第47章 星 庭 冠 諦 成 魚

47―1 【星】


 【星】、「日」と「生」からなるが、古い字形は「日」ではなく「晶」だとか。

 この「晶」は多くの星が輝く形だそうな。これにより、「日」の太陽ではなく、「ほし」の意味になったそうな。

 なるほど、いろいろと経緯があるようだ。


 さてさて、飛行士でもあり小説家のフランス人、アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリは書き出した。

 おとなは、だれも、はじめは子どもだった。(しかし、そのことを忘れずにいるおとなは、いくらもいない。)、と。


 これは1943年アメリカで出版された「星の王子さま」だ。

 子供心を失ってしまった大人たちに、この本は新鮮に、いろいろなことを教えてくれる。 そのためか世界中で多くの人たちに読まれてきた。


 操縦士の「ぼく」はサハラ砂漠に不時着し、小惑星からやってきた王子に出会う。

 王子の星は家ほどの大きさで、3つの火山とバオバブの芽、一輪のバラの花がある。

 ある日王子はバラの花とけんかをし、旅に出る。


 それから数々の小惑星を訪ね、へんてこな大人たちに会う。

 自分の体面を保つのに必死な王。

 賞賛の言葉しか耳に入らない自惚れ屋。


 酒を飲むことを恥じ、それを忘れるためにまた飲む呑み助。

 夜空の星の所有権を主張し、その数の勘定に忙しい実業家。

 1分に1回自転するため、1分ごとにガス灯を点けたり消したりしている点燈夫。


 そして最後に、自分の机から離れたことがない地理学者。王子はこの男の勧めを受け、地球へと向かう。


 このような物語だが、多くの名言があり、今もファンが多い。

 その中でも、芯となる言葉は――「Le plus important est invisible」(大切なものは、目に見えない)だろう。


 つまり、「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ」と。

 そんな観点からか、「砂漠が美しいのは、どこかに井戸をかくしているからだよ……」とか、「この子が綺麗なのは、心の中に薔薇を一輪持ってるからだ」とも話してる。


 このように心に響かせる「星の王子さま」、出版されて70年が経った。そして、やっとアニメ映画化されるとか。

 まことに楽しみなことだ。


 いずれにしても、この興業、【星】という字が付くだけに、「図星」、「白星」、「勝星」となって欲しいものだ。



47―2 【庭】


 【庭】、字の中にある「廷」(てい)は、壁で区画した宮中の儀礼を行う場所のことだとか。

 それに建物の形の「广」(げん)が被せられ、「にわ」の意味になったそうな。いずれにしても【庭】は儀礼を行う場所のこと。


 それなのに「家庭」に「校庭」、粛々と儀礼が執り行われてるとは思えない。

 「裏庭」なんて、もっと関係ないぞ。隣のニャンコがオシッコしてるだけ。


 それでもだ、【庭】でする球技は「庭球」、つまりテニスだ。

 えっ、【庭】って、そんなに広かった?

