3.疑惑

「あなたには話さなくてはいけないことがたくさんあります。でも、あなたが嫌々橋守をされている間は話せません。ですから今一度お尋ねします。あなたは今後も橋守を続けていく覚悟がありますか?」


 いつになく真剣な表情と真っ直ぐに向けられた目に僕は戸惑う。

 反射的に俯いて視線を逸らしてしまった。


「……僕が橋守を辞めたいって言ったら?」

「それならばそのようにすることも可能です」

 魁のその言葉に思わず顔を上げる。


「できるのか?」

「できます。あの橋を作ったのはこのみずゆき家ですから」

「どういう……こと?」

「あの橋を作り、橋守というものを生み出したのはあなたの遠い祖先です、と言ったのです。人が作り出したものですから人の手で終わりにすることも可能です」

「じゃあ……」

「橋ができたのは平安時代にまで遡ります。それから現在までずっと橋守の歴史は続いています」


 そんな長い歴史を聞かされたら、簡単に終わりにしたいだなんて言えない。

 でも、終わりにできるものなら終わりにしたい。

 雨が見えることで辛い思いばかりしてきた。

 恩恵なんて受けた記憶はない。


「なんであんな橋なんか……」


 そもそもあの橋があるから橋守が必要なんだ。

 だから橋がなければ橋守もいらない訳で。


「……もう……潮時なのかもしれませんね」

 ぽつり、魁はそう言って縁側から首を覗かせて空を仰いだ。

 いつの間にか雨は小雨に変わり、止みそうな気配だ。


「橋守を……本当に辞めたいですか?」


 僕が橋守を続けるか否かが岐路ということか。

 今までずっと橋守を継ぐことばかりを言われてきた。

 橋守としての自覚だとか橋守としての責務だとか、そんなことばかりを説教されてきた。

 それなのにここに来て僕が嫌だと言ったら辞めさせてくれるというのだろうか。

 例え辞めることができるのだとしても、魁は辞めさせてくれないだろう。

 何を言ったって何も変わらない。

 それなのに今更僕の気持ちを伝える必要があるのだろうか。


「雨が見えるせいで良いことなんて一つもなかったし……僕が雨が見えるせいで父さんと母さんは……」

「それは違います。あなたのせいではありません。それは……」


 魁は言いかけた言葉を飲み込んで話題を変えた。


「鬼雨が言っていた雨を喰らう雨ですが、この間の狐雨を追っていた雨を思い出したのですが……」

「話を逸らす気か?」

「ただ辞めたいと言われて、はいそうですかと言えるほど簡単な話ではありませんので、私にも少し考える時間をください。そう長い時間はかけませんから、少し雨の話をしましょうか」


 確かに長い歴史のあることをそう簡単には終わらせることはできないだろうし、橋を壊したり橋守を辞めたりすれば実際にどういう影響が出るのか僕には想像つかない。

 それは魁も同じなのかもしれない。


「鬼雨が言っていた雨と狐雨を追っていた雨は同じだと思いますか?」

「雨を喰う雨って稀だって聞いた。実際、八年間橋守をしていて会ったのはあれが初めてだったし、そういう話も聞かなかったから。だから、同じ、なんじゃないか? 魁はどう思う?」

「私の意見は置いておいて、あなたの意見を聞かせてください」

 これも橋守を辞めるために僕をテストしているのだろうか。

「仮に同じだとしたら天気雨の一種かな?」

「どうでしょう? 狐雨と一緒にいたからといって、そうとは限りませんよ? 夕立とか突然降る雨だとも考えられます。鬼雨もそうですね」


 そこでふと僕は重要なことに気づいた。

 魁は祖父が殺された時、その雨と会っている。

 なのに狐雨と一緒にいた時、何も気づいていないみたいだった。

 なら鬼雨が言っていた雨と狐雨を追っていた雨は別と考えるべきなのか。

 その疑問を口にすると、魁はゆっくりと深く溜息を吐いた。


「雨は固体と液体の中間だって教えましたよね? あの雨が先代を殺した雨ならあの時深手を負わせたので、相当弱っていたはずです。私達の前に現れた時、人の姿を保っていられたということは、既に別の雨を喰っていたということです」

 それでも僕がよく分からない、というのが顔に出てたようで、いいですか? と魁は白衣に眼鏡という姿に変わった。


「例えば粘土を想像してみてください。赤い粘土と青い粘土を一緒に混ぜたら紫の粘土が出来上がるでしょう? それに混ぜる際に捏ねるので、原型は留めません。雨も一緒です。別の雨を喰らって取り込む度に姿は変わるんです。それに性質も多少変わります。ですから、以前会った雨であっても、それが同じ雨かどうかなんて私にも区別できません」

「じゃあ夕立が天気雨に変わることもある?」

「充分あり得ます。狐雨の時に私が分からなかった、ということはそれ以前に別の雨を喰らっていた、ということになります」

「……それって性格も変わるってこと?」

「多少は。けれど微々たるものです。ただ、たくさんの雨を喰らえば塵も積もれば何とやら、ですよ」

「ならやっぱり同じ可能性は高いのか? 僕は仇をみすみす取り逃がしたってこと?」

「……どうでしょう? あの雨の名が判明するまでは橋守でいて頂きます。辞めるか否かはその後考えるとして、それまで保留にして頂けませんか?」


 確かに今は辞める時ではないかもしれない。


 なんで自分には雨が見えるんだろう?

 なんで自分ばかり嫌な目に遭うんだろう?


 そんな理不尽な状況から逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。

 それが祖父と出会って、どうしてこういう状況にあるのかが分かり、雨との付き合い方も学んだ。

 それで逃げ出したい気持ちは少し収まったけれど、その祖父が亡くなってからその気持ちが再び首をもたげ始めた。

 さらにはその祖父が雨に殺されたと聞き、雨への嫌悪感や憎悪は増した。

 

 雨なんか全部浄化してしまえばいい。


 そんな思いもあったけど、橋守を辞めてしまえばこんな苦悩からも解放されると思えば、祖父の敵討ちよりも辞めたい気持ちが強くなった。


 僕がこんなだから近藤さんに「本当に橋守を継いだのか?」と訊かれるんだ。

 自分の気持ちばかり優先させて、周りのことを何も考えていないから。


 今考えるべきは、今優先させるべきは橋守を辞めることよりも人と雨の境界を守ることだ。


「……分かったよ」


 でも、その前にたくさん湧き出て来た疑問を解決しておきたかった。

 橋守を正式に継いでないってことも、両親や祖父は雨に殺されたってことも。

 それから魁は僕をどう思っているのかも。


「魁……僕の側にいるのが嫌か?」


 五年も橋守をしているのに、祖父と違って頼りない僕に『刀』として使われることをどう思っているのか。

 ただ橋守というだけで僕の側にいないといけないことをどう思っているのか。


 魁は人ではないけれど、雨でもない。

 そんな魁は何を思ってここにいるのだろう?


 人ではないけれど、魁にも感情こころはあると言ったから。

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