2.幽霊の正体

「なんだい、その恰好は」

 近藤さんの問いに魁は「さっきまで監獄が舞台の映画を観てたんです」と楽しそうに答えながら、着物姿に変わった。


「まぁまぁ、まずはこちらに座って座って。今日はちょっと幽霊について訊こうと思ってな」

 酒井さんが魁の背中を押し、近藤さんの隣に座らせた。

「幽霊、ですか?」

 きょとん、とする魁に酒井さんがそうなんだよ、と意味深な表情を見せる。


「実は私、幽霊を見たことがないんですよねぇ。長く生きてますが霊感ってヤツがどうもないようで」

「「そうなのかい?」」

 二人が同時に驚いた声を出す。

「そうなんですよ。で、なんでまた幽霊の話を?」

「そう。それなんだがな、わしら見たんだよ。着物着て行李を背負って売り歩く行商の女の幽霊を……」

 酒井さんがそう言って肘を曲げ、両手を垂らして幽霊の真似をした。

「行商……ですか」

 魁は少し考え込むような素振りを見せてから、多分幽霊じゃないですよ、と答えた。

 それには少し驚いて一同顔を見合わせる。


「藍色の着物を着た美人じゃなかったですか? でもって、顔は思い出せない、とか?」

 魁がそう言うと、そうそう、と近藤さんが大きく頷いて酒井さんを見た。

 思い出せないのは歳のせいじゃないだろ、と言いた気な視線だ。


「それ、雨ですよ」


 魁のその言葉に今度は僕が驚いて、え? と声を上げる。

 雨は橋守にしか見えないはずだ。


「不勉強ですね。雨の中には数は少ないですが、人に姿を見せることができるものもいるんですよ。ただし、幾つか条件付きですがね」

「条件? もしかして死期が近い人だけが見える、とか?」

 近藤さんが問うと、魁は笑って否定した。

「雨に人の死期は分かりません。でもまぁ似たようなものです。雨が感じ取れるのは人の悲しみ、つまり『涙』だけです。宿雨やどりめがそうですね。そしてお二方が見たという雨も『涙』に敏感な雨です」

「でもなぁ、悲しいことなんかなかったし、そんなこと考えてもいなかったがなぁ」

 酒井さんが反論すると、魁は違うんです、と首を横に振った。


「その雨は恐らく氷雨ひさめという雨だと思うんです。宿雨が涙に吸い寄せられて来る雨ならば、氷雨は涙を呼び込む雨とも言われています」

「呼び込む?」

 酒井さんが不安そうに問う。

「はい。氷雨を見た人は必ず泣くような出来事が起こると言われています」

「じゃあ……」

 益々不安そうな表情を浮かべる酒井さんに魁が笑顔を向けた。


「でも大丈夫! 氷雨が背負ってる行李から何かを買えば回避できるとも言われています」

「あの行李には何が入っているんだい?」

 横から近藤さんが問う。

「その時々で違うようですよ。野菜だったり魚だったり着物だったり……でも中には盗んで来た物もあるようなので、要注意ですけどね」

「なるほどねぇ。初めて雨を見たが、雨ってのは皆あんな姿をしているのかい?」

 近藤さんが興味深そうに問う。


「だいたい着物姿ですね。不思議と洋服を着た雨は見たことがありません」

「今時着物着て出歩く人は少ないが、私らだってこうやって着物を着てる。雨と人の見分け方ってのはあるのかね?」

「見分け方は意外と簡単ですよ。影を見れば一目瞭然です。雨は影が薄いので。それに氷雨の場合は顔をはっきりとは認識できないはずです」

「私らが覚えていないのはそのせいかね?」

「そうです。顔を見た時に違和感はないけれど、後からどんな顔だったか思い出せないんです」

「普通のどこにでもあるよくある顔ってことかい?」

「いえいえ。美人だった、かわいかったという印象を持つ人もいますから、顔を見た時は確かにそれなりに印象に残る顔をしているんですが、氷雨と別れた後、後からどんな顔だったか思い出そうにも全く思い出せないんです。妖術とかそういった類の何かが作用しているんでしょうね」

「なるほどなぁ。犯罪には便利そうだが、恋するには難ありだなぁ」

「ですね。それに普通の人は雨とそう何度も出会うことはありませんから」

 そう答えた魁の言葉に「ん?」と近藤さんが疑問の声を上げた。


「何度も会えないんじゃ、氷雨から何も買えないじゃないか。それに氷雨っていやぁ、冬の雨じゃないか? 昔、雨も年中姿を現す訳じゃないってそうに聞いたぞ。名前と現れる時期は一致するってね」


『瀧』とは僕の祖父である『瀧一郎そういちろう』のあだ名だ。

 近藤さんも酒井さんも祖父のことをそう呼ぶ。


「よくご存じですね。でも、氷雨はよく誤解されますが、冬の雨でもあり、夏の雨でもあるんです。どちらかと言えば夏の雨ですけどね。氷の字を使うので冬のイメージが強いんでしょうけど、雨というよりひょうを降らせるのが氷雨です。そして、氷雨とは古くは行商の女を指す言葉でもあったんです。漢字が違いますがね。鬻女や販女と書きまして『ひさぎめ』とも読みます。ですから行商の恰好で現れるのでしょうね。その氷雨にもう一度会う方法ですが……」

 そう言って魁は僕を見た。

 その視線を追って二人の視線が僕に向く。


 魁の楽しそうな意地悪そうな輝いた目。

 近藤さんのちょっと心配そうな不安そうな目。

 そして、酒井さんの期待している目。


 目は口程に物を言うとはよく言ったものだ。


「会いに行きましょうか。橋守なら雨と会うのは簡単です」


 三人の視線を受け、なし崩し的にというか半ば強制的にというか。

 まるで遠足にでも行くように全員で古月堂の外に出、近藤さんは真昼間だというのに店を閉めた。


 空を仰ぐと曇天が広がり、今にも雨が降りそうな気配だ。

 蒸し暑さにすぐに汗ばんでくる。


 魁はさっさと着物から探検家のような服装へと変わっていた。

 楽しそうな三人とは裏腹に僕はこの空のようにどんよりと暗く重い気持ちだった。


「あ、それと今回は何も買わなくても大丈夫だと思いますよ?」

「どうしてだい? 今から会いに行って何か買うんじゃないのかい?」

「多分、氷雨は橋守に会いに来たんだと思います。橋守を知ってるからお二人には氷雨が見えたんだと思いますよ?」

「僕に? なんで?」


「氷雨には一つ重要な役目がありましてね」


 魁はそう言って複雑な表情を見せた。

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