 日本では、蛙が棲んでたら、それだけで広い【庭】なのに。


 さて、時は約100年前の1920年(大正9年)。

 ウインブルドン大会で清水善造選手は米国のW・T・チルデンと対戦した。

 そしてゲーム中、チルデン選手が転倒。


 これを見た清水選手は、相手が立ち上がり、打ち返せるようなゆるいボールを送った。

 これは立派なスポーツマン精神によるものと、戦前、戦後の教科書に載った。今も年配の人たちの記憶に美談として残っていることだろう。


 筆者も、小学3、4年生の頃だったと思うが、習ったことを憶えている。

 されども現代の常識でいくならば、ここはチャンス、バシッと打ち込むのがベストだ。

 一旦コート上に立ったならば、ズルすることなく、勝利することにトコトン執着する。

 そんな姿勢こそが真のスポーツマンシップであり、美しい。

 それにしても、1世紀の時を経て、随分と価値観が変わったものだ。


 その現代型スポーツ美を具現化しようとしているのが、錦織圭。

 テニス4大大会の一つの全豪オープンテニス2015で大活躍だ。


 必殺技はもちろん――エア・ケイ。

 跳び上がり、そして空中に長く留まり、フォアハンドのジャックナイフショットを一振り。

 身長が178センチとテニス界では小柄な錦織があみ出した切り札だ。

 胸がスカットするほどの感動を覚える。


 とにかくテニスは「庭球」、儀礼を行う【庭】での球技。

 しかし今は、漢字【庭】を超え、「圭球」となったと言える。


 追記

 錦織圭の「圭」は、天子が諸侯の身分を証明するために授けた圭玉けいぎょくの形だそうな。



47―3 【冠】


 【冠】、ワ冠の「冖」と「元」と「寸」の組み合わせ。だが本来は「冖」ではなくウ冠の「宀」だとか。

 これで廟の中で行われた元服の儀礼の意味の字だそうな。

 ここから「冠者」は元服した若者のこと。


 今から約1400年前、聖徳太子は十七条憲法と冠位十二階を定めた。

 冠位十二階は血族による世襲制とは異なり、能力によって役人になれる制度だ。


 そこには六徳目の「徳・仁・礼・信・義・智」の位があった。

 そして、冠の色は――紫・青・赤・黄・白・黒――の六色。そして、それぞれに濃淡が付けられ、冠位十二階に分けらた。


 例えば小野妹子の場合、【冠】は礼の位の赤だった。だが、その後遣唐使で貢献し、帰国後は大徳の最高位、濃い紫に昇進した。


 しかし、ここで疑問が。

 なぜみどりがないのだろうか?

 これを調べてみても、よくわからない。


 それでも説がある。

 当時の染色は単一の染料から染める。

 例えば、紫は紫草の根、青は藍の生葉からだ。さらに赤は茜、黄はくちなし、黒は柏からの染料だったとか。


 ならば緑は……キハダやウコンの黄染めに、藍の生葉の青を加え、混色させて色出ししたそうな。

 そのためか、正直言って、邪魔臭かった、のではないかと意見がある。


 確かに、1400年前は公害がない。自然一杯で、そこらじゅう緑だらけだった。

 そんなありきたりの緑色を作るために、混色の手間を掛けるなんて、という発想だったのかも知れないなあ、と現代風手間省きの解釈でここは収めるしかない。


 されども【冠】、男子の元服の儀礼の意味ならば、若者用の「緑冠」があっても良さそうなものだが……。



47―4 【諦】


 【諦】、右部の「帝」は神を祭る時に使う祭卓の形だそうな。その祭卓で祭るのがあまつ神で、帝だとか。

 そしてその祭卓の脚を結んで、しめることが糸偏の「締」。


 ならば言偏の【諦】は?

 帝王の言うことには逆らえません、だから、「諦める」(あきらめる)なのです。


 というような奇妙な解釈が世間にはあるようだが、祭卓をもって、「つまびらかにする」と解釈した方がよさそうだ。

 そして事情がはっきりすれば、あとは「あきらめるしかない」ということで、【諦める】(あきらめる)の意味になったようだ。


 そんな回りくどい【諦める】、英語では……Let it go. と言う。


 ♪ Let it go, let it go

   Can’t hold it back anymore

   Let it go, let it go

   Turn away and slam the door ♪


 これは「アナと雪の女王」の ♪ 降り始めた雪は足あと消して…♪ で始まる名曲「Let It Go」だ。

 そして ♪ ありのままの姿見せるのよ ♪ と続いて行く。


 最初この歌詞を聴いて、 ♪ のままの姿見せるのよ ♪ と、なぜ『蟻』なんだ! と思われた方が多い…、いや、鮎風だけでしたが。


 それにしても、この「Let it go.」が「ありのままの」とか「ありのままで」と意訳された。

 そして名曲「Let it go.」はどこをとっても、とんでもなく意訳なのだ。


 例えば、上の歌詞は

  ♪ ありのままの姿見せるのよ

  ♪ ありのままの自分になるの

 どこにも「Turn away and slam the door」……、「これ以上は抑えられない。背を向け、ドアを閉める」が表現されてない。


 この現象は、英語に比べ日本語が、同じ時間の中で伝達できる情報量が極端に少ないからだと言われている。

 確かに、まともに訳して、「これ以上は抑えられない。背を向け、ドアを閉める」なんて歌ってたら、浄瑠璃の分野になってしまうかもね。


 そういう意味では、ありのままの姿見せるのよ、と英文4行を日本文2行に短縮し、それでもなんとなくぼんやりと状況がわかるから、意訳した人が素晴らしいと賞賛するしかない。


