4.以心伝心

晴一と柚菜

 雨の夜は月が見えない。


 晴一はるいちはずっと月なんてないと思っていた。

 けれど今は見えなくともそこに在ると知っている。


 雨が隠しているだけだ。

 その雨もずっと降り続く訳じゃない。

 晴れればまた、雲が過ぎればまた、月は綺麗な姿を見せる。


 雨が見えるせいで人と関わることを避けて来た。

 雨が見えるせいで恋なんて無理だと諦めて来た。


「オウ! それじゃ、ついに柚菜ゆうなさんも仲間になったですカ!」

 やったね、とケンはハイタッチしようと片手を挙げたが、晴一は顔を真っ赤にして俯いた。

 ので、ケンは晴一の手を掴んで無理矢理ハイタッチを促し、ぎこちないハイタッチを交わす。


 ケンが住み込みで働く和菓子屋・季楽庵きらくあんは日・祝と月曜日が定休日で、晴一が働く骨董・古月堂こげつどうも柚菜が働く呉服屋・榮屋さかえやも定休日は同じだ。


 日曜の昼下がり、買い物帰りのケンが晴一の下を訪れた。

 なんでも今日、十月一八日は竜恩寺りゅうおんじりょうの誕生日なので、特別な料理を作りたいとかいに弟子入りに来たようだ。


 台所で三人で料理の下ごしらえをしながら、晴一と柚菜の関係について魁がケンに話した。

 ケンにとって晴一が橋守であるということはアメコミのヒーローやサムライのようなカッコイイ存在になっている。

 それが晴一にとっては少々居心地が悪い。

 が、橋守であることを隠さず付き合えることはとても喜ばしく思っているし、歳が近いこともあって兄のような存在になりつつある。

 それは魁や晴一を見守って来た周囲の大人達にとっても嬉しい変化だ。


「なんて告白したんデスカ? デート、いつしますカ?」


 返答に窮する晴一に代わって魁が答えようとすると、晴一がその口を塞ごうとし、台所は賑やかな声が響いた。

 そこに裏庭からよく通る声が割って入る。


「橋守ッ」


 途端に晴一と魁の動きが止まると、ケンが不思議そうに二人を見る。

「呼んでますよ?」と魁。

 何が? と訊こうとしたケンが察して目を輝かせる。

 そんなケンに晴一は複雑な思いで裏庭に向かった。



 一方、その頃季楽庵ではリョウの下を柚菜が訪れていた。

 柚菜の祖父、酒井さかい祥太郎しょうたろうも一緒に行きたいと駄々を捏ねたが、一人で行くとピシャリと言って家を出た。

 誕生日祝いを渡すのが目的だが、そのついで・・・に晴一のことを相談したかったからだ。


 お祝いの品は呉服屋らしく、黒地に華やかな牡丹の絵付けがされたバチ型のかんざしは柚菜から、空色の地に生成りの糸で牡丹がダマスク柄のように刺繍された帯は祥太郎からと二品持参した。

 どちらもリョウの好みに合ったようで、箱を開けるなり「まあ、素敵!」と顔を綻ばせた。


「……皆さん、いつから知ってたんですか?」

 一段落したところで柚菜はそう切り出した。

 勿論、晴一が橋守だということについてだ。


「私達は彼のおじい様、そうさんが橋守だったからこっちに来た時から知ってたけど、ケンさんは最近ね。ちょっと彼の前でいろいろあったから説明せざるを得ない状況になっちゃって……」

「じゃあ本当に私だけずっと知らなかったんだ……ケンさんは知った時、どんな様子でした?」

「晴一君のことヒーローだってはしゃいでたわ。自分は秘密結社か何かの一員みたいなつもりでいるのよ? 晴一君のいないところでも私のこと『和菓子屋』って呼んだりして。おかしいでしょ?」

 リョウがそう笑ってみせたが、柚菜の表情は硬かった。


「……お化けが見えるって小さい頃からずっとなんでしょ? いくら魁さんが側にいても私だったら怖くて家に閉じ籠っちゃう。それなのに接客業やったりお化けと戦ったり……やっぱり晴一さんって凄い」

「そうね。でも晴一君だって閉じ籠ってた時期はあったし、小さい頃から友達ができなくて対人恐怖症なところもあったみたいだし。こっちに来てからかしらねぇ、前向きになったのは。きっと自分を隠さないで生きられるようになったから、強くなれたのもあるんじゃないかしら? それに柚菜ちゃんと出会ったのも大きかったと思うわ」

「え、私? 違いますよ。きっとリョウさん達が晴一さんを受け入れてあげたからじゃないですか?」

「恋の力を侮っちゃ駄目よ。私達に対する『好き』と柚菜ちゃんへの『好き』は別物よ。誰かの為にって思える人がいることはとても大切なことよ?」

「別……なのかなぁ?」

「あら? 晴一君からちゃんと直接秘密を告白して貰ったんでしょう?」

「そうなんですけど……」

「晴一君のこと、嫌いになった? それとも怖いって思っちゃった?」

「嫌いになんてっ」

 柚菜はすぐに否定したが、その表情は暗い。


「ただ……びっくりはしました。思い返してみたら確かにおかしなことはあった気がするんです。どこか違うところを見てる気がしたこともあったし、雨の日はそわそわしてる感じもしたし……だから橋守だって知って納得することは多かったです。魁さんのことも含めて……嫌われてた訳じゃなかったって分かったし、好きな気持ちも変わらなかったけれど……どう接していいか分からなくて……」

