2.不具の雨
店内の隅に長椅子があり、そこに腰掛けたものの、店の前の道に座り込む雨を覗き込む僕にケンさんは不審そうにした。
「どうシました?」
お茶を出しながら怪訝そうに問うケンさんに僕は答えられず、ただ「ええと」と言葉を探して呟いた。
雨にリョウさんの名を知られてしまった。
しかも雨はリョウさんが橋守だと思っている。
何をするつもりか分からないが、多分悪いことだ。
「あぁ、時間ナイですか? 急いでってリョウさんに伝えマスね」
そう言ってケンさんがスマホを取り出すのを見て、僕は慌てて電話をするのを止めた。
きょとん、と不思議そうに僕を見るケンさんに店の奥へ行くよう促すと、さらに不審そうに僕を見た。
「……僕のこと、リョウさんからどの程度お聞きか知りませんが……」
そう切り出すと、ケンさんはああ、と何かに納得した表情を見せた。
「雨男、デスネ!」
それはちょっと違う。
けれど、やっぱりケンさんはリョウさんからそれとなく僕のことを聞いているようだ。
雨が降る日に会うと「ダイジョウブ?」と気遣ってくれていたから、何となくケンさんは知っているのかな、と思っていた。
ただ、問題はどこまで知っているか、だ。
「表に雨がいるんです」
声を潜めてそう言うと、ケンさんも小声になって日本語間違ってマス、と笑った。
「雨は
知ってくれている、と思ったが、その一言でやっぱり知らないのか、と肩を落とす。
ただの『雨男』という認識でしかなかったようだ。
「リョウさんに電話してまだ戻らないで、と伝えて下さい」
「急いで、じゃなくて?」
「はい。そう言えばリョウさんは理解してくれます。小声で店の奥で話してくださいね」
「なぜデスカ?」
「僕は……」
言いかけて止める。
まだ、人に話す勇気がない。
雨が見えるなんて言って、奇異な目で見られるのがまだ怖いからだ。
黙り込む僕を見て、何かを察したようにケンさんは分かりました、とスマホを手に店の奥へと引っ込んだ。
本当のことを言わなくても何かそれらしいことが言えればいいのだけど、僕にはそういう機転が利かない。
店内に一人残された僕もスマホを取り出し、電話を掛ける。
相手は。
「はいはーい。都合の良い便利な魁ですが、忘れ物? それとも雨? それとも……」
「雨に名前を知られた」
ふざける魁の言葉を遮ると、僅かに沈黙が降りた。
「……あなたのですか?」
「リョウさんの。しかも橋守だと思われてる」
「なぜそんなことに?」
「ケンさんが名前を口にしてしまって……」
「そういうことを訊いているんじゃありません。名前が出たことではなく、リョウさんが橋守だと思われたのはあなたの責任ではなくて?」
魁の言葉に今度は僕が黙り込む。
返す言葉がなかったからだ。
「雨は今、どうしてるんですか?」
「店の前に座ってる。具合が悪そうなんだけど……」
「具合が悪い?」
「あんな雨を見るのは初めてなんだけど……」
「……再生途中かもしれませんね」
「再生?」
「怪我をして回復している途中なんですよ。狐雨を喰らおうとしていた雨がいたでしょう? あの雨はほぼ回復していましたが、今あなたの目の前にいる雨はまだ回復できていない状態なんですよ。雨の見た目は?」
「鼠色の着流しを着ていて、髪も灰色がかった感じで短め……だけど、男にしてはちょっと長いかな? 左腕と左足が不自由そうだ」
そう伝えると少し間があって、そちらに行きます、と言って電話が切れた。
自宅から店までは歩いて十分程の距離だが、魁は数秒で現れる。
壺の中からだったり、受話器からだったりといろいろ予想外の所から現れるのだが、今回は裏口からのようだった。
奥でケンさんがお帰りなさい、と言う声が聞こえ、少しして奥から出て来たのはケンさんとリョウさんだった。
が、それがリョウさんではないことに僕は気づいた。
魁は何にでも姿を変えられる。
人は勿論、老若男女問わないし、あまりなりたがらないが動物にだって姿を変えられる。
無機物は刀にしかなれないらしいが、それも本当かどうか怪しい。
だから、魁本来の姿を僕は知らない。
でも、どんな姿をしていてもそれが魁かどうかは分かる。
あまり知っている人にはなりたがらない魁だが、目の前にいるのはリョウさんではなく、リョウさんの姿をした魁だ。
どこが本物と違うのかと聞かれると困るが、雰囲気とか表情とかどこかが『違う』のだ。
「リョウさん、ハル……」
「分かってます。でもその前にお話ししたいことがあるから、あなたは外してもらえるかしら?」
「は、はい……」
訝しそうにリョウさんと僕を見て、ケンさんは奥へと再び姿を消した。
「で? 橋守に用があるんですって?」
リョウさんの姿をした魁が店の外へと視線を向ける。
椅子から立ち上がって表を覗くと、雨はゆっくりと立ち上がろうとしているところだった。
左半身の自由が利かないようで、よろめきながらゆっくりと立ち上がると、真っすぐに魁へ向かって左足を引き摺って歩き、店の入り口で止まる。
「……お前が橋守か? 随分変わっているな」
「橋守は私ではなくそちらですよ」
魁は冷たく僕を指さした。
「それは盾だと言ったが、嘘だったのか?」
「盾って……?」
骨董屋に来た時も言っていた。
「橋守には刀と盾がある。それは常に対だ」
刀は魁のことだ。
でも僕には魁しか傍にいない。
魁を振り返ると、不機嫌そうに目を細め舌打ちをした。
「……橋守に用とは何です?」
魁の苛立った声音に雨はゆっくりと口を開く。
「ああ、そう言えば盾は殺したのだった。なら、お前が橋守だな。殺されかけた恨みを晴らしに来た。この嘘つきめ」
そう言って顔を上げた雨の顔は傷だらけで酷く歪んでいた。
骨董屋に来た時は俯いていたから顔の傷に気づかなかった。
猫にでも鋭く思い切り引っかかれたかのような無数の傷。
でもそれよりもその口から発せられた言葉に僕は魁を振り返る。
雨が言ったことは本当か、と目で問うが、魁の視線は僕を通り越して雨を見据えたままだ。
「そこから出て来い」
雨の挑発に僕は一歩退く。
「魁、盾って何だよ? 殺したって……?」
小声で背後の魁に問う。
殺した、と雨が言うなら盾が何か推測できる。
僕の予想が外れていることを願うが、魁はそうですよ、と僕の心中を見透かすように肯定した。
「盾はあなたのお父様です。橋守は代々子が盾となり、孫が橋守を継ぐようになっているんですよ。ですから、あなたのお父様を殺したのはこの雨です」
「でも、僕の両親は交通事故で……」
「あなたもどこかで雨が殺したと感じていたはずです。路面が濡れていてカーブでスリップしたと聞かされた時、事故じゃないかもしれないと思ったはずです。できればあなたには知らせたくありませんでした。雨を憎んで、橋守などなりたくないと言い出されては困るので」
それが本音か。
それでずっと本当のことを僕に黙っていたのか。
「そんなに橋守って大事なものか? 僕のために父さんはっ……!」
語尾がつい大きくなると、雨も声を荒げる。
「何をこそこそとっ! 早くそこから出て来いっ!」
雨の声に振り返ると、店の入り口ギリギリにまで迫っていた。
「魁っ。何とかしろよっ」
「分かりました。何とかしましょ」
そう魁はにっこり笑ってカウンターから出て来ると、僕を思い切り突き飛ばした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます