6.雨の橋守

 刀が勝手に銀箭と叢雨の間に割って入り、二人のちょうど真ん中の地面に突き刺さった。


 僕の意思に反して刀が勝手に動いたのだ。

 何が起きたのか僕を含め、その場の雨達も刀に視線を注いだまま一瞬動きを止めた。


 刀は僕がまだ「魁」と呼んでいないにも関わらず、人の姿に戻った。


「これは橋守と銀箭の問題です。助太刀感謝致しますがここは橋守に譲って頂けないでしょうか」

 魁は睨みつける叢雨に向き直った。


「なんで……?」

「正式に橋守を継ぐと私は少しだけ自由に自分の意思で動くことができるようになるんです。その為に信頼関係がないと刀に姿を変えることすらできなくなりますがね。それとあのアメを身の内に宿したことによって、あなたの心の強さがそのまま私の刀としての威力に影響しますし、言葉にせずとも意思疎通が多少なりとも可能になります」

 僕の問いに魁が笑顔で答えた。


「こちらの銀箭はあなたの仇です。加えて他の雨を白雨に喰わせたり、本来中立であるはずの虹蛇を巻き込みました。浄化も可能ですし、橋の前です。強制的に帰すことも可能です。それに今ここには鬼雨と叢雨もいますから処遇を彼らにお任せすることも可能です。橋守としてあなたはどうしますか?」


 雨の視線が僕に注がれた。


 こんなに御膳立てされて、橋守として初めて正式にその任をこなす時だ。


「僕は小さい頃から雨が見えることで嫌な想いばかりしてきた。その上、身内を雨によって失った。だから、雨が嫌いだった。雨なんて皆浄化してしまえばいいとさえ思って来た。でも無闇矢鱈に浄化してはいけないと言う。その理由がずっと解らなかった。だけどこの家で雨と関わる度、雨のことを知る度に悪い雨ばかりじゃないって知った。雨にもそれぞれ役目があって、雨にもそれぞれ事情があって……だから、雨を嫌いだけで片付けられなくなった。僕が橋守を継ぐ決心をしたのは……雨が見えないと僕から大切な人を奪った雨に復讐ができないからだ」

 ずっと隠していたことを吐き出す。

 両手に力が入った。

「でも今はそれだけじゃなくて……雨が見えなくなるのが怖い。魁を失いたくない。せっかく会えた雨と会えなくなるのが怖い。いつか橋守でいることを堂々と胸を張れるようになりたい。だから、雨と人とが安心して共存できるように……」

 この決断が正しいかどうか分からないけれど、今の僕なりの正直な答えは。


「銀箭、僕が前へ進む為にお前を浄化する」


「刀ッ」と叫ぶ。

 右手に刀が納まる。


 銀箭が「虹蛇」と叫ぶのと僕が「銀箭」と叫んだのはほぼ同時だった。


 まさに一刀両断。

 僕は銀箭を霧散させたが、空から矢は降って来なかった。


 大した動きはしていない。

 でも、僕は肩で大きく息を吐いた。

 手に残る感触に震えた。


「やはり今の橋守は我らを浄化するのが好きと見える」


 鬼雨に肩を叩かれ、僕は刀を振り下ろしたままの姿勢から直った。

 刀を握る力が緩むと手からすり抜けて、魁は人の姿に戻った。

 恐る恐る鬼雨を振り返ると、その顔は予想に反して笑顔だった。


「また借りができたな。次は叢雨と呼べ」


 そう言うや否や叢雨はさっさと橋を渡ってしまった。


 そんな雨達の様子に魁はニヤニヤしながら僕の頭を撫でた。


「な、なんだよっ」

「少しはマシになったかな、と思いまして」


「まだ雨は嫌いか?」


 不意に鬼雨が問う。


「……今はね。全身びしょ濡れになったし」

 銀箭が霧散したと同時に雨は上がっていた。

 鬼雨は元より濡れておらず、魁は濡れていたが刀から人の姿に戻るとすっかり乾いていた。

 僕だけがずぶ濡れの姿だ。

 安堵すると寒くなってきて思わず震えた。


「人は弱いな……お前もどうせすぐに死ぬ。だから、契約は結ばない。すぐに切れてしまうものなど必要なかろう。お前が橋守を務める間、いつでも手を貸す。そういう約束で良い」