 されどもだ、ただ忘れて欲しくない。

 ――のままの姿見せるのよ――と誤解するヤツもおりまっせ。


 ということで、こんなヤツのことは【諦める】しかないのだ。



47―5 【成】


 【成】、ほこを作り終わり、飾りを付けて、祓い清める意味のことだとか。

 そうか、【成】はあるプロセスを終えた時に使える字なのだ。

 しかし、今時の「成人」なんて、まだまだ未完成……ですよね。


 その【成】、「賛成」に「成功」、そして「成果」と前向きな熟語を作る。

 そして、そんな【成】を三つ。そこまで欲張った名前が、石田三成。


 この男、1560年に今の滋賀県長浜市の近くの石田村で生まれた。そして、羽柴秀吉が長浜城主となった時、小姓として仕えた。


 1582年に織田信長が本能寺で横死。その後、秀吉が天下を取って行くが、石田三成も側近として力を付けて行く。


 その秀吉が1598年に没し、その後徳川家康が天下人の座を狙う。


 そして1600年7月、東軍西軍と分かれ、天下分け目の戦い・関が原の戦いが勃発。

 しかし、松尾山に布陣していた小早川秀秋は迷っていた。これに業を煮やした徳川家康が威嚇射撃をした。これで意を決した小早川1万5000の兵は東軍に寝返った。

 これにより勝敗は決まり、西軍は敗走する。


 佐和山城は落城し、石田三成は伊吹山の裾野の小橋で捕縛される。

 そして六条河原で斬首され、その首は三条河原に晒された。


 辞世の句は…

 筑摩江や 芦間に灯す かがり火と ともに消えゆく 我が身なりけり


 41年と短いが、波瀾万丈な生涯だった。

 そんな石田三成の旗印は「大」と「一」と「万」と「吉」を重ね合わせた漢字一文字――『大一大万大吉』。

 (だいいちだいまんだいきち)と読む。


 その意味は、大とは天下を意味し、

 天下のもとで、一人が万民を、万民が一人のために、という世の中になれば、すべての人が吉となる、……ということらしい。


 しかし、これってちょっと似てませんか?

 最近、ラグビーの合い言葉――「one for all, all for one」

 一人はみんなのために,みんなは一人のために、とよく耳にしますよね。


 『大一大万大吉』(だいいちだいまんだいきち)

 石田三成は400年前に、漢字一文字で「one for all, all for one」と宣言していたのだ。

 これって、メッチャえらいヤッチャ!


 【成】は、祓い清める意味。

 とにかく石田光成に充分心が清められました。



47―6 【魚】


 【魚】、もちろんサカナの象形、どう見たってオトトだ。


 そんな【魚】、寿司屋に行けば、横にいろいろな漢字を付けて並ぶ。

 鮑、鰻、鰹、鱚、鮭、鯛、鮹……、と皆さんお馴染みのことだろう。


 だが、横に付く一文字で、もう何でもありという感じがする。

 ならばだ、【魚】に春夏秋冬はあるのだろうか?


   鰆(さわら)

   鰍(かじか)

   鮗(このしろ)


 「春」、「秋」、「冬」は見つけた。

 だが、「夏」がないぞ。


 しかし心配ご無用、少し妥協すれば、熟語で「魚夏」がある。これは(ワカシ)と読み、初夏に釣れる魚だそうな。

 されども、「魚夏」は合体させて、一文字の漢字にして欲しいものだ。


 ならば、「魚」偏の強敵の「木」偏はどうだろうか?

   椿(つばき)

   榎(エノキ)

   楸(ヒサギ)  ノウゼンカズラ科の落葉高木

   柊(ひいらぎ)

 と春夏秋冬が揃う。


 そうなのだ、「木」偏の方が【魚】偏よりメジャーかと、少し残念な気がするから不思議なものだ。

 されども、まだまだ【魚】も頑張ってるかなと……。


  「魚」に「花」の一文字「魚花」……𩸽(ホッケ)。

  「魚」に「鳥」の一文字「魚鳥」……鷠(ウ)。

 ここまで来れば、花鳥風月で、どうだ!

 あとは「風」と「月」を揃えたい。


 うーん、無念! 「魚風」に「魚月」の合体漢字がないのだ。


 他に、老若男女は?

  一文字「魚老」、鮱(ボラ)。

  一文字「魚若」、鰙(ワカサギ)……はあるが、

  「魚男」(フィッシュマン)と「山魚女」(ヤマメ)と一文字がない。


 ならば単独で、「愛」ならばあるぞ。

 一文字「魚愛」、鱫、これは白身高級魚のムツだ。


 そしてオヤジの願望、「毛」もあるぞ。

 一文字「魚毛」、魹、こいつはアシカ科で最大のトド。

 えっ、トドって、毛があったっけ? と疑問は残るが、とにかく一文字「魹」だ。


 ということで、【魚】という字、充分遊ばせてくれる漢字なのだ。


 追記

  ところで「木」偏で、花鳥風月、

  「椛」、「樢」、「楓」まではあるが、「月」がない。


  残念!

  これ、暇人の嘆きで~す。


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