4.選択の時
未来と過去。
それが何を表しているのか分からない。
ただ、歴代の橋守は皆揃って『未来』を選択していること。
それと、祖父は『過去』を選択したこと。
それだけが分かっていることだ。
祖父の孫である僕も祖父に倣って『過去』を選択すべきなのだろうか。
それとも祖父が『過去』を選んだせいで命を落としたのだろうか。
「未来と過去って……一体何の話ですか?」
分からないことは問うべきだ。
そう祖父に教えられたことがある。
雨の話は主語が抜けていたり、抽象的だったりするので、よくよく話をきちんと整理する必要があるのだという。
特にこういう取引的なことは後で思っていたのと違った、ということがよくあるので、そうならないようによく話を聞きなさい、と言われた。
それが身を守ることに繋がるのだと。
「ああ、そうか。うっかり説明を省いてしまったよ。こりゃ失礼した。あたしはね、雨と人との間を取り持つのが役目だ。橋守が人の代表ならあたしは雨の代表だよ。だから特別に人にも見えるのさ」
氷雨が雨の代表?
そんな雨には見えないし、そんな話を祖父からも魁からも聞いたことがない。
それに。
「今は人に見えていないみたいだけど?」
「そりゃあ橋守に呼ばれたんだ。呼び出された雨はあたしも例外なく人に見えなくなるんだよ。橋守のくせに物を知らないんだねぇ」
鼻で笑われ、僕は俯いた。
僕は本当に雨のことも橋守のこともまだそんなに知らない。
教えてくれる人は魁しかいない。
その魁も人ではない。
だから、仕方ないじゃないか。
そう思ったが、口には出さなかった。
出したところで自分がさらに惨めに感じる気がしたからだ。
「特別な呼び出しを受けたから、てっきり知ってるものと思ってね。あたしが橋守に売るのは特別なもの。一人一回こっきりさ。だから慎重に選びなね。未来は雨と一緒に、過去は雨と決別。その確認の儀式みたいなものさ」
特別な呼び出し?
だから祖父は僕に教えなかったのか。
過去は雨との決別?
それを選んだせいで命を落とすことに繋がったのか。
これは橋守を続けるか否かの契約だ。
魁に橋守を続ける、と言った。
それが本当かと問う意味で氷雨を呼び出したのか。
鬼雨ではなく、氷雨がそれを握っていると知っていたから。
「焦れったいねぇ。心の準備だなんだと言っても無駄だよ。あたしを呼び出せるのは一度きり。呼んだからにはどちらか選ばなきゃならない。日が落ちるまでにね。でないと殺して良い決まりになってる」
楽しそうに氷雨が口元を歪めた。
その
「……ふふっ。冗談さね。雨に人は殺せないからなぁ。でも、日が落ちるまでに選ばなきゃ、悪いことが起きるのは本当さ。まだ一度もそんなことになったことがないから、あたしも知らないんだけどさ」
そう笑って氷雨は再び真面目な表情になって握り締めた両手を差し出した。
「未来か、過去か」
小さい頃から人と違うことが嫌だった。
どうして自分にだけ人と違う世界が見えるのか、とずっと悩んでいた。
雨が見えることで良いことなんてなかった。
だから、ずっと橋守なんてなりたくないと思っていた。
でも、魁に橋守を続けると言った。
鬼雨だと思ったけど、鬼雨の姿をした魁にも橋守を継ぐと言った。
そうしないと祖父や両親の死の真相は分からないままな気がした。
最初はそんな理由だったけど、でも狐雨の件があって雨との関わり方を考えさせられた。
今も氷雨に笑われるほど雨について何も知らない。
知らないから嫌ってるだけかもしれない。
人と違うことが苦痛だったし、身内が雨のせいで死んだし。
雨に悪い印象しかない。
でも、翠雨や狐雨のような雨もいる。
雨のことを知れば……嫌いだけじゃなくなるかもしれない。
骨董屋で働けるのもこの特異な力のお蔭だ。
水に関することなら僕にもできることはある。
こんな僕でも気味悪がらずに付き合ってくれる人達もいる。
何も悪いことばかりじゃないと前向きになれたのも彼らのお蔭だ。
雨と決別するのが僕の幼い頃からの願いだった。
でも、橋守がいなくなったら?
それを考えると心は揺れる。
訳も分からず雨を嫌っていた頃とは違う。
雨が僕から大事なものを奪ったのだとしても今は単純に嫌うだけじゃない。
雨は嫌いだ。
でも、雨が見えなくなるのは想像がつかない。
僕はふと背後を振り返った。
氷雨に気を取られていたけど、僕の後ろには近藤さんと酒井さんがいる。
二人は氷雨がいると感じ取って僕から少し距離を取って様子を伺っている。
魁は僕の隣で僕がどういう選択をするか、いつになく真面目な表情で見守っている。
「……未来を……ください」
それが正しいことだと思った。
それがすべき選択なんだと思った。
嫌でも逃げ出したくても。
祖父は『過去』を選んだのだとしても。
「面白くない答えだが、まあ良い。一度出した答えは変えられぬぞ? いいのか?」
「構わない。それでいい」
「前の橋守は両方、と欲張ったことを言ったが、お前は欲がないんだな。それ
ニィッと氷雨は楽しそうに笑みを浮かべ、右手を差し出した。
それを両手で受け取る。
冷たい感触がした。
氷雨が手をどけると手の中には透明な硝子玉があった。
よく見ると硝子玉の中には水が入っている。
「これは……?」
「アメだよ」
「雨?」
「違う。アメ。契約継続の証だ。それも使えるのは一度きりだ。いつ使うかはお前次第だな」
飴のイントネーションだったが、どう見ても食べ物には見えなかった。
「使う? これは何をするものですか?」
「さあ? あたしは売るだけ。使ったことがないから分からないねぇ。そこの刀にでも訊くといい」
そう言うなり氷雨は水に変わり、勢いよく渦を巻いてそのまま空高く舞い上がった。
氷雨の姿が空に消えると、急に雲行きが怪しくなり始めた。
「軒下に避難してくださいっ」
雹を降らせると氷雨が言っていたのを思い出し、急いで近藤さん達を近くの店先へと誘導する。
全員が軒下に収まったと同時に雹が激しく降り注いだ。
「いやぁ、参ったなぁ。こりゃすごい」
酒井さんが足元に転がる雹を見て頭を抱えた。
「で、一体何がどうなったんだい? 未来がどうのって話してたみたいだけど?」
落ち着いたところで近藤さんが口火を切った。
「橋守を……」
そう言いかけた時、通りの向こう側に見つけた人影に固まってしまった。
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