2.一期一会
リョウさんとケンさん
「あら?」
小雨降る中、傘も持たずに軒下に佇む人影に
大きなリュックを背負い、疲れた表情のその人物は異国の青年だった。
髪も目も茶色で肌は白く、背が高くモデルみたいだと綾は思った。
大きな茶色い子犬に見えた。
「日本語、分かるかしら?」
声を掛けたのは迷子の子供のように見えたからだ。
「……少シ」
片言の日本語に綾は少し安堵した。
「違ってたらごめんなさいね。何か困ってるように見えたから……」
綾の言葉に青年は俯いた。
「どこからいらしたの?」
青年の様子に綾は質問を変えた。
「アメリカ」
「そう。じゃあ英語ね。私もちょっとだけ分かるわ。マイ・ネーム・イズ・リョウ。あなたは?」
「ワイアット」
「わ……? なんて?」
「ワイアット」
ゆっくり発音するが綾は馴染みのない名前に困った表情を浮かべた。
「難しいわね……困ったわ」
「ワッツでもダイジョブ」
「ワッツさんね! 私に何かお手伝いできることはあるかしら?」
そう言うとやはり青年、ワイアットは俯いた。
「ちょっといらっしゃい。こんなところに突っ立っていたら風邪を引いちゃうわ。はい、傘持って」
見かねて綾は傘を強引に持たせ、その腕を引いて家に連れ帰った。
タオルを渡し、お茶と茶菓子を出すとワイアットは急に涙を流し始めた。
背中をぽんぽんと擦ると堰を切ったように泣き始めた。
ひとしきり泣いて落ち着いたところで彼はようやく片言の日本語とジェスチャーと英語で事情を話し始めた。
中学生の頃から漫画やアニメで日本に憧れを抱いていたこと。
大学に入って日本語の勉強を本格的に始めた矢先、父親が病に倒れたこと。
幼い頃に母を亡くし、唯一の肉親の父は末期ガンで入院費、治療費がかかり、大学は中途退学したこと。
けれど治療の甲斐なく父親は亡くなったこと。
働く前に日本へ旅行しに来たこと。
憧れの地では何をしても父親を思い出し、一人であることを痛感させられるばかりで全然楽しめていないこと。
そして、財布を落として困っていたこと。
そんなことをぽつりぽつりと話した。
ワイアット・ジェイデン・フォーサイス。
それが彼の名前でアメリカ、ケンタッキー州出身の一九歳であることを知った。
「せっかく日本を好きだって言って下さる人が泣いているのを見るのは辛いわ。笑顔で帰れるようにお手伝いさせて? ね?」
そう言って半ば強引にワイアットをホームステイさせることとなった。
のだが。
「若い男を家に泊めただぁ?」
翌日、骨董屋にワイアットを連れて行くと店主の
ワイアットを見るなり二人の顔色は変わり、困ってる外国人を家に泊めたと説明するなり酒井がそう声を上げた。
「そんなに驚かなくたっていいじゃない。若い娘の子じゃないんだから」
「そうは言っても物騒だから……」
近藤が顔を
「私、これでも人を見る目は確かよ? 一応、茶華道の先生もしてるしお店もしてますからね。その私の目を疑う気?」
胸を張る綾に二人は「いや……」と口籠ってしまった。
「おや、今日は珍しい人がいるね」
そこに
「あら、瀧さん。ちょうど良かったわ。彼ね、今うちに泊めてるワッツさん。日本に憧れてアメリカから来たんですって」
「へぇー。そりゃ良い人に拾われたねぇ。和菓子屋に呉服屋に骨董屋。日本を満喫してもらえるね」
笑う流に綾はそうね、と嬉しそうにした。
「瀧さんは反対なさらないの?」
「反対って?」
「この二人は私が男の人を泊めたことを咎めるのよ?」
「リョウさんの人を見る目を信頼しているからね。それに……悲しんでいる人を放っておくような人ではないとも知っているしね」
「あら、なぜ分かったの?」
「昨日うちに
流の言葉に全員の視線がワイアットに向けられた。
突然全員の視線を受け、ワイアットは何事かと困惑し綾を見た。
「あなたはラッキーかもしれないわね」
綾の笑みにワイアットは益々困惑した。
「ついでに将棋でも一局と思ったけど、誠さん、ちょっと電話でうちの
「なんだい、雨がまだいるのかい?」
「違う違う。通訳だよ。あいつはそこそこ話せるんでね。普通に来いって言ってくれ」
「はいよ」
近藤が連絡して間もなく魁がお手伝いのタキさんの姿で店に入って来た。
「流家で家政婦をしておりますタキと申します」
流暢な英語でそう伝えるとワイアットは安堵したように「アメリカから来ましたワイアット・フォーサイスです」と英語で自己紹介した。
