4.魁の思惑
「答えぬなら仕方ない。少々手間だが、あちらに戻ってお前が橋守に名を明かして浄化されたと吹聴して回れば、その御方とやらが出て来るであろうな」
鬼雨の姿をした魁がそう意地悪く笑うと、白雨は卑怯な、と魁を睨みつけた。
どう立ち回っても最早この雨は不名誉な浄化の道しか残っていない。
少し白雨が可哀想に見えて来た。
この膠着状態をあっさり打ち破ったのはリョウさんだった。
「あらあら。お待たせしちゃったみたいね。これでも急いで戻って来たつもりだったのだけど……」
曲がり角から突如姿を現したリョウさんに僕達は慌てた。
「リョウ……」
白雨の視線もリョウさんに向けられた。
「魁ッ」
僕が叫ぶと鬼雨の姿のまま、魁が白雨を飛び越えリョウさんの前に飛び出した。
突然のことにリョウさんが短く叫ぶ。
「さっきとは雰囲気が違うな? 人の匂いがする……人に我らが見えるのか?」
そこでようやく白雨は何かがおかしいと気づいたようだった。
「バレてしまったからには仕方ありませんね」
口調が魁に戻ると、白雨は訝し気に魁を見つめた。
「お前……鬼雨ではないのか?」
「さあ、どうでしょう?」
そう言って魁はリョウさんを店へと小声で促した。
動きの鈍い白雨を魁が引きつけ、その間に小走りにリョウさんが店の中へと駆け込む。
何事か察したようで、リョウさんは店の中から僕達を心配そうに見やった。
そこで僕は初めて周囲を見回した。
白雨に気を取られて周りに人がいないかあまり確認していなかった。
いつもなら誰かに見られやしないかとビクビクしていたのに。
でも、普段から人通りの少ない道ではある。
大通りから一本脇道に入った場所でいわゆる裏通りというやつだった。
何もない場所に向かって話す和装の男女。
どう見たって怪しすぎる。
魁は鬼雨の姿をしているが、雨とは違う為、普通の人にも見えてしまう。
鬼雨の姿は雪女のように若いのに髪が真っ白で目の色も青い。
それも人の目の色にしては明らかに薄い青で、着物も古めかしく、柄はあるが薄い色なので遠目には白装束にも見える。
おまけに眉はとても短く、白い。
魁を刀に変えてさっさと白雨を斬って終わりにしたいが、周囲が気になる。
こんなところ誰かに見られたら銃刀法違反で簡単に捕まる。
でも、今なら誰もいない。
「お前……何者だ?」
「橋守の傍にいる雨ではないモノってなんでしょう?」
「まさかっ」
僕が迷っている間、魁と白雨はそんな会話をしていた。
魁がじれったそうに僕をチラと見やる。
その視線に込められた意味に気づいて、僕はようやく刀っ、と叫んだ。
「刀? お前が?」
魁が刀へと姿を変え、僕の右手に納まってもなお、信じられないという表情で見つめた。
「ああ、そうであった! 刀は雨だった! だから気づくのに遅れをとったのだった!」
ああ、と雨は恐怖の浮かんだ苦悶の表情を浮かべ、僕の右手を見据えた。
刀が雨?
それはつまり魁が雨だというのか?
