第21章 巣 臭 名 水 四 聖

21―1 【巣】


 【巣】、木の上にひながいる象形だとか。そう聞かされれば、そのように見えてくる。


 そんな【巣】、「源氏物語」五十四帖の後が『巣守帖』(すもりのじょう)と言うらしい。

 いわゆる「宇治十帖」の続編だとか。


 「宇治十帖」は浮舟をめぐって匂宮と薫が争う。だが誠実な薫が敗れる。

 しかし、浮舟は恋の波間に揺れて宇治川に身を投げる。そして僧に助けられ、小野の尼寺に籠もってしまう。


 物語にはその後はなく、中途半端な所で終わる。

 そのため後世の鎌倉時代に、浮舟に思いを寄せた誰かが……。いや、そのオッチョコチョイが「その後物語」を書いた。 


 すなわち「宇治十帖」の外伝だ。

 それが『巣守帖』と呼ばれ、最近発見された。


 うーん、『巣守すもり』とはね。唸ってしまう。

 まさしく巣守とは孵化ふかせず巣の中に残っている卵のこと。


 「宇治十帖」は完結していない。それはまさに孵化せず巣の中に残っている卵、つまり巣守のようなもの。

 したがって、なんとか孵化させてやりたいと思ったのだろうか?

 それともその実態に鑑みて、自虐的にその物語を「巣守帖」と名付けたのだろうか?


 しかし、その作家は結構手強いヤツかも。いや、それともかなりのイッチョカミかな?

 なぜなら、未だ孵化していない「宇治十帖」、いちびりな完結させたいと思い、書きました。

 恋の波間に揺れたヒロイン・浮舟の――その後を。


 しかも調子に乗って現代風に――『 いまどき(現時)物語 』のタイトルで。

 ひょっとすれば、「巣守帖」の作家と同じイッチョカミのDNAなのかも。



21―2 【臭】


 【臭】、この漢字の上の「自」は正面から見た「鼻」の形だとか。そして、下の「大」は元々「犬」(いぬ)だったそうな。

 そこから「犬」の「鼻」で嗅ぎ、におう/くさいとなったらしい。

 うーん、そうだったのか、と唸るしかない。


 さてさて身の回りに臭いものは多くある。その中でも恐怖の五大異臭がある。

 それらは――ドリアン、ブルーチーズ、くさや、にんにく、鮒寿司だ。

 この中でもくさやは関東の風味(?)、鮒寿司ふなずしは近江の郷土珍味となる。

 

「鮒ずしや彦根の城に雲かかる」

 彦根を訪ねた与謝蕪村がそう詠った。だが、きっと雲まで臭かったことだろう。

 鮒ずしは……いわゆる寿司の原点のなれ寿司。

 2、3年塩と米飯で漬け、発酵させる。アミノ酸のうま味が一杯の伝統食品だ。


 この材料となる鮒が琵琶湖のニゴロブナ。実はコイ目コイ科コイ亜科に分類され、どちらかというと鯉なのだ。

 したがって体型はゲンゴローブナのように膨らみを持たず、スリムな形。湖の深い所に棲むイケメン魚。


 そんなニゴロブナ、現在は捕獲量が激減し、高級魚だ。

 魚は希少、米は近江の高級米、そして途方もなく手間がかかる。したがって美味ではあるが、珍味。高価でめったに口にすることはない。


 しかしだ、たまたま鮒ずしに巡り会った時に気を付けなければならない。犬がそっぽ向くほど臭いのだ。


 「鮒ずしや彦根の城に雲かかる」

 与謝蕪村もこう詠いながら、きっと【臭】という漢字を思い浮かべたことだろう。



21―3 【名】


 【名】は「夕」と「口」の組み合わせ。「夕」は肉の省略形、「口」は祝詞を入れる器の形。

 かって子供が生まれると「肉」を供え、祝詞をあげる【名】という儀礼があった。その時に子供に名前を付けたため、【名】は「名づける」という意味になったとか。


 【名】は体を表す。

 そのためか親が名づける名前は子供への期待が当然籠もっている。そしてそれは時代ともに変遷していくものだ。


 今から100年前の大正元年、第1位の名前は、男子は「正一」、女子は「千代」だった。

 これが大正二年になると、男子は「正二」、女子は「正子」となる。そして大正三年は「正三」、女子は「静子」。

 明治が終わり大正に、当時の親たちは新しい世代・大正の「正」に拘った。

 そして3年経っても「正」を見切れなかった。親たちはそういう思いだったのかと、面白い。


 それでは昭和の戦前戦後の第一の名前はどうだっただろうか?

