第23章 蛇 望 刻 種 静 箱
23―1 【蛇】
【蛇】、右部の「它」は頭の大きなへびの形だそうな。
そして「虫」偏、なぜ「虫」なのかとなるが、元々「虫」は爬虫類の形だとか。
そう言えば、「虫」偏でありながら「虫」でない漢字が多くある。
蛙(かえる)に蝦(えび)、蛸(たこ)と蛤(はまぐり)、そして蛎(かき)に蛭(ひる)と続く。
その上に、一番「虫」らしくないのが『虹』だ。
余談となるが、レインボーが「虫」偏なのは、爬虫類の一種の「竜」が空に飛翔しているように見えるからだそうだ。うーん、なるほど。
さてさて、巳年。
この『巳』は胎児の形をしている。
また冬眠から明けた蛇が地上へと這い出す姿。あるいはとぐろを巻いた形だとか、いろいろな説がある。
いずれにしても蛇は脱皮することから古い形から抜け出し、さらに前進すること、つまり進化のシンボルだ。
それを代表するのが七福神の弁財天。美と智と音楽の女神だ。
そして、その使いが蛇。金運をもたらしてくれる。
さて巳年、景気はどうなるだろうか?
兜町には――「辰巳天井」(たつみてんじょう)という格言がある。
巳年は株価が大きく上がる傾向にあるとされている。
いずれにしても「へび年」、古い形から脱皮し、新しい姿へと生まれ変わって欲しい、と願う。
ことほど左様に、【蛇】という漢字、爬虫類ながらメッチャ期待してしまうのだ。
23―2 【望】
【望】という漢字、つま先立つ人を横から見た形「壬」、その上に大きな瞳の「臣」(目)との組み合わせだ。
それに音符の「亡」を乗せ、遠くの方をのぞみ見ることだそうだ。
そこから眺望/遠望などの熟語が生まれ、さらに望郷/人望などの熟語へと発展する。
だが、そうは言っても、一番多く使われる熟語は「希望」だろう。
ギリシャ神話にある。
人類の最初の女性・パンドラは、好奇心から世の中の災難や不幸が詰まった「パンドラの箱」を開けてしまった。
世の中は不幸に。しかし、箱の底にひとかけらのものが残っていた。
それが「HOPE」だ、つまり『希望』。
しかし、この『希』という漢字、「巾」と「交わる」からなり、すかし織りの布。めったにない珍しい意味。
この解釈からすると、「希望」はめったに実現しない【望】となってしまう。
これじゃ、いやはやたまったものじゃない。
したがって、「まれ」には「稀」の漢字が使われるようになった。そして『希』には、「ねがう」の意味を含ませたとか。
こんな御都合主義、まあ目くじらを立てずにとなるが、ここで提案。
次のような『きぼう』もあるかなと、ちょっと思ってしまったわけでして……。
貴望 : 貴方の望み、何でっしゃろ?
モチ、金銀財宝を手に、と答えは決まってる。
輝望 : 輝く望み、それはキラキラ最低一カラット以上ですって。
奇望 : 奇妙な望みって、決して達成できない。
されど、ダイエット願望。
季望 : 季節変わりの望み。
それって春を愛で、夏に弾け、秋に憂い、冬に熱燗でキュッ。
危望 : 危ない望みって、……自己責任で考えておくれやす。
こんな妄想による【望】という漢字、まさに絶【望】的かな?
