第42章 水 乱 凛 中 猫 吉

42―1 【水】


 【水】、流れている水、真ん中は大きな流れであり、左右に小さな流れの象形だとか。

 確かに、これには異論を挟めない。


 【水】、我々はそれがなければ生きていけない。

 そんな【水】だが、美味しい水、不味い水がある。

 そして1985年、環境庁は日本の名水百選を選んだ。

 吾輩の近場では、京都伏見の御香水。軟水で伏見の酒となる。


 ならば日本で1番美味しい水はどの水だろうか?

 1879年生まれの鳥井信治郎、1906年(明治39年)に寿屋洋酒店から赤玉ポートワインを発売した。


 しかし、どうしても本格的な国産ウィスキーを生産したい。

 そこで大事なのが水。

 美味しい水を求めて日本全国を行脚した。そして京都の山崎、かって秀吉と光秀が戦った大山崎の決戦の地に辿り着いた。


 そこにあったのは水無瀬川の水。

 竹林に覆われた水源から流れ出る水、それはウィスキーに最適であり、工場を建設した。

 それから苦労の末、1929年(昭和4年)にサントリーウイスキー白札(サントリーホワイト)と赤札」(サントリーレッド)を発売したのだ。


 そう言えば、学生の頃、下宿で仲間が集まり、よくサントリーレッドを頂いたものだ。

 あれは結局、秀吉と光秀の決戦の地の美味しい【水】が熟成され、酔っ払う液体に変化したものだったのかと妙な気分になる。


 【水】という漢字、流れの象形だが、そこには時の流れも含まれているのかも知れない。



42―2 【乱】


 【乱】、元の字は漢字第二水準、JIS:502Cの「亂」。難しい漢字だ。

 右部は骨べら。これを使って、左部の糸のみだれをほぐそうとしている形だそうな。


 そんな【乱】、秩序や国が乱れることであり、乱心、騒乱、反乱などの多くの熟語を作る。

 反対に言えば、この世はそれだけ【乱】が多いということになる。


 そして最近の【乱】は――鍋の乱。

 この言葉を耳にした時、多くの人は、それって何? と首を傾げたことだろう。


 某牛丼チェーンの○×家、激戦を勝ち抜くため新鍋メニュー「牛すき鍋定食」を出した。

 しかし、店内を1人で切り盛りするワンオペで、客へのサーブをしなければならない。

 とにかく手間が掛かる牛すき鍋定食、注文が重なったりすると、従業員1人では処理仕切れない。


 挙げ句の果てに、客から文句を言われる。

 これで従業員はぶち切れたのだろう、【乱】、つまり大量離職をして行った。


 この【乱】により、立て直しの新人の採用もままならず、多くの店が閉店に追い込まれたとか。

 これが「鍋の乱」だ。


 乱れてしまった秩序、時給は1500円まで高騰したが、未だ【乱】は終息に向かってないようだ。


――治に居て【乱】を忘れず――

 こんなことわざもあるが、骨べらで糸のみだれをほぐす形の【乱】、そんなへらで上手くほぐせるわけがない。


 最初から糸がみだれないようにするか、みだれてしまえば、あとは快刀【乱】麻ってことになるのだろうなあ。



42―3 【凛】


 【凛】、左部の部首は「にすい」と呼ばれ、「氷」を表す。また右部は「倉」の意味で集めるということらしい。


 ここから【凛】は一カ所に集めて引き締めること、また大変寒いことだとか。

 そこから【凛】は身を引き締める意味にもなる。


 言い換えれば、【凛】はかたくな。そのためか、【凛】が作る熟語は「勇気凜々」だけと言っても言い過ぎではない。

 されど、この勇気凜々、昭和31年頃日本中の少年たちが口ずさんでいたのだ。


 それはラジオ放送された「少年探偵団」、江戸川乱歩の作品の怪人二十面相、四十面相、 明智探偵、小林少年たちの物語だ。

 主題曲は壇上文雄氏が作詞した。


 ♪ ぼ、ぼ、ぼくらは少年探偵団

   勇気りんりん 瑠璃の色

   望みに燃える歌声は

   朝焼け雲にこだまする

   ぼ、ぼ、ぼくらは少年探偵団 ♪


 団塊の世代以上の人たちは今でもみんな口ずさめるだろう。

 なぜなら、この勇気凜々のメロディーがしっかり脳に刻まれてるから。

 そして、「勇気りんりん 瑠璃の色」とくれば、条件反射し、元気が出てくるから不思議なものだ。


 そう、シニア世代にとっての【凛】、決して忘れられない漢字なのだ。



42―4 【中】


 【中】、旗竿の形だとか。

 ならばなぜ真ん中の意味になるのか?

 かって軍は左軍、中軍、右軍で構成されていて、中軍の将は元帥として全軍を統率していた。

 【中】、この形の旗が中軍の旗だったそうな。


 ホツホー、これで長年の疑問、「口」に棒「|」を貫かせて、なぜ真ん中の意味になるのかが解けた。

 中軍の旗ね、なるほどと呟くしかない。


 そんな【中】、使い方は多くあるが、現代では「真ん中」、「十人並み」、「内側」のおよそ三つの意味となる。

 そして【中】が繰り返されれば、「中中」。いわゆる――かなりの様の「なかなか」だ。

「なかなかのやっちゃ」、「なかなかタクシーつかまらへん」とか……、日常会話の中で滅茶苦茶使ってる。


 しかし、この「中中」、平安時代にも多用されていたようだ。

 源氏物語の若紫に、「髪の美しげにそがれたる末(すゑ)も、なかなか長きよりもこよなう今めかしきものかな」とある。


 意味は、尼君さまの髪が綺麗に切られてる先も、長いのより今風で、なかなかよろしいね、ってことかな。

 どうも1000年前も、何でも「なかなか」だったようだ。


 しかし、ここで疑問が。

 真ん中の意味の【中】を繰り返した「中中」が、なぜ大したものだ、の意味になったのだろうか?

