さんが僕の名前を言いかけたので近藤さんが大きな咳をし、酒井さんがあ、と声を上げ、リョウさんは僕に同情の笑みを浮かべた。

 僕は一人、『友達』と即答されたことに静かに傷ついていた。


「大丈夫ですか?」

 近藤さんの咳に柚菜さんが心配そうに声をかけると、いや、と珍しく近藤さんは否定した。

「ちょっと風邪を引いたかもしれん。悪いけど、今日はもう店を閉めようかと……」

「そうね。無理はなさらない方がいいわ。歳をとるとたかが風邪でもいろいろ大変ですからね。さ、私達もおいとましましょ」

 リョウさんが柚菜さんを促す。


 それでやっと僕は近藤さんとリョウさんが僕のために一芝居打ってくれたのだと理解し、安堵した。

 雨から柚菜さんを遠ざければ一安心だ。


 そう思ったのだが。

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