23―3 【刻】
【刻】の左部の「亥」は獣の形、その獣の死体を「リ」(刀)で切り解く。これが「きざむ」という意味だそうな。
そこから獣の死体の肉や皮を削り取ったりすることから、きびしい/むごいの意味にもなる。そして「刻苦」や「深刻」の熟語が出来たとか。
また器を刻み、時を計り、「時刻」となった。
うーんなるほど、うまいこと考えたものだと感心するしかない。
今、手元に、二つのZIPPO(ジッポー)のライターがある。
随分と前だが、ベトナムのハノイに行った時に手に入れた。それらはベトナム戦争時の米兵の遺品だ。
そして、そこには彼らの叫びが刻まれてある。
一つのライターには、
「I've spent my time in hell and I'm not sorry about that.」と。
要は、「私は、これまで地獄で過ごして来た。だけど、それを残念には思っていない」と叫んでいるのだ。
もう一つには、
「Yesterday is history, tomorrow is a mystery,today is the golden age between.」
つまり、「昨日は歴史、明日は神秘、そして今日は、その間で金のように輝く時」と訴えている。
米兵たちは戦地で、一番手元にあるZIPPOのライターに、心の叫びを刻んだ。その苦いが、ひたすらな想いがひしひしと伝わってくる。
出来ることならば、遺族に戻したい。それらの想いの込められたZIPPOのライターを。
いずれにしても、【刻】という漢字、いろいろなものを刻んでくれるものだ。
23―4 【種】
【種】、穀物の「たね」である。そして性質などが共通している個体が集まり、「種類」となる。
現在の生物分類では次の八分類がある。
生物 → ドメイン → 界 → 門 → 網 → 目 → 科 → 属 → 【種】
【種】は最下部の一番小さいグループだ。
これらを生物「ヒト」を例として表せば下記となる。
生物
↓
ドメイン 真核生物
↓
界 動物界
↓
門 脊索動物門
↓
網 哺乳網
↓
目 サル目
↓
科 ヒト科
↓
属 ヒト属
↓
【種】 H.Sapiens(サピエンス)
こんな【種】だが、絶滅が心配される、いわゆる絶滅危惧種がいる。
今日本では693種類の野生動物が絶滅の危機にあると言われている。その代表的なものはイリオモテヤマネコ、朱鷺(トキ)、ムツゴロウなどだ。
しかし、絶滅危惧種はなにも野生動物だけではない。日本人にもある。
ホント、最近てっきり見なくなったよね、という呟きが聞こえてくる。思い付くまま、ここに列記してみよう。
なでしこジャパンは頑張ってるが、元祖の――
ダンナの三歩後ろを歩く――お淑やかなご婦人
緑の黒髪の――深窓の令嬢
そこまでやるかと唸らせる、チリチリの――パンチパーマのお兄さん
ランニングシャツに半ズボン――そんな一徹な日本男児
鼻の下がコテコテの――はなたれ小僧
バンドの端が垂れ下がり、棒っ切れを持った――ガキ大将
誰にしてもらったの、と問い掛けたくなる――三つ編みのお嬢ちゃん
などなど
他にあれば教えてください。
ことほど左様に、【種】という漢字、「タネ」とは読むが、ひっくりかえして、とにかくエッセイのネタ【種】としては事欠かないのだ。
23―5 【静】
【静】、左の「青」は青色の顔料で、穀物の虫の害を防ぐ。これにより豊作となることから、実りを願うこと。
これにより心は安らかとなり、ここから「しずか」の意味になったとか。
【静】とは、まさに心静まることなのだ。
しかし、原則通りに行かないのが世の常だ。
平安時代のヒロイン・
1184年1月20日、源義経26歳は兄・頼朝の命により、宇治川より京に攻め入った。そして木曾義仲三一歳を討つ。そこから
1184年2月7日、一の谷ひよどり越えで平氏軍を破る。そして、1185年2月19日、奇襲にて屋島の戦いに勝つ。
1185年3月24日には、壇ノ浦の戦いに勝利し、平氏を滅亡させる。
宇治川の戦いを入れて、四戦連勝なのだ。
義経は都大路の歓喜の中で、京に凱旋。都一番の大スターとなった。
そして1185年4月、桜舞う御所の宴席に義経は招かれる。
そこで都一番の白拍子・静御前と、まるで赤い運命の糸にたぐり寄せられたかのように巡り逢ってしまう。
そして恋に落ち、二人は結ばれる。
しかし、源義経は朝廷に近づき過ぎた。
こんな行動に苛立ちを覚えた兄・頼朝は、義経を朝敵として追討の命を下す。
この追討から逃れるように、秋も深い1185年11月、義経は静御前の手を引いて、西国へと旅立った。
いわゆる静御前との未来にかけた愛の逃避行だ。
しかし、その道中の吉野山、そこは女人禁制。すでに身ごもった静を連れ、ここで義経は進退窮まった。そして生まれて来る子のために、悲しく辛い決断をした。
静を京に戻そうと。
その結果、吉野で別れることに。
静19歳は山を下りた。
しかし、案の定、捕まってしまった。そして、その後人質として鎌倉へと送られる。
鎌倉の主は頼朝と、妻の政子。
この二人は静御前が妊娠6ヶ月の身であることを見抜いてはいたが、頼朝と政子の面前で京の舞を踊ることを所望した。
静はこれを受け、鶴岡八幡宮の舞台で堂々と二曲舞った。
その歌は
「吉野山 峰の白雪 踏み分けて 入りにし人の あとぞ恋しき」
吉野山で、消えて行ってしまった人(義経)が恋しい
「しづやしづ しづのをだまき 繰り返し 昔を今に なすよしもがな」
おだまきのように繰り返し思う、昔であったらどんなに良いことか
全戦全勝の若きヒーローと都一番の白拍子、なぜこんなことになってしまったのだろうか?
