5.桜、散ル

 今年二度目のお花見は花時雨のお蔭で雨の心配もなく始まった。


 魁の手製のおかずは味だけでなく見た目にも華やかで、お花見にふさわしく好評だった。

 定番のおかずもアレンジがされており、卵焼きには明太子と青海苔が入っていて食感も楽しく、唐揚げも甘辛黒胡椒だれのかかったパンチの効いた味に仕上がっていた。

 他にも揚げ春巻きも形がポロシャツ風の形をしていたり、ロリポップを思わせるようなカラフルな野菜を巻いた肉巻きが入っていたりと、実に手の込んだおかずが三段のお重に詰め込まれている。

 見た目は若者向けでも味はちゃんと年寄りにも馴染みのある和風にアレンジされている。


 一方、リョウさんはいつもは桜餅とか桜餡の和菓子を持って来るのだが、さすがに今は季節外れということで、今回はりんごと白餡を混ぜたものを桜色の求肥で包んだ餅と桜を模した練り切りだった。

 いなり寿司も山葵菜を混ぜ込んだものだったのが、オープンいなり寿司、つまり通常のいなり寿司をひっくり返した形で、海老と錦糸卵と人参と絹さやが綺麗に盛り付けられたものになっていた。

 人参は桜の形をしていた。

 リョウさんの工夫とお花見を楽しみにしていた気持ちが伝わって来る。


 酒井さん達はあったかい緑茶の入った水筒と汁物が入った水筒はいつも通り。

 クーラーボックスには缶ビールと缶チューハイが数本ずつ、日本酒が二瓶入っていた。

 日本酒は『すず音』という宮城のお酒。

 発砲日本酒ということでシャンパンのような喉ごしが特徴的だ。

 アルコール度数が低く、女性陣向けの日本酒だが、このくらいが年老いた男性陣にも昼に飲むには丁度いいらしい。

 実は僕もケンさんもさほどお酒は強くない。

 そういうところへの気遣いなのかもしれない。


「ところで魁さんは?」

 乾杯が済んだところで柚菜さんが疑問を口にした。

 魁はタキさんの恰好で来ている。

 故に爽やか執事の魁は来られない。

 執事を僕は全力で止めてタキさんで行かせたのだが、やはり柚菜さんは執事とお花見するのを楽しみにしていたようだ。


「期間限定で手伝ってもらってたので、残念ながら今は私だけですよ」

 タキさんの姿で魁がそう笑むと柚菜さんは「そういう意味じゃ……」と手を振った。

 それを事情を知っている皆が揶揄う。


 ケンさんは相変わらずキラキラした目で僕と魁を見る。

 その目は何か言いたそうで、柚菜さんの前で何か口走らないかと内心冷や冷やしていた。


 季節外れではあるけれど、なぜだかこの日一日、春の陽だまりにいるような気分になった。

 お花見が終わってしまうのが切なくなるほどに楽しい時間ほど早く過ぎてゆく。

 お昼前から始まったお花見はなんだかんだで三時前には持ち寄ったもの全てが綺麗になくなり、自然と散会となった。


 ゴミを袋に分けて入れ、シートを畳んだところで全員が桜並木を名残惜しそうに見つめた。

 重箱は魁が僕はゴミ袋を手に並んで帰途に着いたのだが、いつの間にか柚菜さんと並んで歩いていた。

 他はそれぞれが誰かと並び、僕達の前を歩いている。

 十五分程度の道程をゆっくりと歩く。


「楽しかったですね。今年は二回もできてなんだか得した気分ですね」

 少しお酒の入った柚菜さんはいつにも増して饒舌で、ほわんとした笑顔が素敵だった。

 今日の柚菜さんの服装は白いブラウスにスカートは桜色だった。

 今更そんなことに気づくが、口にはしなかった。

 代わりにそうですね、と気の利かない相槌しか打てなかった。

 話題を探そうと空を仰ぐ。

 空なんか見たってそれこそ何もないというのに、視線が勝手に空へと向かった。


 見上げた空には雲の合間から白い月が覗いていた。

 真昼の空にも月は在る。

 月は夜だけのものじゃない。


「……月が、綺麗ですね」


 月を見て思い出した言葉だ。

 ストレートに想いを伝えることはできないけれど、伝えたい言葉がそこに隠れている。

 柚菜さんが僕をただの友達と思っていることは知っている。

 それでも伝えたいという想いが酒の力を借りて何気なく口をついて出た。

 今の僕の精一杯だった。


「じゃあ、私は『死んでもいいわ』って答えたらいいかしら?」


 即答した彼女の顔は少し照れていた。

 そんな彼女の様子に僕は「あ」と思い出して赤くなる。


 夏目漱石と二葉亭四迷の有名な言葉だ。

