2.雨、再ビ

「やっぱり、ここにおったか……」

 肩で大きく息をつきながら、酒井さんはまるで仁王のような形相で近藤さんを見据えた。


「わしが電話しとる間に、アヤさんが来て孫を連れてったと店のもんに聞いたんだが……」

「あら。ちょうど良かったわ。ショウさん、今皆でね、あの川土手の桜が咲いたから来週辺りお花見をしませんかって話してたところなのよ。この時期に桜だなんて素敵でしょう?」


 酒井さんはリョウさんのことをアヤさんと呼ぶ。

 リョウさんと呼ぶのが正しいのだが、それをあえてアヤさんと呼ぶのが酒井さんのこだわりだ。

 単純に呼ぶよりもそうやって人とは違う呼び方をすることで、親密さを周囲にアピールしているのだろうが、僕としてはそれが成功しているようにはあまり思えない。


 が、当のリョウさんは酒井さんを下の名前からショウさんと呼ぶのに対し、近藤さんのことは苗字から近さんと呼んでいる。

 それが酒井さんの近藤さんに対する優越感を増長させているのだが、以前ちらっとリョウさんが話してくれたことによると、酒井さんを苗字で呼ぼうとすると酒さんになるのでやむなく下の名前で呼んでいるのだとか。

 そんな訳で特に深い意味はないようだが、リョウさんも罪作りな人だと思う。

 それならいっそ近藤さんも下の名前でセイさんと呼んであげれば丸く収まると思うのだが。


 お陰で酒井さんは仁王のような顔が綻び、逆に近藤さんがギロリと酒井さんを睨んで仁王のような形相となった。


「花見か! そりゃあ、いい! でもまだ三分咲きだってぇ話じゃないか」

「だから来週辺り。その頃にはちょうど良さそうでしょう?」

 人の話をちゃんと聞いてね、と柚菜さんが酒井さんを肘で小突く。

 その様子にリョウさんが微笑ましく目を細めた。


 僕はひとまず話題が魁から離れてくれたので少しホッとした。

 のも束の間。


「あ、じゃあ、お花見のお弁当は魁さんが作られるんですか?」

 再び話題は魁に。

 その上。

「お、柚菜もついに魁のことを聞いたか。じゃあ、こいつが橋……」

 そこまで言いかけて酒井さんは、リョウさんと僕の必死な表情に気づいて口籠った。


「ついにって……おじいちゃんは知ってたの?」

「ま、まあ……」

「魁さんってどんな方なんですか?」

 柚菜さんの視線は酒井さんから僕へと向けられた。

 どんな、と訊かれても困る。

 外見のことを言おうとしても常に変わるし。

 そもそも僕にだって性別すら分からない。

「どんなって言われても説明しにくいよなぁ。いっそここに来てもらえばいいじゃないか。お花見の打ち合わせもせんといかんしな」

 ニカッと酒井さんが笑うとそうね、とリョウさんも楽しそうにした。

 柚菜さんもわくわくしている様子で、そんな彼女を見たら呼ばない理由なんて浮かばない。

 仕方なく流されるままにスマホで呼び出した。


 一体どんな姿で来るのか、と不安に思っていると僕と同じくらいの青年の姿で現れた。

 爽やかなイケメン執事のコスプレに身を包んでいる。

 彼女を見ると僕の不安が的中し、明らかに心奪われている。


「皆様おはようございます。こちらが柚菜様ですね? 初めまして。魁と申します。みずゆき様のところで執事をさせて頂いております」

 丁寧な挨拶に一瞬間を置いて柚菜さんが自己紹介をしたが、その間は恐らく魁に見惚れていたからに違いない。

 周りを見ると、全員が僕を憐れむような目で笑いを堪えていた。

 魁の嫌がらせだ、とむくれる僕に魁の表情が一変する。


「そちらの花器は?」

 僕に対してではなく、僕の背後のカウンターに視線が注がれていることに気づいて振り返る。

 店に入るなりいろいろあったので全く気づかなかったが、カウンターには以前リョウさんがここで買い求めた青磁の花器があった。


「そうそう。これが私の本題だったのよ」

 思い出したようにリョウさんがぽん、と両手を叩いて僕を見た。


「ちょっと見て頂こうと思って持って来たの。そういえば柚菜ちゃんも何かお遣いがあったんじゃない?」

「私はリョウさんのところへ行こうと思ってたらリョウさんの姿が見えたので……」

「あら、ごめんなさい。今日はお稽古の日だったわね。ちょっとお話したらすぐ戻るから、悪いけどうちで待っててもらえる? ケンさんには事情を話しておくから」

「分かりました。準備しておきますね」

「本当にごめんなさいね」


 少々名残惜しそうに柚菜さんが店を出て行くのを確認するなり、魁が険しい表情で僕を見た。

「この花器に雨を入れましたね?」

 問われて思い出す。


 確か翠雨すいうが来た時だ。

 雨を入れて相性を確認した。

 でも木箱に入れる時、中に入れた雨は捨てたし、花器に付着した雨粒も全て近藤さんが綺麗に拭き取ったはずだ。

 そう主張するが魁は険しい表情のまま、無言で花器を指差した。


 すると、花器の中から水が湧き上がった。

 湧き上がった水は大輪の花をかたどり、咲いた花の中心から人の顔が覗き、さらに全身がそこから出て来て店内に降り立った。


 否。

 勿論、人ではない。

 雨だ。


 桜色の着物を着た女性の姿をしている。

 その髪は長くとき色をしており、切れ長の目尻は狐雨のように朱色のラインが引かれていた。

 翠雨ではない。

 なぜこんなところから雨が……?


「年に一度しかこちらに来ない約束ですが、今年は不思議なことにまた呼ばれましたので、ご挨拶に伺った次第でございます」

 か細い声でそう言うと、真っ直ぐに僕を見据えた。

 その瞳は赤く、禍々しく見えた。


「また呼ばれた、というのは誰に呼ばれたんだ?」

「花に呼ばれました。私は花に降る雨。花が咲けば花を散らす為に参ります」


 花に降る雨、花を散らす雨。

 それなら名は分かる。

 だが、お互い名乗らぬのが雨と橋守の間のルールだ。

 だから、分かってもその名を口にしない。

 特に理由がない限り。


「翠雨は若葉の成長を促す雨、そしてこちらは花を散らす雨。恐らくリョウさんがまた雨をこの花器に入れたのでしょう。一度雨を入れた器は雨を呼び込みやすくなるものです」

 魁の言葉にリョウさんが申し訳なさそうにごめんなさい、と僕に謝った。

「しかもこれは花器です。花を入れる器ですから、こういった雨には良い隠れ家にもなるのです。リョウさんにはこの雨が見えていますね?」


 魁の糾弾するような強い口調にリョウさんは静かに頷いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る