幕間(柚菜):季楽庵にて

「月が綺麗ですね」

 昼間の空に浮かぶ白い月を見て、彼はそう言った。


 それは私の理想の告白の台詞だった。

 それを言われたら絶対こう言おうと決めていた台詞がある。


「死んでもいいわ」


 だからあの時、ちょっと酔ってたのもあって、反射的にそう言ってしまった。

 でも、相手が彼だから言ってしまった訳で、全く好意がなかった訳でもなくて。

 というよりむしろ「ちょっといいなぁ」って思ってたくらいで。

 それでそんな人からそんな素敵な台詞が飛び出した訳で。

 次、こんな機会チャンスあるかどうかも分からないから、今しか言う時はないって思った訳で。

 で、やっぱりちょっと酔っていたせいで。


 なんであんなこと言っちゃったかなぁ?

 単純に月が綺麗だって思っただけかもしれないのに。

 むしろ普通はそっちだし。


 でも。

 告白ですか? って訊いたら「そうです」って肯定されたから。

 益々どうしていいか分からなくなって。

 向こうも酔ってたみたいだし、次会った時に覚えてなかったらどうしよう? って思ったら聞くに聞けないし、その前にどんな顔して会ったらいいか分からないし。


 ということを季楽庵きらくあんでのお茶のお稽古の時にリョウさんに相談してみた。


「あら。やっぱり柚菜ちゃんは晴一くんのこと好きなの?」

「やっぱりって……分かってました?」

「二人共分かりやすいもの」

「二人共?」

「そうよ。それに二人共鈍すぎて」

「二人共?」

「そう。二人共」

「え? それって……」

「そう。だからショウさんの機嫌がいつも悪いのよ」

 ふふっ、とリョウさんはとても楽しそうに笑った。


「それにしてもあの晴一くんがそんな告白をするなんてねぇ」

「……リョウさん」

「なぁに?」

「お花見以降、彼と会いました?」

「様子が気になるのね? なら、自分で会わなきゃ。私が何て言ったって気になるでしょう?」

「そう……ですけど……」

「でしょう? こういうことは周りがとやかく言ったってどうにもできないもの。むしろ悪くなるばかりよ? 自分で確かめなきゃ。告白する前ならともかく、お互い両想いだったって分かった後じゃない。何をそんなに悩んでるのか私には分かりません」

 ピシャリと言われ、思わず正座し直す。


「……でも、私どっちかって言うと嫌われてるって思ってました」

「あら、なんで?」

「避けられてる気がしたし、リョウさん達と一緒にいる時は楽しそうに見えるけど、私が来た途端、急によそよそしくなる気がして」

「それは単に好きな人が来たら緊張したり、そわそわしたりするでしょう? そういう……」

「あんまり一緒にいたくないみたいな感じもしたんですけど?」

「ああ、それは……」

 言いかけてリョウさんは困ったような笑みを浮かべた。

「彼はちょっと不器用なのよ。好きだから嫌われたくなくて言えないことってあるでしょう? 彼の場合、それをとても重く受け止めてるだけなのよ」

「言えないこと?」

「そう。誰にも一つくらい秘密はあるでしょう?」

「リョウさんもあるんですか?」

「あるわよ。長く生きてるとね。それに女は秘密が多いものよ」

 さすがリョウさん。

 素敵な女性だなぁ、といつも尊敬してしまう。


「ちゃんと彼と向き合って、彼の話を聞いてあげて。まずはそこからね。彼も今、いろいろ悩んでるところだから、話を聞いてあげるだけでも心強いと思うわ」

 そっか。

 私だけが悶々としてると思ってたけど、告白した彼の方がずっと悶々としてるはずだ。

 だって、私はまだちゃんと返事してないもの。

 死んでもいいわって言って彼もその意味を理解したみたいだけど、告白ですか、と聞いて肯定された後、私、結局何も言ってない。

 その後、彼が話を逸らしたから。


 私、最低だ。


「あら、落ち込ませるのが目的じゃないのよ? ね、人ってね、心があって言葉があるでしょう? どっちか片方じゃ駄目なの。心で想っているだけじゃ伝わらないし、心にもないことを言っても伝わらないものよ? 両方揃ってないとね。だから柚菜ちゃんは晴一くんのどこが好き?」

 確かにそうだ。

 言わないと伝わらないし、言葉だけじゃ物足りない。

 でも、改めて彼のどこが好きかと訊かれると……

「口数は少ないけど、思いやりがあって優しいところが好きです」

「それから?」

「えっと……私と一つしか歳が違わないのに、とてもしっかりしてるところ……かな? ご両親と……おじいさんまで亡くされて……それなのに前向きで家事もされてるって聞いたし……ちゃんと自立してるところが凄いなぁって……この間のお花見だってお弁当、ほとんどタキさんが作ったって言われてましたけど、晴一さんも手伝ったってタキさんがこっそり教えてくれました。そういうところ、尊敬してますし……」

 一生懸命好きなところを話していると、不意にリョウさんが吹き出した。

 え? とリョウさんを見つめると、ごめんなさい、と笑われた。

「本当に晴一くんのことが好きなのねぇ」

 言われて赤くなるのが自分でも分かって、両手で頬を押さえた。


「晴一くんには魁さんがいてくれて良かったって思ってるの。魁さんがスパルタだから一人でも生きていけるようにって、家事を教えてるみたいだけど、数年かかってもまだ卵焼きが上達しないって嘆いていたわ。でも……」

「え? 魁さんってもう辞められたって……?」

「ああ、そうだったわね。その辺もいつか晴一くんから説明してもらえると思うけど……ま、とりあえず今のは聞き流して。ね?」


 どういうこと?

 魁さんはずっと一緒に暮らしてた?

 リョウさんも近藤さんもおじいちゃんだって皆何か知ってる風で、私に何か隠してる。

 それは多分、晴一さんのことだ。

 彼の秘密って何?


「……ねぇ、柚菜ちゃん。私は晴一くんじゃないし、長く生きてても分からないことはたくさんあるわ。ここで私に相談してくれて嬉しいけれど、相手がいることは解決はできないと思わない? 女は度胸って言うでしょ? 男は理屈や理由がないと動けない生き物だったりするのよ。だから、女から動かないといけない時もあるの。知りたいことは直接本人に訊いてみたら? きっとスッキリするし、気持ちもちゃんと伝えなきゃいけないでしょ?」

「そう……ですね」

「そうと決まれば、善は急げよ。今から行ってらっしゃい」

「ええっ? 今からですかっ?」

「そう、今から。こんな調子じゃお稽古にも集中できないでしょ?」

 言われて手元を見る。

 水は零れてるし、お抹茶の量はおかしいし、惨事が広がっていた。

 すみません、と項垂れると、背中をぽん、と叩かれた。


「ほら。行きなさい。地図を描いてあげるから」

「地図って……」

「今日は古月堂はお休みだもの。晴一くんは自宅よ」

 自宅に行くのは初めてだ。

 確かに近藤さんの前でこんな話をするのは恥ずかしいけれど、だからっていきなり突然ご自宅に伺って魁さんやタキさんがいる前で話をするのもちょっと抵抗が。

「大丈夫。魁さんには私から上手く電話しておくから」

 ね? とリョウさんに笑顔を向けられ、ぽんぽん、と再度背中を叩かれると、なんだか急に勇気が湧いて来た。


 リョウさんに送り出され、覚悟を決め、私は初めて晴一くんの家へ、流家へ向かった。

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