構えることを忘れ、思わず右手の刀に目をやる。
雨は水に姿を変える。
人の姿にもなる。
だが、それだけだ。
魁のように他の動物に姿を変えることもできないし、人の姿も一つだけで老若男女様々な姿には変わることはできない。
太古の雨と呼ばれる力ある古い雨でさえ、そんな芸当はできない。
だから翠雨は永い年月を生きていても子供の姿のままだ。
そう。
雨と刀にはそういう決定的な違いがある。
だから魁が雨であるはずがない。
仮に雨だとしても雨を浄化する刀になるだろうか。
ただ、雨と似ているだけだ。
雨を浄化する刀として雨に警戒させない為に。
そうだ、そうに違いない。
そう自分に言い聞かせ、刀を握り締め正眼に構える。
己の中の迷いと魁への疑惑を振り払うように刀を振るう。
半身が不自由だから簡単に斬れると思ったが、上手く水へと姿を変え、紙一重で
連撃を仕掛けても器用に躱された。
ならば、と雨の名を呼ぼうと口を開きかけた瞬間、バシャバシャッと水がかけられた。
全身ずぶ濡れになった僕の前で白雨は地面でのたうち回っていた。
そして店の方に視線をやると、ケンさんが手桶と柄杓を手に困惑した表情で僕達を振り返りながら店に駆け戻るところだった。
雨は水と混ざると動きが鈍くなる。
特に水に姿を変えた瞬間だと効果的だ。
ケンさんには白雨が見えていないはずだが、偶々タイミング良く水になった白雨に水がかかった。
店の中ではリョウさんがケンさんに何か話している。
ということは、これはリョウさんのアイデアだ。
機敏に動けるケンさんに指示したという訳か。
「……浄化される前に知りたい」
観念したのか不意に白雨がもがくのを止め、地面に仰向けに転がったままそう切り出した。
「なぜ人は自ら命を絶つ? 雨のように再生せぬと聞くが」
それは意外な問いだった。
え? とその意図を問うと、白雨はさらに続けた。
「誤解をしておるようだが雨に人は殺せぬぞ?」
白雨が何を言っているのか、僕には理解できなかった。
両親は濡れた路面を車で走行中、カーブを曲がり切れずに事故に遭った。
直接手を下していなくとも路面を濡らし、スリップしやすくしたのは雨だ。
事故の要因を生み出し、間接的にでも両親を死に至らしめたのは雨だ。
だから『殺した』という表現は正しいと思う。
でも、白雨は両親が『自ら命を絶った』と言った。
両親の事故は地方紙の片隅に小さくではあったが載っていた。
それは僕自身が実際に見ている。
現場検証もされているから自殺だとは思えない。
何しろ、父が母を道連れにするとは思えなかった。
白雨の言葉は到底信じられないものだったが、嘘だとも言い切れない。
「……自らって?」
だから確認の意を込めてそう尋ねた。
「そうだ。そう問うておる。刀もその場にいたぞ」
刀。
つまり、魁があの事故現場にいた?
魁が傍にいたのに両親は死んだのか?
いや。
魁が傍にいる時に両親は自ら命を絶ったというのか?
訳が分からない。
「どうした? 浄化せぬのか?」
白雨の声音はどこか勝ち誇った響きがあった。
僕はただ混乱し、仰向けの白雨を見下ろして突っ立ているだけだった。
「刀を構えぬのか?」
僕の様子に白雨は目を細めた。
どちらにしろ白雨が仇であることには変わらない。
直接手を下していないにしても、きっかけを作ったのは間違いなく白雨だ。
今なら簡単に浄化できる。
リョウさんとケンさんまでもが危険を冒して手伝ってくれた。
それを無駄にしたくない。
でも。
両親の死の真相を聞き出すまでは白雨を浄化できない。
魁からではなく、白雨の口から知りたいと思った。
その間で気持ちが揺れ動く。
けれど僕はあることを思い出して刀を構えた。
「お前を回復させた相手は誰だ?」
黒幕がいる。
そいつから聞き出せばいい。
だから白雨は浄化する。
「名など……」
そう言いかけた白雨は一瞬にして霧散した。
何かが空から降って来た。
一条の光に見えた。
それが白雨を貫き、霧散させた。
本当に一瞬の出来事で、僕は何が起きたのかすぐには理解できなかった。
「魁っ」
だから刀を魁に戻して説明を求めた。
「何者かが白雨を浄化したようです」
そう言って魁は空を仰いだ。
「刀以外に浄化できるモノがあるのか?」
「ないこともない……ですが」
そう言って魁は空を睨みつけるようにし、それから僕の背中を押した。
「その前にお二人に説明してさしあげないといけませんね。特にケンさんに」
バレちゃいましたね、と言われ、僕は魁に縋るような視線を向けたが、意地悪い笑みによって却下された。
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