 きっと戦争に勝ちたかったのだろう、男子は昭和17年から20年まで「勝」。

 だが敗戦後、豊かさを願い、昭和21年には「稔」となる。


 一方女子は、親たちは戦渦にあっても、きっと娘の平穏を願っていたのだろう、なんと昭和18年から23年まで「和子」だ。


 ならば戦後豊かになり、バブルの頃は……男子は「翔太」、女子は「愛」。

 夢物語はどこまでも続くかのように、現実の暮らしから少しかけ離れた感覚を覚えざるを得ない。

 そして最近はと言うと、「大翔」(ひろと)と「陽菜」だ。

 閉塞した現代、子供だけには展望の開けた未来があるようにと願いが籠もる。


 そして話しは飛ぶが……

「寿限無寿限無、五劫のすりきれ、海砂利水魚水行末、雲行末、風来末、食う寝るところに住むところ、やぶら柑子、パイポパイポ、パイポのシューリンガン、シューリンガンのグリーンダイ、グリーンダイのポンポコナのポンポコピーの長久命の長助」

 これはお馴染みの落語の人物名。


 しかし、こんな長い名前は他にないだろうと思うが、世界にはあるのだ。

「パブロ、ディエーゴ、ホセー、フランシスコ・デ・パウラ、ホアン・ネポムセーノ、マリーア・デ・ロス・レメディオス、クリスピーン、クリスピアーノ、デ・ラ・サンティシマ・トリニダード」


