第26章 椿 茸 刀 疑 告 七

26―1 【椿】


 【椿】、音読みで(チン)とも読み、椿山荘がある。

 椿山荘は神田川に面し、南北時代から【椿】が多く自生していたため、つばき山と呼ばれていた。

 その後、明治の山縣有朋が「椿山荘」と命名した。


 【椿】は常緑樹、学名カメリア(Camellia)、18世紀カネルというイエズス会の人がフィリピンでこの花を発見した。ここからカメリアと名付けられた。


 しかし、日本では古くからある。

 光沢があることから「艶葉木」(つやはき)、「光沢木」(つやき)、「厚葉木」(あつばき)と呼ばれていた。


 だが、ここで問題だ。

 【椿】に似た花、山茶花(さざんか)がある。

 どちらがどちらなのか、なかなか見極めがつかない。


 しかし、この違い、実は簡単だ。

 【椿】は花丸ごと落花するが、山茶花は花びらで散る……ということだ。


 実は【椿】、花丸ごと落ちることで、忌み嫌われてきたところがある。

 さらに競馬の世界でも、落馬を連想させるため、馬の名前に【椿】の名は着けられない。

 これには実例がある。

 1969年、第36回日本ダービー、大本名はタマツバキ。

 ゲートが開いてすぐに落馬、本名が飛んでしまった。これ以来、馬名に【椿】はタブーとなったのだ。


 しかし、悪い話しばかりではない。

 椿萱並茂(ちんけんへいも)という四字熟語がある。

 【椿】は長寿の木で「父」、「萱」はわすれ草で「母」。これらが「並茂」、つまり並び繁茂する。意味は父母が健在なこと。


 とにかく【椿】という漢字、他の花に間違えられたり、落ちたり、元気な父になったりで、忙しい漢字なのだ。



26―2 【茸】


 【茸】、草冠に「耳」。元々「草、茸茸じょうじょうたるかたちなり」と言われ、草が生い茂るさまを言ったとか。

 読みはもちろん(きのこ)だが、(しげる)と(ジョウ)もある。


 そんな【茸】、「匂い松茸味しめじ」だ。

 しかし、気を付けなければならない。毒キノコがある。

 三大猛毒キノコはドクツルタケ、シロタマゴテングタケ、タマゴテングタケ。


 その中でも最強はドクツルタケだ。

 その姿はまるで純白の衣をまとった天使。そして欧米では「殺しの天使」(destroying angel)と呼ばれている。


 こんなドクツルタケ、日本中どこでも見られ、毎年何人かの人があの世へ旅立ってるのだ。

 肝臓/腎臓をスポンジ状に破壊し、1週間苦しみ抜かせて、死に至らしめるとか。それも体重60キロの人で、ドクツルタケ約1本分、たったの8グラムで。

 まさに天使というより悪魔だ。

 「匂い松茸味しめじ、殺しはドクツルタケ」と付け加えた方が良さそうだ。


 いずれにしても【茸】という漢字、ひょっとすればミステリー小説の題材に使えそうかも。



26―3 【刀】


 【刀】、反った片刃の象形文字。両刃は「剣」になるとか。

 【刀】は単刀直入 快刀乱麻 一刀両断などの熟語を作る。

 そんな【刀】に「流星刀りゅうせいとう」なるものがある。宇宙からこの地球に落下してきた鉄隕石を使用し、制作された【刀】だ。


 1890年(明治23年)、富山県上市川上流で鉄隕石の「白萩隕鉄1号」が発見された。

 発見者は22.7キロもある重い石を漬け物石として使用していた。


 そして一方で、慶応四年(1868年)、旧幕府海軍副総裁・榎本武揚えのもとたけあきは蝦夷共和国の樹立のため箱館・五稜郭を占拠した。

 明治2年(1869年)、新政府軍による総攻撃を受け、いわゆる五稜郭の戦いが始まった。

 新選組を率い、北上してきた土方歳三はこの戦いで戦死。しかし、榎本は五稜郭を明け渡し、生き延びた。その後、明治政府の幾多の大臣を歴任していく。


 その榎本は鉄隕石「白萩隕鉄1号」の話しを聞き、それを買い上げて、岡吉国宗(刀工)に流星刀の製作を依頼した。

 隕鉄は柔らかく、苦労するが、大小四振りの流星刀の製作に成功する。


 だが現在、長刀一振、短刀二振のみが現存。長刀一振が行方不明だ。一体どこへ行ってしまったのだろうか?

 流星だけに……、どこかへ流れてしまったのだろうか?


