5.刀を振るう理由
渾身の力で叫んだ。
だが、魁は刀に変わらなかった。
ただ緊迫した雰囲気で銀箭を見据えている。
その銀箭は勝ち誇ったように僕を嘲笑った。
「橋守の癖に刀も扱えぬのか。それはそれは可哀想に」
蔑むような笑みを口許に浮かべ、銀箭はチラと空に目をやった。
打ちつける雨に絶望感を味わいながら体温を奪われていく。
対する銀箭は一切濡れていない。
「さあ、契約を結ぼうか、晴一」
ゆっくりと橋から僕へと近づく。
その行く手を鬼雨が片手で制した。
「悪いが私の方が先約でな」
鬼雨がそう言ったが銀箭はそれを鼻で嗤った。
「虹蛇」
銀箭が呼ぶと空から一条の光の矢が鬼雨の右肩を貫き、地面へと倒れた。
白雨の時と違い、矢は刺さったまま鬼雨は霧散することなく地面に仰向けに縫い留められた。
左手で矢を抜こうとするがびくともしない。
「やはり虹蛇を巻き込んでいたな」
鬼雨が吠えると銀箭はニッと笑んだ。
「私は銀箭だ。矢を射るのが役目だぞ」
「有事の時のみだ。今はその時ではなかろうっ」
「刀も扱えぬ橋守をお前は橋守と認めるのか? 橋の存続に係わる。これは有事であろうが」
なあ? と銀箭は魁に同意を求めた。
「……そんな未熟者とどんな契約をしに来られたのです?」
魁は銀箭の問いを無視しそう訊いた。
「橋守はいらない。刀も勿論いらない。橋は残す。ただそれだけだ」
「そんな契約が結べると本気でお考えで?」
「ああ。私は橋守の名を知っている。先代は全てを無くそうとしていたが橋は必要だ。この姿は実に便利だ」
「あなたは思い違いをしていらっしゃる」
「ん?」
「橋を壊す案も出ましたが、最終的には先代は橋を残すおつもりでしたよ。雨は雨、人は人で干渉しないことを条件に」
「嘘を申すな。全てを橋がなかった頃に戻すつもりだったではないか」
「嘘ではございません。鬼雨と氷雨も同席しておりました」
「だが、白雨はっ」
「白雨と交わしたのは単純に橋守の儀式の延期に関する契約だけです。確かにその当時は壊す話もしていましたが、そんな契約は誰とも交わしていません。結局、鬼雨とも約束だけでまだ契約は交わしていません」
「ならば私と契約をっ」
そう言いかけた銀箭は僕を見た。
二人の会話に思わず笑ってしまったからだ。
「何が可笑しい?」
「だって……お前の勘違いで僕の身内は命を落としたのかと思うと笑わずにいられるか?」
なんだ、そんな理由か。
そう思ったら笑えるじゃないか。
そんなことで僕は天涯孤独になったのかって。
「さっきから虹蛇って言ってるけどどんな雨だよ? そいつもお前に手を貸していたのか?」
怒りが込み上げて来る。
腹の底にずっと押し込めていたどす黒い何かが体中に広がって溢れて来る。
「虹蛇は雨じゃない」
地面から鬼雨が答える。
雨じゃないモノが魁以外にもいるのか?