 夏目漱石は「I love you愛してる」の訳を「月が綺麗ですね」とし、二葉亭四迷は「Yoursあなたのものよ」を「死んでもいいわ」と訳した。


 彼女はそれを言っているのだ。

 これはどう受け止めるべきか。

 ただの文学知識の披露か、それとも僕の想いへの返事か。


「あ、雨」


 僕がぐるぐると悩んでいると、彼女はそう言って空を仰いだ。

 花時雨だ。

 花見が終わったから降らせ始めたのか。


 バッと傘を開く音がし、前を歩いていたはずの魁が無言で僕に傘を差し出した。

 見ればリョウさんとケンさん、近藤さんと酒井さんがそれぞれ相合傘をしている。

 どこから出したのか、用意周到な魁は折り畳みではない普通の傘を三本用意していたようだ。


 それを無言で受け取って柚菜さんと相合傘になる。

 あんな会話をした後なので少々気まずい。


 いつだったか魁が言っていたのをふと思い出す。


「人間の声が一番綺麗に聞こえるのは雨の日の傘の中なんです。人間の声はいわば音波です。それが雨粒に反射して傘の中で共鳴するので、特に雨量がやや多く囁くような声の時が最も美しく聞こえるそうですよ。ですから、告白するなら相合傘をしてすると効果的らしいです。ちなみに、先代はプロポーズを傘の中でしたそうですよ?」


 傘の中での声、か。


「……ごめんなさい。てっきり夏目漱石かと思って。今時そんなこと言う人いませんものね」


 雨量は多くないが、囁くような彼女の声。

 でも、そんな科学的なことじゃなく、彼女だから美しく聞こえるんだと思う。


 僕も少し酒に酔っていた。


「そうですね。僕も柚菜さんはご存知ないかと思っていました」

 え? と彼女が立ち止まる。

 僕も立ち止まって柚菜さんを見つめる。

「月が本当に綺麗だったから誤魔化せるかと思いまして……」

 彼女の頬が赤くなるのが分かった。

「それって……告白……ですか?」

「はい」

 僕も赤くなる。

 お互いお酒のせいじゃないのは分かっていた。


「晴一様」


 そんな良い雰囲気を壊す声が唐突に背後からした。

 振り返ると花時雨が立っていた。


「満開の桜でなかった故、思いの外早く私の役目も終わってしまいそうです。今宵橋の袂でお待ちしております」

 花時雨はそれだけ言って一礼して去って行った。


 桜並木を振り返ると桜の花弁がはらりはらりと静かに舞っていた。

 満開の花が風に散らされるような豪快さとは正反対であったが、花が散る様はどちらも切ないものだと思った。


「……桜が散る前にお花見ができて良かったですね」

 ぽつり、言った僕の言葉に彼女も桜並木を振り返り、そうですね、と静かに同意した。



***



 その夜、約束通り僕と魁が家の裏の石橋の前に行くと既に花時雨が来ていた。

 花時雨の名を呼び、還れと命じるだけだ。


 でも、橋を渡らせてしまったら二度とこちらには来られないのだ。


「役目はどうするんだ?」

「他の時雨が代理を務めます」

「でもその雨にも自分の役目があるだろう?」

「はい。ですから完璧に役目をこなせる訳ではありませんが、人にはお花見を長く楽しめるという利点がございましょう」

「桜には困ることだろう?」

「ふふっ。雨を憎んでおいでのことも存じ上げておりますよ。私はあなたのお名前を存じております。命令させないでくださいまし」

 そう言われると二の句が継げない。


「……花時雨」

 仕方なく名を口にする。

 雨なんて必要ない、いなくなればいい。

 そう思っていた。

 でも、全ての雨がそういう雨じゃないと最近ようやく理解を示せるようになってきた。

「還れ」

 ふ、と笑んだ花時雨はありがとうございます、と言ったように聞こえた。

 橋の上に濃い霧が立ち込め、そこに吸い込まれるように花時雨は消えて行った。


「狐雨に続いて二度目ですね」

 ふと魁が険しい表情でそう言った。

 自ら浄化を望む雨。

 そんな雨は珍しいと魁は言う。


 なぜだろう。

 桜はわくわくする気持ちを連れて来て、切ない気持ちを残して散っていく。

 花時雨のいなくなった花器をリョウさんに返すのが寂しいと思う。

 雨を嫌っていた僕がそんな風に思う日が来るとは、なんだか不思議な気持ちだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る