第31章 慈 迷 絵 今 巴 茄
31―1 【慈】
【慈】、「心」の上の部は「やしなう」の意味があり、その心が「いつくしむ」だとか。ここから慈愛、慈雨、慈悲、慈母などの熟語が生まれた。
こんな愛深き【慈】を使った野菜がある。それは【慈姑】。
「
苦労してる嫁から「そんな野菜なんてあり得ない、巫山戯ないで!」と声が飛んできそうだ。
【慈姑】、それは「クワイ」だ。
芽が出ることから縁起が良い。おせち料理の定番。しかし、苦い。まさに姑か?
そんな慈姑が頭に貼り付けば、「慈姑頭」となる。
これは江戸時代、町医者などが結った髪型で、髪を一本で後頭部で束ねる。慈姑のひょろっとした芽が出ているように見えるから、「慈姑頭」だ。
ポニーテールなら色気もあるが、貧乏そうで滑稽な髪型、……、いや失礼しました。
しかし、最近町中で時々慈姑頭のおっちゃんを見掛けるから不思議だ。江戸時代にタイムスリップした脳外科医、JIN(南方仁)きどりなのだろうか?
いやいや【慈】の漢字が付いているから、人生を楽しみ、慈しむ気持ちがあるのだ、ということにしときましょう。
31―2 【迷】
【迷】、「しんにゅう」の上に「米」が乗る。
一説によると、「米」は四方八方に通じる道。そして歩いて行く意味の「しんにゅう」と組み合わさって、どの方向に行けばよいのか分からない状況を表しているとか。
結果、道に迷い、「迷子」となってしまう。
さてさて、この道に迷うという事態、人によって差がある。いわゆる方向音痴の人がいる。
目的地に向かう時、人は誰もが脳内に地図を広げる。
だが方向音痴の人は自分を動かさず、地図を上げ下げ、さらにぐるぐる回してしまうのだ。
例えば角を曲がった時、脳内地図を90度回す。
挙げ句にずっと回しっ放しで、最終的に訳がわからなくなるそうな。
一方、方向音痴でない人は脳内地図を固定する。そして、その上を自分のキャラクターを歩かせて行く。
どうもここに迷う迷わない差が出ると言われている。
だが、最近随分と便利になった。例えば車移動の場合、ナビがある。
しかし、これでも油断大敵。目的地付近になれば、案内が終了してしまう。
実はそこからが勝負。100メーター内にあって、迷ってしまうことがあるのだから、笑い話にもならない。
とにかく【迷】、四方八方に通じる道の前に立っているのだから、そりゃあ迷いますよね、と居直るしかない。
そんな漢字なのだ。
31―3 【絵】
【絵】、元の字は【繪】、左の部は「會」(会)だ。
この「會」はいろいろな食材の入ったごった煮の鍋のことらしい。そして「糸」偏で、彩り良く色織りすることが【絵】だとか。
うーん、なるほど、元は――ごった煮ね。妙に納得できるから不思議だ。
さてさて江戸時代、ことわざがよく絵にされた。そのようなものを集めた本がある。
それは【絵で楽しむ江戸のことわざ】、著者:時田昌端
まず「犬も歩けば棒に当たる」、いろはかるたの「い」であり、そう言えば、小さい頃の昭和カルタで、犬が電信棒にぶち当たってる絵を見たことがある。
他に、親の脛かじり、蚤の夫婦、馬鹿につける薬はない、人の口に戸立たぬ……などがあり、面白い。
てなことで、現代版はと探してみると、それがあったのだ。
それは「サラリーマン川柳」。
いい夫婦 今じゃどうでも いい夫婦
電話口 「何様ですか?」と 聞く新人
こんなのに、やくみつる氏の絵(イラスト)が付いている。
【絵】という漢字、ごった煮の鍋に、「糸」偏で彩り良く色織りすること。
江戸時代も現代も、日本人は言葉に絵を添えて色織りするのがどうもお好きなようだ。
31―4 【今】
【今】、壺や瓶の蓋の形だとか。それがなぜ【今】なのかわからない。
この上の部が「人」の意味の「ひとやね」。そして下の部は昔から集まり続けていること、これで【今】となったそうな。
なにかよくわからないが……。
いつやるか? 【今】でしょう!
これは東進予備校の林修先生の名言。CMで使われ有名となった。
元々は、現代文を理解するためには漢字の勉強が重要。そのため予備校生に向かって、漢字の勉強、いつやるの?
【今】でしょ! となった。
確かに現代社会、急がば回れより、【今】でしょ! かな。
この「急がば回れ」、室町時代の連歌師・宗長が「もののふの 矢橋の船は速けれど 急がば回れ 瀬田の長橋」と詠んだ。
要は琵琶湖の海路は比叡おろしがあり危険、陸路を旅した方が良いとのこと。
しかし現代、そんなことでは悠長で、待ってられない。
【今】でしょ! となる。
ではこれを英語にしたら。込められた意味からすると、次が適切だそうな。
If not now, then when?
確かに、ね。だけど、【今】でしょ! ほどのインパクトはないのだ。
31―5 【巴】
【巴】、器物の取っての形、また蛇や虫が身を丸めている形だそうな。
また【巴】(ともえ)は勾玉の形をした日本の文様の一つである。それは
平安時代末期の武将・源義仲の側妾に【巴】御前がいた。
巴は色白く髪長く、容顔まことに優れたり。
強弓精兵、一人当千の
平家物語で、こう紹介されている。
木曾義仲は源義経の初陣の宇治川の戦いで敗れ、巴御前と落ち延びる。
義仲は「お前は女であるからどこへでも逃れて行け」と巴御前を促したが、「最後のいくさしてみせ奉らん」と敵将・御田(恩田)八郎師重を馬から引き落とし、首をねじ切って捨てた。
その後、義仲は討ち取られ、巴御前は鎧甲を脱ぎ捨て東国の方へ落ち延びたとか。
こんな武勇伝のある巴御前、日本のジャンヌ・ダルクと言われるようになった。
また、三強が競い合うことを三つ巴と言う。
つまり甲乙丙といた場合、甲の敵は乙と丙、乙の敵は甲と丙、丙の敵は甲と乙となる。こんな入り乱れた状態だが、日本歴史上こんな事態はあったのだろうか?
それがなかなか見つからない。大概は甲の敵は乙と丙。だが乙と丙は同盟を結び味方同士となる。
それがだ、現代にこの三つ巴の状況がある。それは今ホットな東アジアの状況。
とにかく【巴】は蛇が身を丸めた形。
日本は、他の蛇に飲み込まれないように、と願いたいものだ。
31―6 【茄】
【茄】、音読みは(カ)、訓読みでは(はす、なす)。
夏の野菜は茄子(なす)、そして赤茄子。赤茄子って? そう、トマトのこと。
トマトは膨らむ果実の意味。そしてその赤さはリコピンという色素。生活習慣病の原因となる活性酸素を消去する働きを持つ。
そんな健康野菜のせいか、西洋には「トマトが赤くなると医者が青くなる」ということわざがある。
英語では「A tomato a day keeps the doctor away.」であり、「一日一個のトマトは医者を遠ざける」ってことかな。簡単に言えば、医者いらずということだ。
しかし、茄子は赤だけではない。
白茄子は僧侶の仲間内で卵のこと。
小茄子は煙草入れ。
腰茄子は腰巾着。
いろいろあるようだが、いずれにしても暑い夏、赤茄子一杯食べて、医者いらずで乗り切りたいものだ。
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