2.裏庭と雨
「お目覚めですか?」
メイド服におさげ髪の、同じ歳くらいの女の子が覗き込んで来て、僕は思わず大きく目を見開いた。
「お目覚めですね。着替えは枕元に置いてありますので。洗面所は廊下に出て右です」
そうにこりと笑んで、彼女は立ち上がって部屋を出て行こうとしたが、ああ、そうそう、と立ち止まって振り返った。
「朝食はパンとご飯、どちらに致しましょうか?」
その質問に答える前に上半身を起こして周囲を見回す。
床の間のある和室で布団に寝かされていたようだ。
が、ここに来た記憶もここがどこだか見当もつかない。
「ここはあなたのお父様のご実家です。朝食の席でご説明しますから、まずはパンとご飯、どちらにするか答えてもらえませんか?」
彼女の早口に気圧されて、パン、と思わず答えると、かしこまりました、と丁寧にお辞儀をして彼女は部屋を出て行った。
メイドがいる日本家屋が父さんの実家?
それなのにうちは三LDKの狭いアパート暮らしなのか?
えらい違いだな、と天井を仰いだ瞬間、ふと大事なことを思い出す。
家で両親の帰りを待っていた。
もしかしたら帰って来ない両親を。
あれは夢だったのか。
でも今のこの状況は?
疑問が次々に浮かんで、僕は部屋を飛び出し廊下に出る。
が、彼女の姿はどこにもなかった。
その視界に縁側とその向こうに広がる裏庭が目に入る。
小さい頃から父の転勤などの都合でアパート暮らしばかりだった。
一戸建てやこういう日本家屋には少し憧れがある。
アパートには庭がないから。
ふと、その庭の片隅に人影があるのに気づいた。
気づいて僕は思わず走った。
メイドがいるから広い家だと思ったが、部屋を出て左に一つ別の部屋があり、そこを過ぎて廊下は左に折れ、少し行くと右手に台所とダイニングが一緒になった部屋に辿り着いた。
迷うような造りでもなく、ダイニングもそう広い訳でもない。
「着替えがお気に召しませんでしたか?」
台所に立っていたのは先程のメイドではなく若い青年で、コック帽を被ったシェフの恰好をしていた。
ダイニングのテーブルには着流し姿の初老の男性が座っている。
この人がもしかして。
「あんな話をした後に強引に連れて来てしまって……」
そう言いながら椅子から立ち上がり、
「改めまして、
そう恭しく頭を下げた。
「あ、僕は……」
丁寧に挨拶をされたので、反射的に僕も自己紹介をせねばと思ったが。
「話は後っ! 朝食が先です。料理が冷めます」
ぴしゃりと言われ、テーブルにホテルの朝食を思わせるような立派な料理の載った皿が置かれた。
祖父の前には旅館の朝食のような和食が並んでいる。
四角い小さなテーブルは少し年季が入っていて、入り口から見て奥に僕が、その左側に祖父が、祖父の向かいにシェフが座った。
不思議な配置だ。
「着替えて顔を洗ってと言いましたのに……」
席に着くなり、ボソッとシェフが呟く。
その言葉で僕はあ、と声を上げてしまった。
着替えなかったことじゃない。
顔を洗わなかったことじゃない。
裏庭に人がいたからここに逃げ込んだことを思い出して思わず立ち上がった。
「朝食がお気に召しませんか?」
シェフに問われていや、と片手を振る。
どう伝えたらいいかいつも困る。
裏庭に人がいたこと、それがただの人じゃないことを。
「ああ、雨ですか」
シェフがそう納得すると祖父がああ、と顔を曇らせた。
「やはり来ましたか。強引に連れて来て正解でしたね。この家にいれば大丈夫ですから」
「そうそう。だから早く召し上がってください。昨日から何も召し上がってないでしょう?」
二人の様子に僕は多分、すごく怪訝な表情をしたのだと思う。
「あれ? 裏庭にいる雨のことじゃなくて? 別のことですか? お手洗いなら……」
「雨が見えるんですか?」
思わず話を遮って訊いた。
生まれてこのかた、僕以外に雨が見える人を僕は知らない。
「見えますよ。私は
昨夜から何も食べていない。
でも、お腹はあまり空いていなかった。
ただ、疑問が山積みで聞きたいことがたくさんありすぎて、食事よりも話がしたかった。
「お二人はお食事を摂ってください。その間、私がご説明します」
シェフは軽く溜息を吐いてそう言うなり、コック帽を脱いでテーブルに置いた。
その動作の間に眼鏡を掛け、服がスーツに変わっていた。
手品かと思ったが。
「まずは自己紹介を。私は
にこり、笑った顔に僕は驚き、理解した。
一瞬でその顔が今朝のメイドに変わったからだ。
コスプレって服だけじゃない。
顔も体型も全て込みだ。
人ではない、と言った言葉を理解するには充分だったが、『刀』とはどういうことだろう?
「普段はこの家の家事全般をこなしております。奥様、つまりあなたにとってはお婆様が生きてらっしゃった頃は楽をさせて頂いてましたが、この頃は忙しくさせてもらってます」
祖父母とも亡くなっていると聞いていた。
祖父は生きていたけれど、祖母が亡くなっていたのは本当だったのか。
「橋守とはこの家の裏手にある小さな石橋を守る者のことです。その役目を平安時代からこの家の者が担っております。その橋は人が利用するものではありません。雨が利用する特別な橋です。雨がこちらに来る為の橋で、雨とこちら、人の世界との境界を守るのが橋守の役目です。人にも良い行いをする人と犯罪を犯す人がいるように、雨にも良し悪しがあります。故に人を守る為に雨を浄化することも時折必要で、その際に私が『刀』に姿を変え、橋守の為の武器になります。カッコイイ日本刀なので、いずれそちらの姿もお披露目したいと思ってます」
目を輝かせ、魁はそう話してくれた。
男なのだろうか。それとも女なのだろうか。
それとも人じゃないなら刀の方が本来の姿なのだろうか。
「とはいえ、刀は本来の姿ではありませんし、性別もどっちなのでしょうねぇ? いろいろ変わってるうちに分からなくなりました」
僕の心の内を読んだようにそう魁は笑った。
「さて、ざっくりとした説明はこのくらいにして、裏庭に来てしまった雨をどうしましょうかねぇ?」
魁はそう楽しそうに祖父に話しかけ、それから両手で頬杖をついて僕を見つめた。
その顔は悪巧みをする子供のように僕の目には映った。
ので、ちら、と祖父の方を伺うと、祖父もまた魁と同じような笑みを浮かべて僕を見つめていた。
初めて会う僕の祖父は良い人だと思っていた。
僕と同じで雨が見える人で、雨から人を守っているなら、例えば
僕を救ってくれる人であると思ったのだが。
どうやら雲行きは怪しそうだ。
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