4. お説教の意図

「ちょっと手に負えないと思ったから、こっそりタキさんに連絡させてもらったよ」


 近藤さんに言われ、そういえば、酒井さんが困っている時、近藤さんの姿がなかったような……と思い出す。


「慣れなくてちょっと手間取ったけれどね」

 そう言って近藤さんが自慢気に酒井さんによく見えるように掲げたのは、最新のスマホだった。

 途端に酒井さんの顔が悔しそうに歪み、柚菜さんとリョウさんが見せて見せてと近藤さんを囲む。


「柚菜! 風邪が移るといけないから帰るぞ!」

 上機嫌な近藤さんとは対照的に不機嫌になった酒井さんは、分かりやすく柚菜さんに八つ当たりした。


「そうね。やっぱり今日はお暇させてもらいましょうか。花器はまた後で。帯留めもね。柚菜ちゃん、うちの新作の和菓子、ちょっと味見していかない?」

「あ、リョウさん。花器はすぐに包んで……」

「また夕方取りに来ます。そっちを優先しなくちゃ」

 慌てる近藤さんにリョウさんは僕を指さして楽しそうな、どこか悪戯っぽい笑みを浮かべた。


「さ、お邪魔にならないように私達は退散しましょ」

 柚菜さんは小首を傾げながらもリョウさんに促され、失礼します、と店を出て行った。

 店の戸を閉めながら、酒井さんが頑張れ、とニヤけた顔で口パクで言ったのを近藤さんはムスッとしながらシッシッと追い払う真似をした。


 二人きりになると、近藤さんは真面目な顔でせっかくの機会を不意にしやがって、と毒づいた。

 反射的にごめんなさい、と謝る僕に近藤さんは大きく深く溜息を吐いた。


「……橋守を継いだんじゃなかったのかね?」


 唐突な質問の意図が分からず、え? という顔をすると、近藤さんは売り物のテーブルを指さした。

 いつも近藤さんと酒井さんが囲碁やら将棋やらをするテーブルだ。

 おずおずと酒井さんの定位置に僕が座ると、近藤さんは自分の定位置、僕の向かいに腰を下ろした。


そうの代から毎年会ってるんだ。翠雨が恵みの雨で悪い雨じゃないのは私でも知ってる。勿論、あの二人もね。でも、何も知らない柚菜ちゃんを巻き込んだのは戴けないね」


 瀧とは僕の祖父、みずゆき瀧一郎そういちろうのことだ。


「バレないようにいろいろと心配してくださって……」

「違うよ。だから、橋守を継いだんじゃなかったのかね? と聞いたんだ。誰かにバレてしまうことよりも優先させるべきことがあるだろう? それが分かってなかったから魁を呼んだんだよ。何を優先させるべきだったか、分かるかい?」


 そう問われて初めて僕はあることに思い至った。


 近藤さんはバレることを冷や冷やしていたんじゃなかった。

 そんなことより柚菜さんを危険に晒しやしないかと心配してたんだ。

 魁への連絡も秘密を守る為じゃない。

 柚菜さんを守る為だった。


 僕は馬鹿だ。


 いつも自分中心に考えている。

 周りの人を傷つけたくないと思う気持ちの裏で、自分が傷つきたくないと思っている。


 橋守は雨から人や町を守る為に在るのだと祖父から教わったのに。

 僕は何も理解していなかった。


 柚菜さんに僕のことがバレるのはできれば避けたい。

 幼い頃から周囲と『違う』ことで辛いことばかりだった。

 そこから学んだのは誰とも関わらないこと。

 そうすれば少なくとも僕の心は傷つかない。

 だから、常に僕は人と『違う』ことを周囲に悟られないようにと心掛けて来た。


 でも、それは『違う』と祖父に何度も言われた。

 人が人として生きようとするなら、人と関わらずには生きていけないから、人と『違う』ことを受け入れ、認め、そして初めて人と関わることを恐れない勇気が持てるのだと、そう何度も教えてもらった。


「……分かったかい? 分かったならあの花器を包める状態にしてくれないかね? カウンターの裏に隠してあるから」


 それだけ言って近藤さんは店の奥に引っ込んでしまった。


 近藤さんは僕を雇う際に祖父からいろいろと橋守や雨について聞かされているようで、他の幼馴染達よりも僕をよく理解してくれている。

 そういうこともあって、祖父が亡くなってからは近藤さんが祖父代わりとして親身に相談に乗ってくれたり、何かと世話を焼いてくれる。


 でも、時には本当の祖父のように厳しく叱ってもくれる。

 さっきのお説教もそうだ。

 だからリョウさんが言った「そっちを優先させなくちゃ」の『そっち』は僕への説教を指していたのだろうし、酒井さんが店の戸を閉める際に「頑張れ」と口パクしたのも『そういうこと』だったのだ。


 本当に彼らは僕の大切な『友人』だ。


 時に優しく、時に厳しく。

 こんな僕を理解し、支えてくれる。


 雨が見えるのが嫌だとか、橋守なんて重荷でしかないとか、そんな自分の環境を嘆いてばかりじゃ前に進めない。

 肉親を次々と失って不幸だ、かわいそうだと嘆いていても何も変わらない。


 両親も祖父もいないけど、僕には彼らがいる。

 橋守を継いだのは僕しか継げる者がいなかったからだ。

 他の誰にも僕の代わりはできないし、継いだ以上は僕がその役目を全うしなければならない。


 そんな当たり前のことを僕は『ちゃんと』理解していなかった。


 大きく深く自己嫌悪の溜息を吐いて、よしっ、と気合を入れて立ち上がる。

 カウンターの裏に回り、隠してあった花器をカウンターの上に載せた。

 花器にはまだ水の花が咲いていた。

 花の名前は知らないけれど、大きな花がどん、と咲いている様は誇らしげに見えた。


「うん、リョウさんと相性も良さそうだ」


 骨董は真贋よりも人との相性が重要だ、と近藤さんは言う。

 ただの飾りやコレクションではなく、大切に扱ってくれる人のところへ買われて行く方が物も喜ぶ、と考えているからだ。


 僕は水に関する品に限定されるが、その相性を見るのが得意だ。

 自信を持ってこの花器はリョウさんと相性が良いと判断した。

 水を入れると今回は花器なので花が咲いたが、茶器なら静かに波紋が浮かんだり、水面にどこかの景色が浮かんだりする。

 そういう変化を見て、そこから相性を判断するのだ。


 だが、今回入れた水は雨で、翠雨が降らせたものだったことを僕はこの時、つい失念していた。

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