静はこんな二人の悲しい運命を恨んだ。
しかし都一番の白拍子だ。そのプライドを掛け、そして義経の愛を信じ、義経を追う頼朝と政子の面前で、うろたえることなく堂々と歌い舞ったのだ。
こんな出来事は噂としてあっという間に全国に広がった。そして義経もそれを耳にし、唇を噛みしめ、静との再会を心に誓う。
さらに月日は流れ、1186年7月29日、静御前は義経の男児を出産した。
だが、まことに不幸なことだ。男児であったがために、さらなる悲劇が静の身の上に起こってしまう。
頼朝と政子はそのいたいけない稚児を静から無理矢理に取り上げた。そして慈悲もなく、由比ヶ浜の海へと投げ捨ててしまったのだ。
その後、9月16日、静御前は鎌倉から解放された。
京に戻ったと噂はある。しかし、真実は行方不明。
どこへ行ってしまったのだろうか?
きっと義経と再会を約束した場所へと……。
一方義経31歳は、それから3年後に、つまり1189年4月30日に、奥州衣川で奇襲に合い、自ら命を絶ったとされている。
6月13日には、美酒に浸けられた義経の首が鎌倉の頼朝のもとに届けられた。そして実検がなされた。
だが、それは義経の首ではなかったのだ。
静御前と義経は再会を果たし、どこかの地で、穏やかに暮らしていた……と、そう信じたい。
いずれにしても【静】という漢字、中身は決して穏やかなものではないのだ。
23―6 【箱】
【箱】、元は車の荷受けの「はこ」の意味。それから木などで作った蓋をかぶせて【箱】となったとか。
こんなの全部【箱】じゃないかと思うが……。
箱根の山は 天下の険
前に
【箱】から思い付くのが箱根。
だがなぜ【箱】なのだろうか?
駒ヶ岳がどうも箱に似ているかららしい。ここはウンウンと頷くしかない。
そして新年のイベント、それはなんと言っても箱根駅伝だろう。
正式には東京箱根間往復大学駅伝競走と大変長い名称だ。そして意外にも、大学駅伝の関東チャンピオンを決める、単なる地方大会だとか。
それなのになぜ毎年これほどまでに盛り上がるのだろうか?
それは1920年2月14日に第1回が開催され、伝統の中で様々なドラマがあったからだろう。
総距離 217.9キロメーター(往路 五区 108.0キロメーター/復路 五区 109.9キロメーター)を、10人の走者が、総時間約11時間かけてタスキを繋ぐ。
現在まで11時間を切ったのは、第70回(1994年)山梨学院大学の10時間59分13秒だけだそうだ。とにかく過酷なレースだ。
それにしても、往路と復路の距離が違う、なんで? となるが、都内のルートが少々異なっているからだ。
そんな箱根駅伝、元は約100年前、日本の長距離選手を育成のため「アメリカ大陸横断駅伝」が企画された。
だがアメリカ横断となれば、ロッキー山脈が大きな障壁となるだろう。
それを見据えて、天下の険の箱根が選ばれ、代表選考会が開催される運びとなった。
おいおいおい、箱根とロッキー山脈とはちょっとレベルがちがうんじゃないかと言いたくもなるが、そのとてつもない発想にとにかく敬意を表したい。
いずれにしても【箱】という漢字、いろいろな話題が詰まっている。
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