第参話 狐雨:kou

1.願い事は突然に

 雨はよく涙に例えられる。


 晴れた空から降る、いわゆる天気雨は『天泣てんきゅう』との呼び名がある。

 他には『狐の嫁入り』や『狐雨こう』とも呼ばれる。

 晴れた空から雨が降るという不思議な現象を妖しい術を使うとされていた狐の仕業に例えたのだろう。


 その狐が婚礼を人間の目から隠すために晴れた空から雨を降らせている、という説がよく知られているが、あまり知られていない説は『涙』に関係している。


 日照に苦しんでいた村人が雨乞いのため、狐を騙して人間の嫁にして殺してしまおうと企んだ。

 その狐は騙されていると知ってしまうが、人間の婿に本当に恋をしてしまい、人間の娘の姿に化けて結局村人たちに殺されてしまう。

 すると、晴れた空から大粒の雨が降り出したことから、これは狐の涙だ、ということになり、天気雨を『狐の嫁入り』と呼ぶようになったのだと言う。


 生きる世界が違う者への恋心は、大抵いつも悲恋となる。


***


 五月二八日。

 狐の嫁入りが行われると言われる日だ。

 ところによっては一一月三日に祭りを行うようだが、天気雨に関しては田植えが終わった五月下旬頃が主な季節となる。


 僕が密かに想いを寄せる呉服屋の孫娘、酒井さかい柚菜ゆうなさんと初めて出会ったのはちょうどこの頃だった。


 高校三年の五月の連休に両親を事故で一度に失い、酷い絶望と喪失感の中、祖父と魁に支えられながら前を向こうと必死だった。

 大学に入学し、祖父の家で暮らし始め、大学生大人なんだからと、アルバイト先として祖父に近藤さんが営む骨董屋、古月堂を紹介された。

 環境がガラリと変わり、橋守のことも祖父から教わりながら慣れないことだらけで、毎日一生懸命だった。


 柚菜さんと出会ったのはそんな時だった。


 きっと第一印象は『暗い人』だと思う。

 いや『暗くて変わった人』だろうか。


 両親が亡くなってから初めての五月を迎え、酷い五月病のような状態になり、しばらく大学とアルバイトを休んでいたが、ずっと家に籠っていても辛いだけだからと祖父に連れられて古月堂で近藤さん、そして酒井さんと一緒にお茶と称して将棋と雑談をしに行った。

 大学では相変わらず友達ができなかったが、そんな僕を祖父は自分の幼馴染達に紹介し、その輪に温かく迎え入れてくれた。


 そこに息を切らせてやって来たのが柚菜さんだった。


「おじいちゃんっ、またここにいたのね」


 なかなか店に戻らない酒井さんを呼びに来るのが柚菜さんの役目らしく、よく古月堂に来るようだったが、僕は彼女に会うのはこの時が初めてだった。


 見慣れない僕を見つけた彼女の視線に気づいた祖父が、

「今年からここでバイトさせているわしの孫のみずゆき晴一はるいちだ。この春からこっちの大学に通い始めてね、今はわしと一緒に暮らしとるんだが、こっちには知り合いがおらんので、良かったらいろいろ教えてやってくれんかね?」

 そう紹介してくれた。


「私でよければ。私は酒井柚菜って言います。去年までは祖父の呉服屋でアルバイトしてたんですが、今は受験生なので……」

 そこまで言って彼女は何かを思い出したように「あ」と短く言って、悲しそうな表情になった。


「……ご両親のことは祖父から聞いてます。この一年、大変でしたね。私も祖母を亡くしていますから辛いお気持ち分かります」


 彼女の言葉に僕は胸が痛んだ。

 酒井さんと近藤さんは僕の両親の葬儀に参列してくれた。

 先日の一周忌の法要にもいろいろと気遣ってもらっている。


 他に彼女は僕について何を知っているのだろう。


 僕は咄嗟にそう思った。

 悲しそうに見つめる彼女の目から視線を逸らす。

 奇異な目で見られるのが怖かった。


 俯く僕を見て、

「すまないね。まだちょっと心の整理がつかないようでね……」

 祖父がそうフォローしてくれた。


 あまり良い第一印象じゃなかったな、と今思い返してもそう思う。

 それから骨董屋で何度か顔を合わせ、祖父の幼馴染達と一緒に話をするようになり、彼女のことが少しずつ分かって来ると、自然と彼女に惹かれている自分に気づいた。


 素直で明るく、いつもポジティブな彼女を見ていると、自然と笑顔になる。

 と同時に彼女の目に僕がどう映っているのかが気になった。

 彼女は本当の僕を知らない。

 僕が普通の人と違うことを。


 それを彼女が知ったらどうなるのだろう?


 祖父の幼馴染達のように変わらず接してくれるだろうか。

 それとも僕が今まで出会って来た人達のように僕を奇異な目で見て、僕を避けるのだろうか。

 いずれにせよ、彼女に怖い思いをさせたくない、と思って本当のことを話せずにいる。


 片思いをしてもう五、六年になる。

 その間に彼女について分かったことは、僕より一つ年下で、大学では経営学を学び、現在は酒井さんの呉服屋で経理から接客まで幅広くこなしている、ということくらいだ。

 あとは時々リョウさんから茶華道を習っていること、友達が多いこと、それから……雨が嫌いなこと。


 雨が好きな人は少ない。

 けれど、嫌いだと言われると自分が嫌われたような気がした。


「ひゃあ、参った参った。天気雨に降られたよ」


 店の戸が開き、酒井さんが飛び込んで来て、僕はふと我に返った。

 帳簿に書き留めた今日の日付から『狐の嫁入り』を思い出し、さらにそこから柚菜さんと出会った時のことを思い出していた。


「今日は『狐の嫁入り』の日ですからね。本当に天気雨が降るなんて……」

 言いかけて僕はふと見慣れぬ花瓶があるのに気が付いた。


「その花瓶、酒井さんが持ち込まれたものですか?」

 いつも酒井さんと近藤さんが囲碁や将棋を指す売り物のテーブルの上を指さす。


「いや? わしは今入って来たとこだぞ?」

「ですよねぇ……?」

「ところで、店主はどうした?」

「奥で帳簿を探してます。ちょっと呼んできますね」

 その語尾に微かに水音が重なった気がして振り返る。


「橋守か?」


 案の定、人ならざる声が聞こえた。

 声の主を探すが店内にそれらしきモノどころか人の姿さえない。


「どうした?」

 酒井さんには聞こえない為、急に挙動不審になる僕に怪訝な表情を向ける。


「どこを見ておる? ここじゃここじゃ」

 声は見慣れぬ花瓶から聞こえた。

 その花瓶から水が噴き出し、それがあっという間に人の姿へと変わると、白い着物に赤い帯、白く長い髪に目尻に朱色のラインが引かれた美しい女性になった。


わらわ狐雨こうじゃ。橋守にお願いしたきことがあって、こうして参った次第じゃ。聞いてくれるかえ?」


 一足飛びに僕の目前に着地し、チロリと覗き込んで来るその深い瞳に僕は思わず半歩退いた。

 雨の『お願い』はロクなものがない。

 が、無下に断るのも難しい。

 またしても魁のいない場所に雨が現れるとは。


 さて、どうしたものか。

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