 仰天することなかれ、これはピカソの名前。

 長すぎたため本人は「パブロ・ルイス・ピカソ」と名乗っていた。それでも邪魔くさくなったのだろうか、最後は「パブロ・ピカソ」と自己紹介していたそうな。

 省略し過ぎの感はあるが、こちらの方がわかりやすい。


 いずれにしても【名】は、単に「夕」と「口」の組み合わせたもの。だからだろうか、名前はシンプルが一番だ。



21―4 【水】


 【水】、それは流れている水の形。中央に大きな流れがあり、左右に小さな流れがあるのだとか。

 昭和60年に名水百選が選定された。

 京都では伏見の御香水ごこうすいが選ばれている。


 この名水は歴史が古く、平安時代に遡る。当時香りの良い水がわき出ていて、それを飲むと病気が治ったとか。

 今は御香宮神社ごこうのみやじんじゃとなっている。


 そんな水が地下に流れる伏見は灘と並ぶ酒所。その水は、灘の「宮水」に対し伏見の「御香水」と呼ばれている。

 御香水は軟水で、マイルドな甘口の女酒を産む。一方、宮水は硬水であり、切れのよい辛口の男酒となる。


 他の名水に、誰もが口にしたことのある清水寺の「音羽の水」がある。音羽山から三筋で流れ落ちてきて、枯れたことがない。延命長寿の霊水だ。

 上方落語に「はてな茶碗」という演目がある。桂米朝の語りがとびきりに面白い。


 清水寺の音羽の滝の茶屋で油屋の男が休憩していた。

 横では有名な茶道具屋の茶金が音羽の水の茶を飲み、そしてその茶碗をこねくり回しながら「はてな?」と首をかしげていた。


 これを見ていた油屋、さぞかし値打ちのある茶碗にちがいないと、茶金が帰った後、店主から二両で買い取る。

 傑作中の傑作の落語・はてな茶碗は音羽の茶店から始まる。

 そしてオチは――「見てくれ! 水ガメの漏るやつ、みつけたんや!」


 とにかく【水】という漢字、水が流れている形ではあるが、いろいろなものを絡ませながら流れて行くのだ。



21―5 【四】


 【四】、算木を四本重ねた形だそうな。

 そんな【四】を使って、四つ葉のクローバー(four-leaf clover)がある。そして、四つ葉には「四つのH」があるとか。

 それらは――ホープ(希望)、ハピネス(幸福)、ハート(愛情)、ヘルス(健康)。

 良いこと尽くめだ。


 その上に、花言葉は――「Be mine.」

 要は「私のものになってください」と自己中的なもの。

 そんなクローバー、普通は白い花で、和名は「白詰草」(シロツメクサ)。


 昔、オランダ人がガラス器を日本に運んだ時、クローバーの枯れ草を緩衝材として詰めて使っていた。だから、「白詰草」と言う。

 ホーと感心するしかない。

 だが中に、赤い花のクローバーもある。その和名は「紅花詰草」(ベニバナツメグサ)。


 これもやっぱり「詰草」だ。

 これも緩衝材として使われてたのだろうか?

 それとも和名「白詰草」の横滑り?

 いずれにしても、「紅花詰草」の花言葉は「特に言葉はありません」だとか。


 要は、白いクローバーは「私のものになってください」と詰め寄り、赤いクローバーは「特に言葉はありません」という返事。

 大変結構な流れだと思うが、とにかく【四】という漢字、算木のように、いろいろと話題が絡み合って行くようだ。



21―6 【聖】


 【聖】という漢字、「耳」と「口」の下につま先立つ人を横から見た字・「王」が支える。

 これにより祝詞を唱え、そして祈り、神のお告げを聞くことができる人のことを【聖】と言うらしい。ここから「聖人」という熟語が生まれた。


 キリスト教には多くの聖人せいじんがいた。そして日本にも(しょうにん)と呼ぶが、聖人がいた。

 それは親鸞聖人しんらんしょうにん


 京都伏見の南、醍醐寺に近い山裾に「日野誕生院」がある。小さな寺だが、ここは浄土真宗の聖地。

 1173年、親鸞聖人はここで生まれた。そして9歳まで過ごし、その後出家した。

 その得度する時に詠った歌がある。

 「明日ありと 思う心の あだ桜  夜半に嵐の 吹かぬものかは」


 うーん、まったくその通りだ!

 それにしても、子供ながらにこんな達観したような歌を詠ったのだから……驚きだ。


 親鸞はその後比叡山に登り、20年間修行する。

 ただ心身の限界を感じたのだろうか、29歳で山を下りる。そして六角堂に通い、夢のお告げを受ける。

 「行者宿報設女犯 我成玉女身被犯 一生之間能荘厳 臨終引導生極楽」


 うーん、この夢のお告げって、漢字ばっかりで……(^0^;) 汗汗

 だけど字からして……「女」に「犯」、そして「臨終」とか、ちょっとヤッベー感じかな。

 そこでちょっと調べてみた。


 この「夢のお告げ」を簡単にすると。

 お坊さんは妻をめとってはならないと禁止されています。しかし、今こそその戒律を破りなさい。私は美しい女性となって、あなたの妻になります。そして一生あなたを支えます。

 命果てる時に、生涯が素晴らしいものであったと喜び合い、一緒に極楽浄土に参りましょう。


 ブラボー!

 こんな夢のお告げを受けてみたい。

 もちろん、親鸞はこのお告げに従って、29歳で妻帯する。

 その後流罪とかいろいろあったが、35歳で京都を離れ越後へと。そして流罪は解かれ、41歳から家族とともに東国を布教行脚する。

 62歳で京都に戻り、89歳で入滅。


 【聖】という漢字の意味、それは汚れなく清らかなこと。だが親鸞聖人は肉食妻帯であり、波瀾万丈の人生だった。

 しかし、その生き方はどこまでも一途で、人間的な『聖人』であったと言える。


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