第漆話 花時雨:hanashigure
1.桜、咲ク
美しく咲く花を散らす降ったり止んだりする雨のことを
花とは主に桜を指す。
***
結局、儀式をせずに夏が終わり、秋が来た。
魁曰く、まだ『猶予』があるのだそうだ。
氷雨からアメを選んだ以上、継ぐというのは確定事項ではあるそうだが、せっかく決意を固めたというのになんとも落ち着かない気分だ。
十月に入り、日中はまだ暑い日もあるが、あんなにうだるように暑かったのが嘘のように、朝夕は肌寒くなってきた。
『ご覧ください! この時期に桜が咲いています!』
テレビの朝のニュースで見慣れた場所が映し出されていた。
町内にある川土手は桜並木でこの界隈では有名な場所だ。
春には満開の桜がそれは見事に数百メートルに渡って続き、河川敷には屋台なども出て花見客で賑わう。
が、今は十月。当然ながら桜の季節ではない。
それが三分咲程度ではあるが、桜が咲いている。
品種も珍しいものではなく、一般的なソメイヨシノだ。
『天気予報士の方のお話によると、この桜の開花は
テレビのリポーターの説明に思わず「へぇー」と声を漏らすと、魁が眼鏡に白衣の姿に変わった。
「不時現象とは珍しいですねぇ。桜は夏に花芽を作って休眠に入って冬に目を覚ますんです。それが今回のように夏に何らかの原因で葉が落ち、秋の涼しさを冬と勘違いし、さらにはその後に暖かい日が続くと春が来た、と勘違いして花を咲かせるんですよね。ニュースで台風が原因と言ってましたが、葉が落ちたことだけじゃなくて塩害の影響もあるでしょうね。あの桜並木がある川は海に近いでしょう? 木に付着した塩が洗い流されずに残った葉も枯れてしまいましたからね」
滑らかにそう説明し、眼鏡の鼻に掛かるブリッジ部分を中指でクイッと押し上げる。
「……満足した?」
冷めた目で問うと、ええ、と実にスッキリとした笑顔を向けられた。
「ちなみに、今回咲いた桜は春には咲きません。春に咲く予定のものが秋に咲いてしまったのでね。それに、あの川土手の全ての桜が咲いた訳でもありませんから、次の春の桜はまばらになってしまいそうですね」
「そっか……」
僕は少しがっかりした声を漏らした。
毎年春のお花見は祖父の幼馴染の三人とケンさん、そして、酒井さんの孫娘の
魁がお重におかずを詰め、リョウさんがお稲荷さんと和菓子を担当し、酒井さんと柚菜さんが飲み物を持ち寄ってくれる。
近藤さんが幹事でケンさんと一緒に場所取りなどを担当している。
家族以外で行くお花見なんて彼らと出会うまでは知らなかった。
ただ桜を愛でながら外で皆で食事をする。
それがとても楽しいことだと知らなかった。
歳は離れているけれど、彼らは僕の『友達』だ。
そう胸を張って言える。
それをとても愛おしく、大切に思う。
「季節外れのお花見も
ふと魁が何かを企むような笑みを浮かべて言った。
その笑みに嫌な予感しかしない。
が、確かにここ最近いろいろありすぎて、少し欝々としていたのも確かだ。
「さ、そろそろ出ないと遅れますよ」
魁に言われてテレビに表示されている時間を見て慌てる。
「はい、お弁当。お財布、スマホ、ハンカチ、傘。では、いってらっしゃいませ」
テキパキと渡され、慌ただしく家を飛び出した。
着物を着崩さずに走るのも慣れたものだ。
だが、少し走ったところで足を止め、空を仰いだ。
抜けるような青空が広がっているが、傘を渡されたということはこれから雨が降るということだ。
魁は天気予報よりも正確に天気を読む。
「雨か……」
呟いて足取り重く店に向かった。
雨が降る日は気鬱だ。
けれど、こういう日に限って良いこともあるようで。
「おはようございます」
そう挨拶しながら店の戸を開けた先には、いつもは近藤さんだけのはずだが、今日は違った。
「おはようございます」
珍しく和菓子屋のリョウさんとそれから呉服屋の酒井さんの孫娘である柚菜さんがいた。
柚菜さんは店から直接来たようで着物姿だ。
着物を着た彼女は本当に大和撫子そのものだ。
単なる小紋(※ 着物全体に細かい模様が入った普段着の着物)も振袖のように豪華に見える。
「今ね、お花見の話をしてたのよ。知ってる? いつもお花見してるあの川土手の桜がね、なぜかもう咲いちゃってるのよ」
リョウさんが楽しそうにそう教えてくれる。
「不思議ですよね、この時期に桜だなんて。それで来週辺りお花見に行きませんかってお話してたところなんです」
柚菜さんが弾んだ声で素敵な提案をする。
季節外れのお花見。
魁もそんなことを言っていた。
「今朝、ニュースで見ましたよ。魁が『不時現象』という珍しい現象なんだって教えてくれました」
だからつい、魁のことを口にしてしまった。
「魁?」
柚菜さんが小首を傾げたので失言だったことに気づく。
彼女の前で魁の名を出したのは初めてだ。
いつもはお手伝いのタキさんで通している。
「あ、新しいお手伝いさんで……」
「ちょっと変わった面白い方なのよね」
僕が挙動不審に慌てた声を出したのをリョウさんがフォローする。
「そうなんですか? じゃあタキさんは……?」
「タキさんもまだ働いてもらってます。ちょっといろいろと人手がいることもあって……」
昔の家ではあるがそう大きくなく、僕一人しかいないのに人手がいるって。
我ながら下手な説明だな、と思ったが、柚菜さんは悲しそうな顔になり、ごめんなさい、と謝った。
「ご両親に続いておじい様も亡くされたんですもの。いろいろと整理することがおありですよね。それなのに変なことを聞いてしまって……」
「い、いや。そんな……!」
まずい。
彼女に気を遣わせてしまった。
下手に隠し事をすると、こういうことがあるので困る。
むしろこちらが悪いのに。
「ふふっ。大変ねぇ」
僕の慌てぶりにリョウさんはそう言って笑い、近藤さんもニヤニヤと笑みを浮かべている。
事情の分かっている二人からはとても滑稽に映っていることだろう。
「あれからもう七年も経ってるんで……ただ単にタキさんが掃除とかいろいろ得意ではないだけで……」
「違う違う。本当はな……」
しどろもどろに説明する僕を見かねて、近藤さんが意地の悪い笑みを浮かべた。
「あの家、出るらしいんだ。それでタキさんが怖がってもう一人雇ってくれって泣きつかれたんだよ。さっさと辞めればいいのに」
「そうそう。だからあまり家に招待してくれないのよ」
近藤さんの意地悪にリョウさんまでもが乗っかる。
そんな二人の言葉に柚菜さんは冗談なのか本当なのか困惑した様子で僕を見上げた。
「……出るって……本当なんですか?」
そんな顔で見つめられると、さらに困る。
「い、いや」
反射的に否定したが、そういうことにしておいた方が何かと都合が良いのか。
二の句を継げずにいると、そこへ荒々しく店の戸が開いて、酒井さんが勢いよく息を切らせてやって来た。
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