そこから二人が英語で数分程会話し、その後会話の内容を日本語で四人に説明した。
必死に勉強してやっと入学できた大学を父親の病気により断念せざるを得なかったことに未練があると感じた魁は、ワイアットにある提案をした。
元々日本に憧れがあったのならいっそ日本に移住してはどうか、と。
綾も病によって夫を亡くし、夫の和菓子屋を彼女一人で切り盛りしている。
和菓子屋も力仕事は意外とある。
仕事なら彼女の店で働くことも可能だとも話した。
家なら流家でも近藤家でも用意は可能だとも提案した。
ご迷惑では、と遠慮するワイアットにその心配は無用だとも話した。
「どうでしょう、皆さん?」
魁の提案に手を挙げたのは綾だった。
「和菓子屋ってね意外と仕込みも大変なの。住み込みで働いて貰えたら助かるし、年寄りの一人暮らしより安心できると思わない?」
それには近藤と酒井が「ダメだ」と同時に声を上げた。
「なぜ?」
「なぜってそりゃ……」
「まだ私の目を疑うの? 瀧さん、ダメかしら?」
「いや。私はいいと思うよ。うちには魁がいてくれるけど、もし魁がいなかったら病気や怪我をした時、とても心細く思っただろうからね」
「でしょう?」
「私にできることなら何でも協力するし……」
「瀧っ、一人だけ理解あるフリしてずるいぞっ」
流に酒井が咬みつく。
「まあまあ。ワイアットさんについては私も補償しますよ。日本を愛する未来ある若者を応援してあげてはどうです?」
「ま、まあ。応援してやってもいいが……わいあ? 言いにくい名前をしおって……」
酒井が渋い顔をすると綾も頬に手を当て同意するように頷いた。
「そうね。それは私もちょっと思ってたのよ。そうだ! ケンさんはどう?」
「ケン? なんでまた?」
近藤が問うと綾は「ご出身はケンタッキー州なんですって」とその名の由来を明かした。
「俳優みたいな名だな。カーネルでもいいじゃないか」
酒井がまだ文句を言ったが、他は全員呼びやすいと同意した。
そして、ワイアット改めケンの日本での生活が始まったのだった。
「あら、懐かしい」
不意に声を掛けられ、ケンは顔を上げた。
「リョウさん。探し物してたら出てきまシタ」
ケンが手にしていたのは一枚の写真だった。
日本に移住するのに思いの外いろいろと手続きがあり、それがすべて終わった時に季楽庵の前で全員で写真を撮ったのだった。
日記帳に挟んでいたのを見つけ、日記と共に当時を振り返っていた。
酒井と近藤に嫌われていたと思ったが、二人が綾のことを今でも想っていることを知って謎が解けた。
突然現れた得体の知れない外国人の男が愛する人と一緒に暮らすなんて、誰でも反対する。
それを流だけは反対しなかった。
二人とは違う。
その理由を最近ようやく知ることができた。
あの時、泣いていないのに自分が悲しんでいると見抜いた理由も。
もしあの時、綾に出会わなければきっとアメリカに帰って日本への憧れを捨てていた。
それに橋守という不思議な人に出会うこともなかった。
思い切って日本に来て良かったと思う。
父の死がなければ日本に行こうと思わなかった。
いつかいつかと憧れたまま一生を終えていたかもしれない。
大学で学んでいたって日本語がこんなに上達していたかどうかも怪しい。
何より日本文化を身近に学べる環境にいられるのは奇跡だと思う。
ケンはそれを全て天国の父からの贈り物だと思っている。
「リョウさん、ありがとゴザイマス」
「なあに? 突然」
「日本に来てヨカッタ思ったの、リョウさんのお蔭デス」
「ふふっ。写真のせいね。ちょっと感傷的になっちゃったかしら?」
「いえ。ずっと思ってたことデス。なかなか言えなかったダケ」
「嬉しいわ。私もケンさんと一緒に暮らせて幸せよ」
そう言われて思わず涙が出そうになったケンは慌てて目を擦って立ち上がった。
「夕飯の仕度して来ますっ」
そう言って慌ただしく部屋を出て行くケンの後ろ姿を見、綾は思わず「ふふっ」と笑みを漏らした。
「人生、別れも多いけれどいつ誰と出会うかも分からないものねぇ」
写真にそっと手を触れ、綾は懐かしむように目を細めた。
「ワイアットさん。やっと言えるようになったけど、どうしましょう?」
綾は困った声を出したが、その顔には幸せそうな笑みを浮かべていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます