第30章 妖 冠 剛 亮 馬 鱧
30―1 【妖】
【妖】は、神に仕える女が両手を振りかざし舞い踊る形だとか。
確かに妖しい姿に見える。いわゆる「妖艶」で、【妖】とはなんとぞくぞくとする漢字なのだろうか。
だが、同じぞくぞくでも恐いのが「妖怪」。古くから日本に多く棲み、今もあちらこちらでウロウロしている。
いくつかを列挙してみよう。
奥山に棲み、人を食らう山姥(やまんば)。
ネコの妖怪の猫又(ねこまた)。
つむじ風に乗って現れて、両手の爪で鎌のように切りつける鎌鼬(かまいたち)。
頭が牛で、首から下は鬼の胴体、それは牛鬼(うしおに)。こいつは獰猛で、浜辺を歩く人間に毒を吐きつけ、食い殺すとか。
滑稽でお馴染みのヤツは、提灯お化けにろくろ首。
他にもいる。五徳猫(ごとくねこ)に蟹坊主(かにぼうず)、お歯黒べったりに砂かけ婆。並べれば枚挙にいとまがない
そしてこんな妖怪たちがぞろぞろと練り歩くのが「百鬼夜行」。この行進日は昔から決まっていて、正月、二月子日、三、四月午日、五月六月巳日等々とある。
こんなにも頻繁にあるとなれば、不運にも出くわしてしまうことがあるだろう。その時は呪文を唱えること。
「カタシハヤ、エカセニクリニ、タメルサケ、テエヒ、アシエヒ、ワレシコニケリ」と。こう「
意味不明だが、とにかく「カタシハヤ……」と唱えなければ、妖怪たちに
だが男にとって、もっと日常的で、注意しなければならない妖怪が縁障女(えんしょうじょ)だ。別名、飛縁魔(ひのえんま)。菩薩のように美しい女性。
しかし、中身はそれはそれは恐ろしい夜叉。色香で男の心を迷わせ、家を失わせ、そして身を滅ぼさせる。
果ては命まで取ってしまうのだ。
こんな縁障女(えんしょうじょ)、あなたの近くに棲み、あなたを狙ってるかも知れないぞ。
とにかく【妖】という漢字、人をぞくぞくさせるのだ。
30―2 【冠】
【冠】は、「冖」(べき)と「元」、そして「寸」が組み合わさったもの。これで
ここから男子の成人式の儀礼を意味するそうな。
また頭上にのせることから「最上のもの」、「すぐれる」の意味ともなる。
こんな崇高な【冠】、それを八つも頂いているヤツがいる。それは「ヤツガシラ」、渡り鳥だ。
大きさは30センチ弱、頭に扇の冠羽を被ってる……生意気なヤツだ。
この「ヤツガシラ」、北方で繁殖した後、冬季南方へと渡る。その途中、たまたま日本に立ち寄ることがある。
そんな時、人たちはまるでアイドルに遭遇したかのように、そいつを写真に収めようと大騒ぎとなる。
そんな「ヤツガシラ」、戦後その一羽がたまたま皇居に飛来した。その時、昭和天皇は皇居内の畑で芋ほりをされていたが、そやつを見つけられたのだ。
そして侍従に、すぐ双眼鏡を持ってくるように命じられた。
しかし、侍従は何のことかわからない。思わず「芋を掘るのに、なぜ双眼鏡がいるのですか?」と聞き返したそうな。
こんなほのぼのとしたエピソードがある。
昭和天皇までもがあわてられた「ヤツガシラ」、一度出会ってみたいものだ。
とにかく【冠】を付けたヤツから目が離せないのだ。
30―3 【剛】
【剛】、「岡」と「刀」の組み合わせ。「岡」は堅い鋳型であり、鋳込んだ後に「刀」で裂き割ることだとか。
だが堅くて、それは容易なことではない。そこから「かたい、つよい」の意味になったそうな。
ほう、そういうことかと納得してしまう。
そんな【剛】、自然界で最も硬いのが「金剛石」、ダイヤモンドだ。炭素の結晶で、炭素原子がしっかりと共有結合している。モース高度で10。そのため切削や研磨の工業用途でも重宝されている。
だが「金剛石」はやっぱりダイヤモンド、高価な宝石だ。ブリリアントカット(58面体)され、永遠に光り輝く。
大粒のものは4C、つまり色(カラー)、透明度(クラリティ)、カラット(重さ)、カット(研磨)で評価され、値が付く。
その値段は目が飛び出るほど高く、庶民には到底手が届かない。1カラット(0.2グラム)のダイヤモンド、直径6.5ミリの粒となる。それが、少し良いものだと100万円が相場だとか。とんでもない話しだ。
しかし、こんなダイヤモンドより高価な石が発掘された。それは「パライバ トルマリン」という石。1989年にブラジルで初めて発見された。
神秘なブルーの蛍光色を放つ珍しい鉱石らしい。産出量が少なく、たちまちダイヤモンド以上の値が付き、「幻の石」と言われるようになった。
そんな石に一度お目に掛かってみたいものだが、それにしても金【剛】石に強敵が現れたものなのだ。
そんなブルーの「パライバ トルマリン」、もし和名を付けるなら「青剛石」となるのかな?
いや、トルマリンの硬度は7程度、だから【剛】ではちょっと可笑しいかな?
むしろ蛍光色だから、「青蛍石」で……どうだろうか?
30―4 【亮】
【亮】、「京」に「人」を組み合わせた形だとか。「京」はアーチ形の城門で、その前で儀礼が行われた。つまり【亮】は祈ることから生まれたそうな。
また【亮】に似た字に「涼」、「諒」がある。【亮】と同じく(まこと、あきらか、たすける)の意味がある。
こんな格式高い【亮】、明治時代にこの字を名前にした女性がいた。
今も写真が残るが、オードリー・ヘプバーンのような清楚な雰囲気がある。
亮子は没落士族の長女だった。
娘時代、東京新橋で1、2を争う美貌の名妓と名を馳せる。だが男嫌いで、身持ちも堅い、そんな評判だったとか。そんな亮子、17歳の時に陸奥宗光の後妻に入る。
その後、宗光は政府転覆運動に荷担した疑いで山形監獄に収監された。
その獄中から亮子、つまり妻への想いを伝えた。
離合は常理といえども
相思の情に何ぞ極まりあらん
南北ふたつながらに地を異にするも
夫婦この心は同じ
きっと宗光は夫婦の絆を確かめたかったのだろう。
その後出獄し、ヨーロッパへと留学した。そして帰国し、政府に仕える。
これを機にして、亮子は社交界へデビュー。その洗練された面立ちや振る舞いから、たちまち戸田極子とともに「鹿鳴館の華」と呼ばれるようになった。
その後、駐米公使となった宗光とともに渡米する。そして今度は――「ワシントン社交界の華」と称されるようになった。
亮子、たった44年の生涯だったが、きっと波瀾万丈だっただろう。
しかし、「新橋花柳界の美貌の名妓」→「鹿鳴館の華」→「ワシントン社交界の華」と華麗な花を咲かせたのだった。
30―5 【馬】
【馬】、まさしくたてがみのある「うま」の形だそうな。
モリンホール、モンゴルの民族楽器だ。2本の弦の擦弦楽器で、棹の先端部分が馬の頭の形をしている。
モンゴル語で「馬の楽器」であり、日本語では「馬頭琴」(ばとうきん)と呼ばれている。
そんなモリンホールには「スーホの白い馬」という言い伝えがある。
遊牧民の少年スーホは、ある日、白い子馬を拾い、大切に育てた。
それから数年後、王が競馬大会を開いた。目的は姫の結婚相手を探すためだ。
スーホは成長した白馬に乗馬し参加した。そして見事に優勝した。
しかし、王は貧しいスーホに姫を結婚させなかった。その上に、スーホにはたった3枚の銀貨を渡し、白馬を取り上げてしまった。
その後、王は祝いの宴を催したが、白馬は矢を体中に射られながらも、スーホのもとへと逃げ戻ってきた。
瀕死の状態の白馬、スーホの看病むなしく逝ってしまった。
スーホはこれが無念で、幾晩も眠れない。しかし、ある夜夢を見る。
その夢の中で、愛馬はスーホに告げる。自分の亡骸で楽器を作れと。
これに従って作られたのがモリンホール(馬の楽器)、馬頭琴だ。
【馬】という漢字、とにかく世界中に伝説や格言が多くある。
そして、干支に【馬】がある。その年には、今度はどんな新しい物語が生まれるだろうか?
30―6 【鱧】
【鱧】(はも)は「魚」に「豊」、卵を多く抱き、美味しく心豊かになる魚だからだ。
夏の京都、魚が少ない時季ではあるが、旬の魚は【鱧】。鱧おとしに鱧しゃぶ、鱧のたれ焼き等々、美味の極みだ。
こんな鱧、その生命力は並大抵のものではない。
昔、海から遠く離れた京都で鮮魚がなかなか手に入らない。夏場となれば余計にだ。
だが、僅かな海水の箱に入れられ山道を運ばれた鱧、それでも死なない。たとえ山道で海水ごとひっくり返しても、ヌルヌルとどこかへ逃げて行く。
後日、山の人が鱧を発見する。そして噂された。「鱧は山で捕れる」と。
鱧にはこんな伝説までもがある。
だがこの魚、いざ食べるとなると結構やっかいだ。頭から尾っぽまで小骨だらけ。そこであみ出されたのが骨切りという技法。
とにかく小刻みに包丁を入れて、骨を切ってしまう。
板前さんは一寸(約3センチ)の身の長さの中に、24切れ包丁の目を入れるとか。そして、よりプロとなると、やれ26、いや27の切れ包丁の腕前があると競われてきた。
古都に今年も夏が巡ってくる。鴨川の床で、東山の月を愛でながら、伏見の冷酒一献。
もちろんお伴は、白身の鱧おとし。
これこそ至福の一時でもあり、【鱧】の強い生命力を頂くことにもなる。
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