「私も初めて瀧さんから普通の人とは違うって告白された時はびっくりしたわ。近さんとショウさんと三人で聞いたのだけどね、告白してくれたってことは私達を大切に想ってくれてるってことでしょう? それは今までと何も変わらないことだもの。それまでも大切な友達だったし、秘密を共有した後も大切な友達よ。柚菜ちゃんは私が実はカツラだったのって告白したら嫌いになっちゃう?」

「え、カツラ?」

「私だってもうこの歳だもの。そういうものも必要になってくるわ。嫌いになった?」

「そんなことで嫌いになんてなりません」

「良かった。それで私との接し方は変わるかしら?」

「……変わりません」

「ね? 晴一君が橋守だっていうのもそれと同じじゃない? 雨の日恐怖症みたいなものでしょ? 今まで通りにはいかないかしら?」

 リョウの笑顔を見ていると、柚菜はこんなことで悩んでいるのが馬鹿らしくなった。


「そうですよね! 単なる恐怖症ですもんね!」

「そうよ! で、今日はせっかくのお休みでしょ? デートはしないの?」

 リョウの不意打ちの質問に柚菜は真っ赤になって固まる。


「デデデデ……デート、ですか?」

「そう、デート。お付き合いしてるんでしょう? 晴一君、きっと魁さんやショウさん達からいろんなこと吹き込まれておかしなことしそうで、ちょっと心配なのよねぇ」

「え、おじいちゃんが?」

「柚菜ちゃんは大事な孫娘だもの。ショウさんが絶対意地悪して来るわよ? 魁さんは面白い玩具を手に入れた子供みたいにはしゃぐだろうし、近さんは真面目にアドバイスしてくれるでしょうけど昔スタイルだから。ケンさんは……どうかしら? 欧米スタイルで積極的で情熱的なアドバイスをしてくれるかもしれないし、間違った日本の知識を押し売りしちゃうかもしれないわね」

 どこか楽しそうなリョウに柚菜は顔をしかめた。


「リョウさんは晴一さんにどんなアドバイスしてるんですか?」

「私は何も。今時の恋愛事情なんて知らないもの。下手にアドバイスして恋路の邪魔しちゃ悪いもの」

「でも私にはいろいろこうやって相談乗ってくれてるじゃないですか」

「あら、そうね。せっかくの誕生日にこんなところでウジウジされてちゃ、ついうっかり口出ししたくもなっちゃうわ。ほら、今日はせっかくの良いお天気なんだし、絶好のデート日和よ?」

 リョウの誕生日のお祝いに来てこんな相談なんてして……と柚菜は反省すると共に落ち込んだ。


「リョウさん、ごめんなさい。お誕生日なのに」

「謝るならデートしていらっしゃい。で、次のお稽古の時に話を聞かせて?」

「はいっ」

 つい流れに乗せられて元気よく返事をしてしまい、しまったと思ったが、柚菜はその場の勢いに任せてリョウの家を後にした。

 前にもこんなことがあった、と思い出しながら柚菜は晴一の家へと向かう。


 ふと道が濡れていることに気づき、空を仰ぐと白い月が浮かんでいた。

 通り雨でも降ったのだろうか。


「月が綺麗ですね」


 あの言葉をどれだけの勇気を振り絞って口にしたのか。


 それから。


「雨は好きですか?」


 その言葉をどんな想いで切り出したのか。


「死んでもいいわ」


 そう答えた時の柚菜の気持ちは今も変わらない。


「小雨は好きです」


 雨は嫌い。

 でもそう答えなくて良かったと心の底から思う。


 昼の空にも、雨の夜空にも月は在る。

 見えないから存在しないと思ってた。

 でも、雲が隠しているだけだと知ってしまった。

 見えなくても存在するものはたくさんある。


 月だけじゃない。

 気持ちだってそう。

 言葉にしなきゃ分からない。

 言わなくても気持ちは在るけどそれじゃ伝わらない。


 柚菜は自身を奮い立たせた。

 普通じゃないから接し方が分からないなんて間違っている。

『普通』なんてどこにもない。

 一人一人違う人間なんだから一人一人違うのは当たり前だ。

 だから特別なことも何もない。

 ただいつも通り行けばいい。


 好きな相手には好きだと伝わるように接するだけだ。

 ただそれだけ。

 それだけのことだ。


 そう勇気を出して流家みずゆきけのチャイムを鳴らした。


「……いらっしゃい」


 戸を開けた晴一は一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに笑顔になった。

 その笑顔に柚菜も安堵すると同時に笑顔になる。


「月が綺麗なのでデート、しませんか?」


 柚菜が思い切って誘うと晴一は顔を赤くしながらも困った表情になった。


「……裏庭に雨が来ているんです。なのでうちで夕飯食べて行きませんか?」


 ああ、あの通り雨はただの雨じゃなかったのか、と柚菜は納得した。

 ちゃんと話してもらえる。

 それも嬉しかった。


「どんな雨が来ているんですか?」


 こんな会話ができることも嬉しかった。


 空は快晴。

 どこまでも高く遠く青く澄んでいる。

 二人の頭上には白い月がはっきりくっきりとその姿を見せていた。

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雨の橋守:雨過天晴編 紬 蒼 @notitle_sou

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