 鬼雨はそう笑みを浮かべて踵を返し、橋を渡って行こうとした。

 その背に「待て」と思わず声を掛けてしまった。


「契約を新たに結び直したい」


 僕の言葉に魁も驚いた様子を見せた。


「新たに、とは?」

 鬼雨が振り返る。


「橋は橋、雨は雨、橋守は橋守、契約は契約。全て別物だと言っていただろ? 僕なりに考えたんだ。確かに今の橋守の在り方は時代に合ってない。ならいっそ全て丸っと変えたらいいんじゃないかって」

「丸っと……?」

「うん。橋守を継ぐ年齢とか橋の機能とか。もっと臨機応変にっていうか……お互いにメリットがないと意味ないと思うんだ」

「契約と言うのはそう単純ではない。一度白紙に戻せば刀は一度消えてしまうぞ?」

「じゃあ白紙にせず……」

「気持ちは分かったがすぐには無理だな。お前の代だけでどうにかなるものでもない。先代も命を賭して変えようとして失敗しておる。それはお前が一番よく知っておろう?」

「そう……だけど……」

「その前にまずは雨を嫌わず、良好な関係を築くことをせねば、誰も賛同せぬぞ? 銀箭を浄化しただけで一人前とは到底呼べぬ。むしろ悪評だけが広まったかもしれぬなぁ? すぐ浄化する雨嫌いの橋守よ」


 意地悪く笑む鬼雨に僕は思わず頭を抱えて項垂れた。


「橋とはこちらとあちらを繋ぐもの。お前はその繋ぎ役だと自覚せい」

 そう言って鬼雨は橋を渡って行った。


「さ、風邪を引きますから早く着替えましょう」

 魁に促され、僕は踵を返して立ち止まった。


「なあ。浄化したのは……間違ってたのか?」


 結局、どの選択が正しかったのか。


「さあ、どうでしょうね? どれを選択したとしてもあなたの気持ち次第だったと思いますよ?」

「気持ち次第って?」

「どういう気持ちでその選択をしたか。そこに周囲が賛同できるかどうか、じゃないでしょうか。それにこういったことは今すぐに答えが出るものではなくて、将来この日を振り返った時にどう思うか、その時になってようやく分かるものだと思います。将来、後悔するのか、良かったと思い懐かしむのか。後者だと良いですね」

「でも、魁は僕に浄化するなって言ってただろ? 今回のはそう言わないのか?」

「言いません。あなたは『前に進む為』とおっしゃいました。敵討ちの意味もあったでしょうが、それだけじゃないでしょう? 過去の自分と決別して雨と真剣に向き合おうとしていました。それに叢雨も『借り』ができたと言ってましたし、鬼雨も今のあなたを快く思っている様子でしたから」

「そうだ。叢雨の『借り』って? あれってどういう意味?」

「分からないんですか? 狐雨の仇ですよ。でもそういうことにしてまたあなたに会いたいと思ってくださったんだと思いますよ? あれは単なる照れ隠しです」

「叢雨は狐雨に救われたって言ってた」

「そうでしたね」

「叢雨はどんな人に心惹かれてたんだろう?」

「……やっぱりあなたは鈍いですねぇ」

「え? 魁は分かったのか? 僕の知ってる人?」

 魁は大きく深く溜息を吐いて僕の背を押し、さっさと家に入るよう促した。


 僕は雨が嫌いだった。


 今は少しだけ嫌いじゃなくなってきた。

 そうしたら目標ができた。


 雨と新しく契約を結ぶ。


 橋のこちらとあちら。

 そこを繋ぐのが僕の役目だから。


 いつか胸を張って橋守だと言えるように。

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