2.二つの契約
「先代は契約をするなら鬼雨と決めていました」
「鬼雨?」
確かに祖父は困ったことがあれば鬼雨を呼べ、とまで言っていた。
でも、僕は鬼雨にあまり良い印象はない。
気性が激しく、とても交渉ごとに向いているようには思えなかった。
「あなたにとっては意外でしょうけど、鬼雨はあれで結構物分かりの良い方です。先代とは良い信頼関係にあったと思います。お互い竹を割ったような性格でしたから、気が合ったのでしょう」
そう言われてもすぐに納得はできなかったが、僕も鬼雨をそんなに知っている訳じゃない。
まだ一度しか、それもほんの僅かな時間しか顔を合わせていないのだから。
「本来ならば氷雨が適任だったのでしょうが、氷雨に立ち会って頂く形で鬼雨と契約を交わす予定でした。契約の内容は橋を壊さず行き来を自由にすること、橋守は人に害が及ばない限り雨に干渉しないこと、雨もまた人に干渉しないこと、それから互いの名に意味を持たせないこと。一応契約という形を取りましたが、あくまでも先代の中では協定、あるいは約束という認識でいらっしゃいました。お互いの良心に従って今後は付き合っていきましょう、という……」
「ちょっと待って。その約束って雨に有利なことばかりじゃないか?」
橋を自由に行き来できて、名前に意味がない、つまり名前を呼んでも止めることも何もできなくなるなら雨は自由だ。
翠雨のような雨ならいいが、人に害を為そうとするような雨はやりたい放題になるんじゃないか?
「確かに懸念事項はたくさんあります。でも、雨を橋守が管理するのではなく、雨自身で管理する仕組みを作ろうとされたんです。雨のことは雨が、人のことは人が。それでも何か問題があれば雨は橋守に、橋守は鬼雨か氷雨に相談する。そういう風に橋守の役目を変えたかったんですね。この契約を鬼雨はあなたが引き継ぐか否か懸念されていた訳です」
鬼雨がこっちに来た時、契約がどうのこうの言ってたのはこのことだったのか。
「ただ……この契約はあなたが生まれるということが分かった時点で考え、実際に契約を交わされたのはあなたが高校生の時です。一六歳で橋守を継ぐのが決まりですから、その時に合わせて契約を交わしたのです。長い時間をかけて先代が考え、あなたのご両親とも話し合い、鬼雨や氷雨とも話し合って決めたものです。鬼雨も契約とは言いましたが『約束』という認識でいました。でもその前に鬼雨と氷雨に橋守を継ぐ時期を延期するという契約を交わしました。その契約の場に突如白雨が現れ、契約に名を連ねてしまいました」
「白雨が?」
「白雨は先代の妻、あなたのおばあ様の命を奪いました」
魁はそう悲しそうに悔しそうに目を細めた。
「雨には人は殺せないんじゃ……?」
「継ぐ時期を延期するのに人の命を代償にしたんです。白雨は橋守が不在であることを良しとしませんでした」
「でもまだ橋守はいたし、継いでなくても僕だって生まれつき雨も見えたし声も聞こえた。魁を刀にもできる」
「おっしゃりたいことは分かります。白雨は規律というかそういったものに異様に拘るタイプで、継ぐ時期を延期するなどあり得ないとしていました。それに正式に橋守を継ぐと橋を壊せなくなるのです。今ならまだ橋を壊すことは可能なんです」
だから魁はまだ儀式をさせなかったのか。
鬼雨にもまだ報告をしていないのもそのせいか。
「契約は先代が文章にするのですが、内容は雨の言葉をそのまま一字一句
魁は自嘲気味にそう言って僕を見た。
「『とめる』が漢字で書かれていたなら気づいたかもしれません。『留める』ではなく『止める』だったんです。なぜそこだけ漢字じゃなかったんでしょうね? 内容を言ったのは雨ですが書いたのは先代です。漢字が書けなかった訳じゃないのに……日本語は難しいですね」
それで祖父は心臓が止まって死んだのか、と納得はできたけど。
「両親と祖父だけじゃなくて……祖母まで僕の為に犠牲になったってこと?」
「そうです」
「なんで……祖母が亡くなった時に止めなかったんだよ? そしたら両親は生きてたかもしれない。祖父だって死ぬことなかったじゃないか」
「鬼雨と氷雨はこの契約破棄に同意してくれました。でも白雨は……それでこの契約は白雨と先代だけの契約になったのです。契約は両者の同意なくしては破棄できません。だからしてはいけないのです」
「じゃあなんで?」
「鬼雨と氷雨なら、と。白雨が関わって来るのは想定外だったんです」
祖父はずっと契約をしてはいけないと口酸っぱく言っていた。
一見良さそうに思えても雨との契約には良いものなど一つもないと。
それは実体験からのことだったんだ。
自分だけじゃない。
大事な人をも巻き込むことになる。
祖父はずっと僕から両親を奪った後ろめたさを感じていたのだろうか。
僕に雨と契約を交わしてはいけないと言った時、その心中では何を思っていたのだろう。
それでも祖父は鬼雨を信頼していた。
困ったことがあれば鬼雨を頼るよう言っていた。
もしかして。
魁よりも鬼雨を信頼していた?
元はと言えば魁が契約を勧めた。
それって魁も白雨と……?
疑惑は確信へと変わり始めていた。
僕は立ち上がり、魁から離れた。
「魁が……黒幕なのか?」
僕の問いに魁は一瞬驚いた顔をし、いいえ、と首を横に振った。
けれど僕は走ってその場を離れた。
魁は僕を騙していた。
否定したけど嘘だ。
白雨と手を組んで祖父を唆し、契約を結ばせた。
だってそうとしか考えられない。
契約を交わすことは他の雨には秘密だったはずだ。
偶然そこに白雨が居合わせるなんてことがあるはずない。
それに白雨が霧散した時、あの場でそんなことができたのは魁だけだ。
白雨がいろいろ喋りすぎたから口封じに浄化したんだ。
全ての疑問の答えが魁へと繋がっていく。
僕は無我夢中で走った。
そして、家の裏にある橋に辿り着いた。
雨を呼ぶ方法は知っている。
「鬼雨ッ」
名を叫ぶ。
ほどなくして橋の上に濃い霧が立ち込め、鬼雨が姿を現した。
祖父が魁よりも信頼した雨。
それは今の僕にとって唯一の味方だ。
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