「銀箭は矢です。矢を射るには弓が必要です。雨の矢を射るモノとはさて何でしょう?」
魁がこんな状況でおどける。
「さっさと言えよ」
苛立つ僕をつまらなさそうに見て、
「雨は『rain』、弓は『bow』と言えば?」
レインボー、つまり。
「虹か」
「ご名答。本来中立であるはずの虹を無理矢理連れて来たのでしょう。過去のことには無関係ですよ。虹は雨のことには関わらない。虹を銀箭から解放してあげましょう」
言いながら魁は白馬の騎士のような鎧姿に変わった。
ここは戦国武将の甲冑姿では? と思ったが。
「解放って言ったって……」
刀がないんじゃ僕はただの骨董屋の従業員だ。
幼少期から剣道は習ってきたが、それだって嫌々続けた習い事で上達するにも限界がある。
運動神経だってそんなに良くはない。
雨相手に何ができるっていうんだ。
そんな想いで魁を見つめたが、魁はにっこりと意地悪く笑った。
「もう一度」
魁に促され、僕は息を吸った。
そして。
「刀ッ」
叫んだ僕の手の中の感触にやっと安堵した。
刀の形状は依然と同じ。
だけどただの物じゃない。
そこに魁の意思を感じる。
「なんだ、刀を持てたからとて、私を浄化する理由はないだろう?」
理由なく雨を浄化できない。
僕の身内の命を奪ったのは白雨であって銀箭ではない。
直接手は下していないが、全て銀箭の計画だったと魁や鬼雨の話から僕がそう確信しただけで、何の証拠もない。
浄化する理由は僕にはない。
魁を刀に変えることはできたけど、振るう理由がなければ意味がない。
いや。
「理由はある。虹蛇を解放してもらおうか。応じなければ……浄化する」
以前、魁の意思に反して刀に変え、
その時、無闇矢鱈に浄化するなと咎められた。
なぜ浄化してはいけないのか。
その理由が分かるまで刀を振るってはいけないとも。
今は少しだけ分かる。
上手く言葉で説明できないけど、命を簡単に奪ってはいけない。
どんなモノにもそのモノにとっての正義がある。
こちらの正義を押し付けて相手を悪と決めつけるのは間違っている。
何が正しくて何が間違っているか。
その基準は皆同じじゃない。
自分だけの価値観で神の如く他を裁くことはできない。
多分、魁が言いたかったのはそういうことだ。
「できるものならな。忘れておるようだが、私はお前の名を知っておるのだぞ? 晴一」
名を呼ばれる度、足が竦む。
「動くな、晴一ッ」
刀を構えたままビタッと動きを止める僕を銀箭は楽しそうに嗤った。
動こうと全身に力を込める。
だが、僕の体は指一本動かすことができなくなった。
覚悟決めて啖呵切ったけれど、これじゃあ何もできない。
焦る僕に銀箭は嗤いかけた。
「鬼雨も動けぬ。お前も動けぬ。さあ、この状況で誰を浄化するって?」
口を開こうとするが動かない。
震える口許に気づいた銀箭が「ああ」と声を漏らした。
「晴一、何が言いたい?」
その一言で口が開いた。
「狐雨」
さっきの白雨の話で思い出した名だ。
僕の唯一の雨の友達。
「
嗤った銀箭の顔が歪んだ。
「お前は?」
僕がいるのは橋の袂。
そこで橋守が名を呼べば即座に雨が橋の上に現れる。
振り返った銀箭の前にあの雨がいた。
「窮地のようだな、橋守。それと銀箭と……鬼雨か?」
「銀箭は虹蛇を巻き込んだ」
「そりゃ……悪い子だ」
雨の表情が一変する。
「
鬼雨がその名を口にした。
「名を隠す為に決まってるだろう? 橋守の前で明かすなど正気か?」
「叢雨だと?」
鬼雨に苦言を呈する叢雨に明らかに銀箭は動揺していた。
強い雨なのだろうか。
叢雨と言えば強く降ったり緩んだりとその名の通り叢のある雨だ。
「おい、橋守。あの時の借りを返すぞ」
そう言うなり叢雨は鬼雨を貫いた矢を意図もあっさり抜くと、それを銀箭に突き刺した。
が、銀箭の腹に刺さった瞬間、矢は霧散した。
同時に体の自由が利くようになり、再度刀を構え直した。
「叢雨っ、お前まで人の味方をするかっ」
銀箭が吠える。
「橋守には借りがあったまで。それに今ここにおいて雨の窮地とも思えぬがどういう理由であれ、虹蛇を巻き込む奴は許せん」
「橋守は鬼雨と雨にとって良からぬ契約を結ぼうとしておった」
「鬼雨と?」
銀箭の言葉に叢雨が訝し気に鬼雨を見やると、鬼雨は立ち上がりながら首を横に振った。
「思い違いだ。そのせいで橋守の縁者が数名亡くなっておる。こちらは狐雨、花時雨が白雨に喰われた。他にも喰われた雨がおる」
「狐雨が?」
その名に叢雨が強く反応した。
「狐雨はお前のせいで喰われたか」
叢雨の形相に銀箭が怯んだ。
その瞬間、僕の手から刀がすり抜けてしまった。
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