 【刀】という漢字、まさにミステリーそのものだ。



26―4 【疑】


 【疑】、左部は杖を立てた人が後ろ向きで、進むか退くか決めかねて立ち止まってる姿だとか。それに右部の後ろ向きの人の形をさらに添えている。

 ここから「うたがう」、「まどう」の意味になったとか。

 そんな【疑】、「疑問」、「疑惑」、「容疑」などの熟語を作る。


 また四字熟語には「疑心暗鬼」がある。

 これは仏教の「六根本煩悩」の一つとされ、仏教の真理に疑いを持つことだ。

 日常では、暗闇の中に、いない鬼がいるように疑うこと。したがって「疑心暗鬼」は晴れることが前提になるのかも知れない。


 一方「疑惑」の結末は晴れることもあるし、やっぱり疑いの通りかともなる。

 この【疑】、英語では「doubt」と「suspect」がある。どちらも「疑う」だ。


 しかし、微妙に意味合いが違う。

 「doubt」は、ちょっと違うと思うけど、疑う。

 「suspect」は、きっとそうだろうと疑う、とのことだ。「suspect」の【疑】の方が疑いが強い。


 紀元前60年、古代ローマのシーザーも疑った。相手は不幸にも妻だった。

 男性禁制の儀式の時、妻は女装した情夫を引き込んだ、と。


 シーザーはこれに戸惑い、「シーザーの妻は世の疑惑を招く行為をしてはならない」と立派な言葉を発した。

 この英語が――「Caesar's wife must be above suspicion.」

 そう、ここに……なんと「suspicion」と言ってしまった。

 シーザーは絶対にそうだと確信の、そう、強気の【疑】があったのだろう。


 そして結末は――離婚だった。

 ことほど左様に、【疑】という漢字、どうも薄いものから濃いものまであるようだ。



26―5 【告】


 【告】、小枝に神への祝詞を入れた器をつける形。これより神へ告げ祈ることを言うとか。


 こんな【告】、冬が明け、春を告げてくれるものたちがいる。

 春告鳥は鶯(ウグイス)。

 春告草は梅の花。

 春告魚は鰊(ニシン)、鮴(メバル)、玉筋魚(イカナゴ)、魚偏に春の鰆(サワラ)などいろいろだ。


 北海道、蝦夷地のソーラン節

  ♪ ニシン来たかとカモメに問えばぁ~ ♪

 三月になれば産卵のために北海道の西海岸にやってくる。アイヌ語で「神魚」(カムイチェップ)、まさに待ちに待った尊い春告魚だ。


 そして鮴(メバル)、古来からメバルと呼ばれ、毎年春を告げてきてくれた。目がグリッと大きく、「眼張」と言われてきた。淡泊な白身で、塩焼き、唐揚げ、そして煮付けと美味だ。

 まさに春へと目覚まさせてくれる。


 鰆(サワラ)は1メートルを超える大きな魚。しかし、西京焼きなど美味しい。

 春に産卵のために沿岸へ寄るため、春告魚と呼ばれてきた。

 このように【告】、いろいろなものたちが待ちに待った春を告げてくれる。

 だからありがたく、この世も捨てたものじゃないのだ。



26―6 【七】


 【七】は切断された骨の形。これに「刀」が付いて「切る」になったとか。

 数の「ななつ」の意味になったのは、その音(シチ)が借りられたからだと。


 「五」は木を斜めに交叉させて作った器、その二重蓋の形。これも音の(ゴ)が借りられてきている。

 そして「八」は、左右にものが分かれた形。

 数を数えるために算木というものがあった。これは音ではなく、「八」はその形で「やつ」を表したそうな。

 いずれにしても漢数字、いろいろといきさつがあるようだ。


 こんな漢数字を集めた物語、それが1686年に発刊された井原西鶴の「好色五人女」。

 その四巻に『恋草からげし八百屋物語』がある。


 「恋草」(こいぐさ)とは恋の思いが激しく燃え上がるようす。

 そして「からげし」は京言葉で「消し炭」のこと。

 つまり恋に燃え上がって消し炭になった、あるいは消し炭が再び燃え上がってしまった。物語はどちらでも取れる内容で、一般的に「八百屋お七」と言われている。

 ここでその物語を振り返ってみよう。


 師走、江戸の火事で八百屋八兵衛一家は焼けだされた。避難先の駒込吉祥寺で、娘のお七は小姓、吉三郎の刺を抜いてやる。これが縁で二人は良い仲に。


 時は移り、正月十五日、雪降る夜だった。

 僧たちは葬儀に出掛けて留守、お七は吉三郎の部屋に忍び込む。お七は16歳、吉三郎も16歳、若くて初々しい二人ではあったがここに男女の仲、契る。


 だが、お七は翌朝母に引き戻され、そして完成した新宅へと移る。

 その後会えなくなった二人、しかしある雪の日、吉三郎が土筆売りに変装し八百屋を訪ねてくる。そして雪で帰れぬと、土間で泊まることに。


 お七は男が吉三郎だと気付いて、自分の部屋へと隠す。

 その夜、隣室の両親に気付かれないように、筆談しながら恋を実らせる。

 しかし、その後、二人はなかなか会えない。お七はしのび苦しみ、家が火事になればまた吉三郎に会えると考え、火を付ける。


 ここはぼやで済んだ。だが、お七は捕まえられて市中引き回し、その上に火あぶりの刑となる。

 このとき吉三郎は病で寝込んでいた。この出来事を知らない。


 お七の死後百日が経った。吉三郎は治癒して、塔婆にお七の名を見つける。驚き哀しみ、そして自害しようと。

 しかし吉三郎は説得され、出家する。その後は生涯、お七の霊を供養する。


 以上が「八百屋お七」として誰でも知る話しだ。

 だが、井原西鶴はそのタイトルを――『恋草からげし八百屋物語』と付けていた。

 つまり「恋草の消し炭のような八百屋の物語」だと。


 まことに切ない話しだが、井原西鶴はこれで一体何を言いたかったのだろうか?

 その「消し炭」と言わせた真意を知りたくなる。


 とにかく【七】も「五」も「八」も、漢数字に絡んだ物語。そのいきさつが気に掛かるのだ。



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