第肆話 鬼雨:kiu

1.嵐

 鬼が降らせたかのような激しい雨のことを『鬼雨きう』と言う。


***


 祖父の命日が近づいた七月上旬。

 相も変わらず閑古鳥がく骨董、古月堂こげつどう


 店に客は滅多に来ないが、料亭や茶会など贔屓の顧客がいる為、それなりに儲かってはいるらしい。

 とはいえ、本来なら僕を雇う余裕はなかった筈だ。

 店主の近藤さんが祖父と幼馴染だという縁で正社員として雇ってもらって、こちらとしては助かっている。

 が、いつまでもここでお世話になっていて良いのだろうかと時折考えてしまう。


 それに僕は『普通』じゃない。


 僕のそんなネガティブな考えは、ふいに轟いた雷鳴によって中断された。


「近いですね」

 その語尾は突如降り出した、地面に叩きつけるような激しい雨音にかき消された。

「大丈夫かい?」

 近藤さんに尋ねられ、大丈夫です、と言えればよかったのだが、こういう日は大抵嫌なことが起こる。

「……何もないことを祈るだけですね」

 代わりに素直に希望を言った。


 店先にはひさしがあるが、激しさを増していく雨脚を防げるような代物ではなく、容赦なくガラス戸に雨が打ちつけられる。

 その音はガラス戸が破られるのではないだろうかと不安になるほど強い。

 天気予報では今日は確かに昼過ぎから雨の予報だったが、こんなに強く降るとは誰も想像だにしなかっただろう。

 まだお昼過ぎだというのに、辺りは夜のように薄暗い。

 風も強く、台風に似ている。


「これじゃあ今日は商売にならないから、迎えを呼んで……」

 そう近藤さんが言い終わらないうちに、店の隅に置いてある大きな壷の中から迎え・・がよっこらせと姿を現した。


「驚きました?」


 近藤さんに同居人のかいは楽しそうに笑いかけたが、その表情がさして変わっていない様子につまらなさそうに僕を振り返った。


「鬼が来たようなので、迎えに来ました」


 今回は若い青年の姿で、スパイ映画にでも出てきそうな全身真っ黒の、実に動きやすそうな服装をしていた。


「鬼?」


 僕より先に近藤さんが反応する。

 魁の姿がころころ変わるのはいつものことと了承済みなので、特に驚きもせず突っ込みもしない。

 和菓子屋のリョウさんや呉服屋の酒井さん辺りなら、まず魁の服装を笑ったりおもしろがったりするのだが。


「この激しい雨は鬼雨きうが来た証です。こいつは名乗らなくてもすぐに名前が分かるんですが……」

 魁がその語尾を濁すと、近藤さんは強いのかい? と心配そうに訊いた。

「鬼に雨と書いてキウと読むのですが、稀という意味の稀有ケウが訛って、鬼の仕業のように激しく降ることからこの字面になったと思われます。まぁ、字面の如し。こんなに激しく降られるだけでも被害は大きいですからねぇ」

 そこで魁は一瞬、チラリと僕を見た。


「……鬼雨がこちらに来るのは橋守に用がある時だけなんです。そんな訳で、早退させてもよろしいですか?」

「今日はもう店じまいするつもりだから全然構わんが……物騒な用件なのかい?」

「雨の強さは力の強さと気性の荒さに比例しますからね。怒りっぽい相手ではありますが、いざとなれば私がいますからご安心を」

 魁はそう言って笑顔で胸を張った。


「……疑ってる訳じゃないがね、晴一はるいちは子供がいない私にとっても孫みたいなものでね。ついつい不安になるんだよ。心配性なのは歳のせいかもしれんがね」

 孫を頼むよ、と近藤さんは柔らかに笑んで僕達を送り出した。


 祖父を亡くした僕にとっても近藤さんは祖父のような存在だ。

 ただの店主と従業員という関係ではない。

『普通』じゃない僕を理解し、受け入れてくれ、本当の家族のように接してくれる大切な存在になっている。


 雷鳴によって中断されたネガティブな考えが再び首をもたげる。

 いつまでもそんな近藤さんに甘えてここにいてもいいのかな、と。


「なにボーッとしてるんですか。早く家に帰りますよっ」


 魁の怒声に我に返る。

 魁は既に数メートル先を歩いていた。


 魁一人なら先程、店の壺から現れたように、瞬時に移動が可能だが、僕と一緒にとなるとそれができないらしい。

 それにうちには車はないし、僕も魁も免許は持っていない。

 故にこんな状況でも歩いて自宅に戻らねばらないのだ。


 時折雷鳴が轟き、強く吹き荒れる風と叩きつけるような雨とで嵐というよりも台風のようだった。

 一目見て傘は無意味だと分かる。


 人通りはおろか車さえも通らない道を風雨を避けるように左腕で顔を庇い、目を細めながら突き進む。

 打ちつける雨が肌に痛く、雨に濡れた着物が肌にピッタリと張り付き、牛歩の如く前へ進めない。


 そんな僕の様子を両腕を組んで見ていた魁が、痺れを切らしたように僕に近づくなり、ひょいと肩に担いで走り始めた。


 こういう時、魁が人ではないんだな、と今更のように思う。

 外見がころころ変わっても、家事をこなしてコスプレを楽しんでいる魁はなんとなく人のような気がしていた。

 晴れた空の下で見る魁と雨の中で見る魁はどこか別の人のように感じる。


 そんなことをぼんやりと考えているうちに気づけば家の前まで帰っていた。


「鬼雨……」


 そう言って魁の足が止まったが、肩に担がれている僕の視界は家とは逆方向を向いていて鬼雨の姿は見えなかった。


「……それは橋守か?」


 若い女性の声がした。

 鬼雨という名から男性をイメージしていたので意外だった。


「正式にはまだ……」

「だろうな。いつまで経っても報せが来ぬ上、良からぬ噂が聞こえて来たので確かめに来た」

「噂?」

「今の橋守は刀を振り回している、とな」


 その言葉にドキリとする。

 鬼雨の姿を確認しようと首を回そうとするが、魁にガッチリと抱えられているため、身動きが取れない。

 小声で下ろしてくれと頼んだが、聞こえているはずなのに完全に無視されている。


「たまたま浄化が続いただけですよ」

「そうか。ただの噂か」

「ええ」

「そういえば、『契約』はまだ無効にはなっておらぬな?」

「そのお話はいずれまた機会を改めて……」

「それの前で話すのは嫌か?」


 何の話をしているのか。

 魁が少し緊張しているのが分かった。


「……いいでしょう。全てお話しますので、裏庭に回ってください」


 静かにそう言って、魁はやっと僕を肩から下ろした。

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