 調べてみた。だが答えは見つからなかった。


 されども想像するに、【中】は「十人並み」の意味がある。

 これを「中中」と重ねて、「十人並み十人並み」と繰り返し、格上げされて、大したものだになった……のかな?


 ということで、【中】という漢字、繰り返せば、【中中】大した言葉になるのだ。



42―5 【猫】


 【猫】、けもの偏に「苗」。

 「苗」は(びょう、みょう)と音読みし、(なえ)と訓読みする。

 【猫】はどうも鳴き声が(みょう)に近いことから成り立った漢字のようだ。


 中国では猫の鳴き声は(miao miao)だとか。

 そして英語で猫は(mew)、(meow)と鳴く。

 なんとなくわかるような気がする。


 ならば犬は?

 中国では 汪汪(wang wang)。

 英語では(bowwow)。

 日本ではワンワン、英語とはちょっと違うかな?


 さて、夏目漱石は小説「吾輩は猫である」で書き出した。

 吾輩は猫である。名前はまだ無い。

 どこで生れたかとんと見當がつかぬ。

 何でも薄暗いじめじめした所でニヤーニヤー泣いて居た事丈は記憶して居る。

 吾輩はこゝで始めて人間といふものを見た。

 ……


 さて、このような小説を書くくらいだから、夏目漱石はさぞかし猫好きだったのだろうと想像するが、ところがどっこい、どうも犬好きだったとか。

 事実、ヘクトーと言う名の犬を飼っていたそうな。


 ならば小説の猫は?

 捨て猫だ。

 その猫、追い出しても追い出しても家に入ってくる。ついに根負けし飼ってしまった。


 だがこの猫、とんでもないヤンチャ坊主だった。家の中を駆け回り、爪で物だけでなく、人までひっかく。漱石は頭に来て、モノサシで猫を叩いてやろうと、よく追っ掛け回していたとか。


 しかし、猫は病を患い、明治41年9月13日の夜に死亡した。

 漱石は小説のモデルにしたこともあり、人間並みに扱ってやろうと思ったのか、友人4人に死亡通知を送った。


 辱知猫儀久々病気の処、療養不相叶、昨夜いつの間にか、裏の物置のヘッツイの上にて逝去致候。

 埋葬の儀は車屋をたのみ、みかん箱に入れて裏の庭先にて執行仕候。

 但し、主人「三四郎」執筆中につき、ご会葬には及び不申候。

 以上九月十四日。


 しかし、これだけでは終わらなかった。

 この死亡通知を受けた松根東洋城は高浜虚子に電報で、「センセイノネコガシニタルサムサカナ」と知らせた。

 これに虚子は返電する。

「ワガハイノカイミヨウモナキススキカナ」(吾輩の戒名も無きすすきかな)と。


 また鈴木三重吉からは「猫の墓に手向けし水の氷りけり」と返信があった。


 さらに寺田寅彦からは句が寄せられた。

 「蚯蚓みみず鳴くや冷たき石の枕元」

 「土や寒きもぐらに夢や騒がしき」

 「驚くな顔にかかるは萩の露」


 ということで、吾輩の死亡は大層なことに、というか、仲間内で随分と盛り上がったようだ。

 ただ、妻の鏡子だけは悲しみ、その後猫の月命日に鮭の切り身と鰹節飯を必ずお供えしたそうな。


 ことほど左様に、【猫】、人間の世界と切っても切れない漢字なのだ。



42―6 【吉】


 【吉】、「士」と「口」の組み合わせ。

 「士」は邪悪なものを追い払うまさかり、また「口」は神への祈りの祝詞を入れる器の形だとか。

 これにより神への祈りの効果を守ることを示し、これを【吉】というらしい。

 そしてこの鉞により願いは実現し、人々は幸せとなる。まさに【吉】だ。


 しかし、ここにやっかいなことが。

「士」と「口」が組み合わさった 「 士

                  口 」

 これは「さむらいよし」と呼ばれてる。


 だが戦前までは行書が多く、下が長い「土」(つち)と「口」が組み合わされて

「 土

  口 」

 これを「つちよし」と呼ぶ。


 そう言えば、友達に吉田君がいた。

 彼の「よし」は下が長い「つちよし」だった。


 そして馴染み深い牛丼屋は下が長い―― 「 土

                      口 」 野屋 なのだ。


 言い換えれば、「告」の左肩の「ノ」を取った漢字。


 しかし、この 「 土

          口 」、パソコンで簡単に変換できないのだ。


 ならば、どうすればよいのだろうか?

 「吉 下が長い」、これで検索すれば、その方法が山ほどヒットする。

 だけど、読んでもわからない。


 ということで、今使う【吉】という字は「土」(つち)ではなく、邪悪なものを追い払う鉞(まさかり)の「士」であるため、しっかり【吉】(ラッキー)を授かるだろう。



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