第48章 仏 葡 色 誦 滴 動

48―1 【仏】


 【仏】、もとの字は「佛」。

 この右部の「弗」は「ほのか、かすか」の意味だとか。

 そこから彷彿ほうふつの熟語を作る。


 【仏】の仏陀ぶっだは古代インド、サンスクリット語の「buddha」の音訳語。

 正しい悟りを得た者の意味だそうな。


 そして日本には数多あまたの仏像がある。

 その中で最も美しい仏像は京都広隆寺の弥勒菩薩みろくぼさつ


 国宝第1号であり、1960年、あまりの美しさに学生が近寄り、キスをしようとしたら指がポキッと折れたというエピソードがある。

 当時筆者はまだ幼かったが、世間で大騒ぎになったのを憶えてる。


 奈良の中宮寺の菩薩半伽像。7世紀頃の作品で、聖徳太子の母がモデルになったとされてる仏像だ。

 笑顔は柔らかく、まさに現代風な顔立ち。

 誰に似てるかなとこの間から考えてるが、うーん、最近テレビに出演している女優さんのようだ。


 しかし、今にもテレビから飛び出してきそうな表情。

 大昔であっても、こんな面持ちの人がいたのかと……、こんな思考、罰が当たるかな。


 そして最近話題になっているのが、京都の金戒光明寺。

 アフロヘアの仏さま。


 だが、なぜ?

 この仏像は五劫思惟阿弥陀ごこうしゆいあみだ仏。

 この「五劫」はとてつもなく長い時間のことであり、その間の修行で髪が伸びてしまったとか。

 えっ、これって冗談、それともホント?


 それにしても、いろいろおられるものだ、と。

 こんな、ああだこうだ評してる非礼、お許しください。

 【仏】の顔も三度まで、となるかな?



48―2 【葡】


 「葡萄ぶどう」の【葡】。

 落葉のつる性植物、中央アジアが原産。


 果物「ぶどう」は古代ペルシャ語で「budaw」(ブーダウ)。

 これに呉音(ブ)の【葡】と呉音(ドウ)の「葡」が当てられた。


 そして日本の山野には古来より山葡萄がある。

 この山葡萄、なかなかのくせ者、なかなか言うことを聞かない果実なのだ。


 今年は暑い夏で甘いはず。

 去年この木の実は甘かった。

 今年は肥料をまいてやった、だから美味であるはず。


 こんな期待をことごとく裏切るのが山葡萄。

 要は、山葡萄の味は自然条件や人の頑張りとはまったく因果関係が成立しない。実に生意気で不可解な果実なのだ。


 その上に、1粒1粒の味が異なり、まったくわからない。口に入れてみないとわからない。

 とにかく神懸かってるとしか言いようがないのだ。


 これって、小説に近いですよね。

 要は読んでみないとわからない。

 一応自称小説家としては、どことなくこんな山葡萄に似ていて、好きになり、今年は山葡萄のワイン、買ってみようかな。

 てなてなことを考えてます。



48―3 【色】


 【色】は人の後から人が乗る形で、相交わるときの感情の高揚を意味するとか。

 高揚したときには顔いろが変わる。その顔色が【色】だそうな。


 そんな【色】を500も集めた「FELISSIMO」の色えんぴつなるものがある。

 誕生は1992年、コロンブスの新大陸発見から500年を記念して販売開始されたとか。

 そして、それぞれの【色】には名前があり、「この色を好む人は…」と解説がある。

 これがなかなか洒落ていて、今も人気が続いている。


 例えば

 色:週末のレマン湖

 この色を好む人は、平和で静穏な心の持ち主。

 物事にのぞんで精神性を重視し、万人に愛される人物です。


 色:ナイチンゲールの歌声

 この色を好む人はいろいろなデザインを手がけ、すばらしい作品を作ります。

 生活様式では常に高いレベルにあこがれます。

 ……という具合にだ。


 じゃあ、鮎風が好む色はと探してみると、ありやんした。

 結構人気のある色の「ポセイドンの深海」。


 で、その解釈は

 この色を好む人は、生活の中で洗練されたものを求め、高尚な主義、主張を持つ文化を探求し続けます、だって。

 ホント、嬉しくなってきましたゼ。


 500本の色えんぴつ買ってみようかな。



48―4 【誦】


 【誦】、(ズ、ショウ、とな-える、よ-む)と読む。

 「愛誦」、「暗誦」の熟語があるが、【誦】を調べてみたが、字源は見つからなかった。


 普段滅多に目にすることがない漢字だが、ここに誦文ずもんというものがある。

 これはすべての仮名を重複させず、作られた文のこと。


 その代表的なものが「いろは歌」。

  いろはにほへと ちりぬるを

  わかよたれそ つねならむ

  うゐのおくやま けふこえて

  あさきゆめみし ゑひもせす


 これはどういう意味があるのだろうか?

 漢字を入れてみると、

  色はにほへど 散りぬるを

  我が世たれぞ 常ならむ

  有為の奥山  今日越えて

  浅き夢見じ  酔ひもせず  


 これをさらに現代語に直すと、

 彩りよい花は香り良く匂いますけど、結局は散ってしまいますよね。

 我が人生も決して永遠じゃありません。


 無常というこの世界にある深い山を今日も越えてますが……。

 すべてが因縁によって存在するこの世界、浅はかな夢も見ないし、それに酔ったりもしません。

 淡々とやって参ります、てなところですかな。


 それにしても一文字も重複させることなく、うまく作られたものだ。

 ということで、おっちょこちょいの筆者も挑戦。

 現代誦文ずもん、「あいうえおの歌」を。


  あつきとも そうやをかけろ

  らいおんの ほまれにたちて ねむりなせ

  ゆめこえくすしぬ へひわはさよふみる


 漢字を入れると、

  熱き友 草野を駆けろ

  ライオンの 誉れに立ちて 眠り為せ

  夢声奇しぬ 平和は小夜踏みる


 これ、どうでっしゃろか?

 やっぱ、あきまへんか。


 ということで、【誦】は決して木偏の「桶」(OK)にあらず。



48―5 【滴】


 【滴】、花の丸くなった実、それを手でつまみとることが「摘」、さんずいの【滴】は当然丸い水滴。

 (しずく、したたる)の意味となる。


 だが、滴るのは水だけではない。「富」もだ。

 富める者から富んで行けば、富はやがて滴り落ち、貧しい者も豊かになる。

 こんな経済学の学説を「トリクルダウン」という。


 この「トリクル」がしずくを意味するが、

 えっ、お金が滴り落ちてくるって、――、嘘でしょ!

 これが我々庶民の実感だ。


 だが庶民はそれが嘘であることを、今まで証明できなかった。


 しかし、フランスの経済学者、トマ・ピケティは「21世紀の資本」で、300年間、30カ国の税務データーからトリクルダウン説を完全否定し、富める者はますます富む。

富の格差は拡大し、自然に解消することはない、と理論付けた。

 一滴も落ちてきたことがない庶民にとって、まったくその通りだ。


 ピケティ理論によると、

 今の日本、アベノミクスで異次元の金融緩和政策は富の偏在を加速させるだけとなり、 少子化により、その遺産の相続により、より偏っていき、貧富格差はさらに大きくなるだけだ、と。


 ならば庶民にも富が滴り落ちてくる方策はあるのか?

 答えの一つは累進課税、所得が高ければどんどんと税率を上げる、ってこと。


 しかし、この世にはタックスヘイブン、税金の避難所というか天国があるのだ。

 カリブ海地域のバミューダ諸島やケイマン諸島、そこへ財産を移せば高額な税金は取られない。


 ピケティはタックスヘイブンに流出した純資産に世界的に税を掛けろと提唱する。

 だが、事はそう簡単なことではない。

 実現しないだろう。


 そして残念ながら、他にこれといった富の格差を縮める策が見つからないし、難しい。

 これが世界の現実ということなのだ。


 というこで、我々庶民は何をしたら良いのだろうか?

 そうなのだ、あとはクックックと――歪んだ笑いをしたたり落とすしかないのだ。


 こういう男って、つまり鮎風は、水も滴るいい男ではなく、

 涙しか滴らない貧乏男――なのかも知れないなあ。 (´;ω;`)


 とにかく【滴】、コンチキショー! と叫びたい漢字なのだ。



48―6 【動】


 【動】、左部は「重」、だが元は「童」(わらべ)。

 これに「力」を添えて、農耕に従事することであり、身体を動かす意味となったとか。


 こんな【動】、胸も動悸を打つ。

 この状態が「ドキドキ」、どうも「動悸動悸」が語源のようだ。


 恋人を見ればドキドキする。

 その時脳内ではドーパミンがドバッと放出されていると、今回神戸の理化学研究所が解明した。

 そして、その状態はまさに――ときめき。


 この「ときめき」という言葉、今から1000年前の平安時代中期に、清少納言が枕草子で初めて使った。


  心ときめきするもの。

  雀の子飼ひ。

  乳児遊ばする所の前わたる。

  よき薫物たきて、一人臥したる。


  唐鏡からかがみの、少し暗き見たる。

  よき男(をとこ)の、車とどめて、案内あないし、問はせたる。


  かしら洗ひ、化粧けさうじて、

  こうばしうしみたる衣など着たる。


  ことに見る人なき所にても、心のうちは、なほいとをかし。

  待つ人などのある夜、雨の音、風の吹きゆるがすも、ふとおどろかる。


 どうも清少納言は八つのことに、ときめいたようだ。折角だから現代文にてハッキリさせてみよう。

 1.雀の子を飼うこと。

 2.赤ん坊を遊ばせてる前を通ること。

 3.高級な香を焚いて、一人横になってる時。

 4.唐製の鏡の、ちょっと暗くなってるところを覗いた時。


 5.高貴そうな男が家の前に車を止め、使いの者に何かを聞かせにやった時。

 6.髪を洗い、化粧して、良い香りが焚き染められた着物を着た時。

 7.その時には特別に見ている人がいなくても、心が浮き立ってくる。

 8.男を待ってる夜、雨の音や風が建物を揺らがす音さえも、もう男が来たのだろうかと胸がときめく。


 これが1000年前の女性の「ときめき」だったのだろう。


 しかし、この「ときめき」には漢字がない。一般的には「動悸めき」と言われてるが、他に次のようなものがある。


 「時めき」 : 源氏物語桐壺に、「すぐれて時めき給ふありけり」とある。

 他に「瞬芽希」に、色合いが美しいから「朱鷺めき」だとかが。


 しかし、1993年、矢沢永吉さんは歌った。「心花よ」と。

 この「心花」を「ときめき」と読ませた。

 なるほど、うまく漢字を当てたものだと感心するしかない。


 事ほど左様に、【動】は肉体的な動きだけでなく、「心」も動かす漢字なのだ。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る